豫州汝南郡は、名門・袁家発祥の地である。それゆえ、この地には袁家の威徳を慕う豪族が大勢いた。曹操は彼らを警戒し、かなり早い段階で部将の満寵に命じて鎮撫させていた。しかし、官渡の戦局が膠着したこのとき、汝南の豪族たちは、元黄巾軍の劉辟という者を中心にして一斉に蜂起したのである。
豫州牧の劉備は、この情勢を知って袁紹の帷幕に駆けつけた。
「大将軍、今が好機です。汝南に大軍を送り込めば、曹操を挟み撃ちにできますぞ」
袁紹は、しかし気乗りしない表情だ。
「どうしたのです、一気に戦局を覆せますぞ」
「左将軍よ」袁紹は、物憂げに言った。「我が軍は、奇策に頼ってはいかんのだ」
「・・・それは、どうしてですか」
「この戦いは、ただ勝てば良いというものではない。我が軍の王道の前に、曹操は敗れるべくして敗れなければならぬ」
「・・・王道ですか」
「我が軍が、朝廷軍(曹操)を正々堂々と正面から打ち破ることで、天下万民は初めて、漢朝に代わる天命がこの私に宿ったことを知るだろう」
「・・・・・・」
「奇策で勝っても、天下は私の天命を納得してはくれまい」
「なるほど、分かりました」劉備は、表情を隠して頷いた。「先のことまで考えておられるとは、ご明察、恐れ入ります」
劉備は、ようやく理解した。袁紹が、田豊の献策を無視して正面突破に拘ったのは、こうした含みがあったからなのか。曹操が徐州を攻めて横腹をさらしたときに、子供の病気を口実に攻撃を見送った真意は、ここにあったのか。しかし、何となく釈然としなかった。袁紹は、奇策を用いなくても勝てると考えているようだが、そのような保証はどこにもないのだ。何しろ、相手はあの曹操なのだから。
だが、膠着する戦況に業を煮やした袁紹陣営では、軍師の沮授や許攸を中心に、汝南援助案が力を持ってきた。彼らは、袁譚や袁熙といった幹部クラスを派遣することを提案したのである。しかし、沮授らを憎む郭図や逢紀が、例によって反対論を開陳した。そして、あくまでも正面突破に拘る袁紹は、彼らの議論の板ばさみとなって煮え切らなかった。
「私が行きます」劉備が進み出た。「私は豫州牧ですから、汝南に対して命令権を持っていますので、私が適任です」
満座は納得した。劉備は客将であるから、彼に奇策を用いさせても袁家の「恥」にはならないからである。
しかし、その待遇は最悪だった。劉備は、老兵ばかりを五百人率いて、単独で汝南に向かうように指示されたのである。当然、張飛や簡雍などの、昔ながらの部下も連れては行けない。なんとも中途半端な戦略である。
とにかく、劉備は出発した。いったん黄河の北に渡ってから西進し、洛陽北部の孟津から南に渡河し、許昌の西を大きく迂回して汝南に入ったのである。
落ちぶれたといえ、劉備は仁君の名が高い豫州牧である。劉辟らは大いに喜び、郡県は次々に呼応し、許昌の置かれた頴川郡は孤立しかけた。
しかし、曹操の反応は素早かった。従弟の曹仁に命じて、直ちに討伐軍を派遣したのである。もともとこの方面には、劉表の北上に備えて二万の大軍が配置されていた。これらを率いる李術と満寵は、内応を勧める袁紹の使者を追い返し、曹仁とともに反撃を開始したのであった。
着任してから日が浅い劉備は、軍勢を掌握する暇も与えられなかった。命令系統を無視して勝手に戦う郡県は次々に平定され、劉辟も戦死してしまったのである。
「ちくしょう、俺一人じゃ勝てるわけねえよ」髪を引きむしった劉備は、わずかな部下に守られて陽武の袁紹本陣に舞い戻った。
