歴史ぱびりよん

総括

 


 

1.集団的自衛権

2.官僚主導の恐ろしさ

3.結論


 

1.集団的自衛権

第一次世界大戦とは、民族問題を原因とする小さな地域紛争が、周辺諸国を巻き込む形で「集団的自衛権」の連鎖反応を起こし、そこに世界の大国全てが巻き込まれてしまったために有力な仲裁者が現れず、その結果、4年間もダラダラと続いて多くの人命や文化を失わせる結果となった悲劇です。

その限りでは、「集団的自衛権」というのは非常に恐ろしい。

しかし、たとえばビスマルクのような賢明な指導者が上に立っていたならば、逆に、集団的自衛権を上手に生かして平和を維持することが出来たかもしれません。たまたま、ハプスブルク宮廷やヴィルヘルム2世のような愚か者たちが、あのタイミングで国際政治を主導していたことの不運を考えてみるべきかもしれません。

そういう意味では、集団的自衛権は「両刃の剣」なのです。その概念だけを見て、良否を占うことは出来ません。

たとえば、アメリカのウイルソン大統領が、第一次大戦後のパリ講和会議において「国際連盟」の設立を強く推奨したのは、強力な国際機関による強力な「集団的自衛権」を確立するためでした。

ところがウイルソンは、同朋であるアメリカ連邦議会に裏切られ、祖国を国際連盟に加盟させることが出来ませんでした。あの当時のアメリカ国民は、「集団的自衛権に絡め取られたら、関係ない外国との戦争に行かざるを得なくなる」と恐れて、孤立主義を採ったのです。その気持ちはよく分かるのですが、その結果、国際連盟は単なる飾り物となり、第二次大戦を抑止することが出来ませんでした。

結局のところ、アメリカ国民は第二次大戦で世界中に出征して血を流す羽目になりました。もしも国際連盟が、ウイルソンの見識どおりに、アメリカの参加によって強力な調停力を持っていたならば、第二次大戦を未然に阻止することが可能だったかもしれません。少なくとも、ナチスドイツの勃興とその無謀な拡張主義を抑えることは出来たでしょう。日本軍閥の暴走に歯止めをかけることは出来たでしょう。この史実を考えてみるべきです。

「集団的自衛権」は、暴走すれば危険ですが、賢者が上手に使えば平和の基礎にもなるのです。結局は、それを用いる人間の見識次第なのでしょう。

 

2.官僚主導の恐ろしさ

それ以上に考えてみるべきなのは、官僚に実権を握られた国家の恐ろしさだと思います。

先述の通り、小さな局地戦であった第一次大戦が悲惨な世界大戦へと発展した理由は、ドイツ参謀本部の致命的な誤断によるものです。その誤断を生んだ最大の原因は、「自分たちの仕事(つまり戦争)を上手にやりさえすれば、外交や経済などの全ての問題が自動的に解決するはずだ」という、視野狭窄な思い上がりです。しかし実際には、彼らの外交無視のフライングの軍事行動によって、ドイツ帝国は破滅したのです。

ところがドイツ参謀本部は、第一次大戦の敗戦を前にしても、自分たちの過ちを認めようとしませんでした。「これは何かの間違いだ」、「やり方を変えてもう一度やれば、今度は勝てるのだ」、「次の戦争に勝ちさえすれば、全ての問題が自動的に解決するのだ」などと考える者たちが、ナチス政権を背後から強力に支えて第二次大戦を推進したという側面は否定できません。あの戦争は、アドルフ・ヒトラーとその取り巻きが全部悪かったことになっていますが、ヒトラーがドイツ軍出身者であり、そもそも軍の命令でナチス党に送り込まれたという客観的事実は、意外と見過ごされているようですね。

実は、この間違ったドグマを最も強力に受け継いだのが、昭和の日本帝国軍でした。あのときの日本軍も、「自分たちが戦争に勝ちさえすれば、全ての問題は解決する」と思い込んで、国内でテロやクーデターを起こし、あるいはモンゴルや中国に対し政府に無断で侵略戦争を仕掛けました。あれは、明治のころに日本陸軍を育てた、メッケルらドイツ参謀本部の教官からの悪影響によるものと考えられます。

すなわち、ドイツ参謀本部が第一次と第二次の両大戦で主役になったのも、日本がドイツと同盟する形で第二次大戦に巻き込まれたのも、決して偶然ではないのです。

第二次大戦の悲惨な敗戦によって、ドイツと日本の両国からこの間違った毒素が排除されたことは、たいへんな幸運だったと思います。そのために払った犠牲は、たいへんなものでしたけれど。

もっとも、今の日本から、こういった毒素が完全に削除されたのかといえば、それは非常に怪しいです。陸海軍は滅びたけれど、霞ヶ関の高級官僚の間で、そのDNAは脈々と息づいていますからね。安倍政権で右傾化する日本の中で、官僚勢力はますますその力を強めています。

歴史から教訓を学んだ我々は、そこを注視して行く必要があるでしょう。

 

3.結論

現在の日本では、「集団的自衛権が、昭和の戦争のような悲惨な状況を引き起こすのではないか?」という議論がよく聞かれます。

しかし、これまで見て来たように、集団的自衛権それ自体は両刃の剣なのであって、上手に利用すれば平和の礎にも使えるものです。たとえばビスマルクは、集団的自衛権を駆使することで、いつ爆発してもおかしくなかった当時のヨーロッパ政局を、約40年間の平和に導きました。

それに加えて、21世紀の世界では、あの当時の世襲帝国で起きたような「どうしようもない愚か者」が大国のトップに立って、間違った意思決定をするリスクは稀だと言えます。すなわち、スポーツに行くような気軽な調子で、全面戦争にゴーサインを出すようなバカは、そう簡単には出て来ないでしょう。もっとも、アメリカのブッシュJr.大統領みたいな例もあるので、油断は出来ませんけれど。

むしろ注意すべきなのは、歪んだ思想を持った官僚勢力の暴走です。我々は、官僚を選挙で選ぶことが出来ないので、彼らが暴走した場合、止めようがありません。二度の世界大戦と昭和の戦争は、そういう視点からも分析する必要があります。

集団的自衛権の是非については、こういった状況を総合的に勘案して議論すべきでしょう。個人的には、霞ヶ関の官僚勢力に乗っ取られつつある今の日本でこれをやるのは、非常に危険だと思いますけどね。

ともあれ、第一次大戦というのは、これまで見て来たように、非常に特殊な状況下で愚かな形で起きた戦争です。それゆえ、しっかりと客観的な史実を学び教訓を引き出すことが出来れば、この混沌とした世界であっても、二度と同じような悲劇は起こらないだろうと考えます。

もちろん、そのためには、正しい歴史をしっかり学ぶことが大前提です。そして、歴史をしっかりと学んだ人材が、国家の指導的立場に就く必要があります。

この論文が、そのための一助となれば幸いです。

 

おわり