こうして、汝南の乱は、見るべき成果もなく鎮圧されてしまったのである。
郭図や逢紀は、反対論の正しさをひけらかして勝ち誇り、劉備はこの有様に腹を立てた。
「つまらぬ足の引っ張り合いを続けていて、何が王道だ。これじゃあ曹操には勝てんぞ」
腐って飲んだくれる彼の帷幕を、一人の男が訪れた。周倉と名乗る、猛々しい面構えの壮年である。
「雲長さまの使者として参りました」
「なんだって」劉備の顔に喜色が蘇った。「あいつは無事なのか」
「雲長さまは、許昌を脱出されましたが、警戒が厳重で、この陣に近づけずにいるのです。何しろ、顔良を討ち取った身ですので」
「そうだったのか」劉備は頷いた。「あいつが俺を見捨てるはずはないと思っていたのだ」
周倉とともに陣を抜け出した劉備は、二十里北方の炭焼き小屋で、懐かしい義弟と対面した。
一瞥以来を語り合う二人。
「兄者は、汝南で苦労されたそうですが」関羽は同情の眼差しで見る。「袁紹は、兄者を使い捨てにしているのではありますまいか」
「嫌な想像だが、恐らくそのとおりだ」劉備は、憮然とした表情を向ける。「ところで雲長、この若者は誰だ」と、周倉を指差す。
「ここに来る途中で出会った侠客です。何となく気が合ったので連れて来ました。武芸の素質は十分ですから、きっとお役に立ちますよ」関羽は、優しい目で新しい友を紹介した。
「雲長の友なら、俺の友だ。これから、よろしくな」劉備が言うと、周倉は感激のあまり顔を紅潮させた。誰にでも対等の立場で接するのが、劉備得意の人心掌握術であった。
「さて、これからどうなさる」関羽は、憂い顔で溜息をついた。顔良を殺した彼は、袁紹の帷幕に参加するわけにはいかない。
「もう、離れ離れは嫌だな。家族も呼び寄せて、みんなでどこかに移ろうよ」
「と、言うと」
「今度は、みんなで汝南に移ろう。俺が早目に逃げ出したから、曹仁の攻撃は中途半端に終わっている。もう一度行けば、態勢を立て直すことも可能だろう」
「なるほど、逃げ足の速さも、得することがあるのですね」
「皮肉を言うなよ。それに、つい先ごろ、荊州の劉表は長沙の反乱を平定し終えたらしい。南の曹操軍は、こっちに気をとられて手薄になるはずなんだ。うまく運べば、劉表と手を組んで曹操軍を挟み撃ちに出来るぜ」
「さすがは兄者」
「それも皮肉か」
「いや、こっちは本心ですよ」
「なら許す」
笑顔で義弟と別れた劉備は、再び袁紹の帷幕に馬を飛ばした。
劉備が提案した汝南再侵攻策と、劉表との連合戦線樹立案は、沮授や許攸に支持された。
この頃の袁紹軍は、なまじ大軍で攻め込んだために、糧食の補給に悩まされており、早期決着が望ましい状況にあった。それでも王道に拘る袁紹は渋ったが、軍師たちの説得に動かされて劉備の策を認めたのである。
「ただし、お前の軍勢だけで戦えよ。俺は支援しないぞ」袁紹は、物憂げに言う。
「それは構いません。私も豫州牧です。自分の面倒は自分で見ます」劉備は、堂々と言い放った。
その数日後、劉備は黎陽から家族を呼び寄せ、馴染みの部下たちと直属の兵を集めた。五千の兵は、前回と同じ道順で汝南に向かう。
その道中で、関羽と周倉が合流した。
諸将は、事前に何も聞かされていなかったので、不意の邂逅に大いに驚き、かつ、喜んだ。
だが張飛は、馬上から軽く顎を動かしただけだった。
「何だよ、生きてたのか」
その内心は、喜びではちきれそうなのに、照れくさいのである。関羽は、そんな義弟の気持ちが良く分かっていたので、黙って笑顔で頷いた。
三人兄弟は、こうして再び巡りあい、陣頭で勇ましく馬首を並べたのである。
この道中、それ以上に意外で楽しい出会いが待っていた。
ある晩、劉備は甘夫人のもとに通う途中で、馬車を守る一人の護衛兵に目を留めた。筋骨堂々たる偉丈夫で、劉備の姿を見るや顔を伏せようとする。
「お前」劉備は、その衛兵の肩を掴んだ。「顔を見せてくれ」
やむなく顔を上げた偉丈夫の大きな目は、忘れもしない。
「趙雲子龍」劉備は大声を上げた。「どうしてこんなところに」
「玄徳さま」趙雲は、跪いた。「お懐かしゅうございます」
彼の語るところによると、趙雲は劉備と別れた後、公孫瓉の騎将として活躍した。しかし、幽州領内の反乱と異民族の侵入に追われて身動き取れないところを、主君の公孫瓉が攻め殺されてしまったのである。やむなく在野に下った彼は、実家の常山に帰った。豪農の兄を助けて働こうと考えたのである。しかし、兄はほどなく病気で死に、その跡を整理した彼は、一旗揚げようと思い立って、黎陽に出て来たのだ。そこで偶然、劉備の妻たちが居住していることを知り、懐かしさに引かれて護衛兵として雇われることにしたのだと言う。
「どうして、もっと早くに俺のところに顔を出してくれなかったんだ」劉備は、きつい口調で言った。
「私は一度、徐州で殿に解雇された身です。引見してはもらえまいと諦めておりました」
「馬鹿野郎」劉備は、満面の笑顔で趙雲を抱きしめた。「お前、俺の気持ちがちっとも分かってなかったんだな。逢いたかったぜ、こんちくしょうめ」
「お許しくださいますか」趙雲は、涙を浮かべる。
「死ぬまで一緒だ。もう離さねえ」劉備は、純朴な騎将の背中を撫でた。
さて、仲間を揃えて勇気凛々と汝南に入った劉備軍は、侠客の共都という者に迎えられた。
彼の話によれば、この地の曹操軍は、劉表対策に追われて著しく手薄だという。江南四郡を平定した劉表がその大軍を北上させたため、李術率いる二万は、宛で釘付けになっているというのだ。
「目論見どおりだ」劉備は扼腕した。「軍勢を集めて、南から許昌を衝いてやる。天子を、曹操の手から奪い取ってくれるぞ」
劉備は、もはや迷わなかった。曹操を逆賊と見定めて、その誅滅に人生を賭けることこそ英雄への道なのだと固く信じたのである。
劉備が、再び汝南で一万の兵を集めたと聞いて、曹操は頭を抱えた。対処を誤れば致命傷になりかねない。しかし、兵力不足の彼が汝南に裂くことができたのは、蔡陽率いる三千だけだった。
蔡陽は、勇躍して攻めて来た。劉備の戦べたを侮っているらしい。
「兄者、俺がやります」関羽が進み出た。「俺の復帰の引き出物に、奴の首を挙げてみせましょう」
「ならば、私にもその資格があります」趙雲も進み出た。「雲長どのより、私のほうが、長い間のご無沙汰でしたぞ」
「早いもの勝ちにしな」劉備は、両者の顔を立てることにした。
関羽と趙雲は、先を争って幕舎を飛び出すと、それぞれ五百の兵を率いて出陣した。劉備直卒の主力部隊も、その後に続く。
蔡陽は、無為無策で正面から攻めて来たが、正攻法では関羽や趙雲の敵ではない。
数刻後、蔡陽の軍は蹴散らされ、大将首は、関羽と趙雲がその髪を両側から引っ張る形で二人で仲良く本陣に運んできた。
「どうしたんだ」劉備が不思議そうに聞く。
「こいつめ、俺と子龍に追いまわされて、馬から落ちて首の骨を折ったのです」
「つまり、私と雲長どのの、両方の手柄ということで」
「それは面白い。二人とも良くやった」劉備は、両手を叩いて喜んだ。