朝食
『罪と罰』めぐり
ユスポフ宮殿から聖イサーク大聖堂へ
高速艇でペテルゴフへ
噴水の楽園ペテルゴフ
バスの旅
ネフスキー大通り~カザン大聖堂
グリボエートフ運河通り~ミハイロフ城
モスクワ駅
ミハイロフスキー劇場
プロコフィエフの『シンデレラ』
朝6時に起きた。朝食バイキングは7時からなので、それまでシャワーを浴びたりガイドブックを読んだりテレビを見たり。テレビ放送は全てロシア語なので、何を言っているのかさっぱり分からない。仕方ないので子供向けの動物アニメなど見たのだが、こういうのは万国共通に楽しめるね。
時間になったので朝食に出かける。フロアを階段で1階分降りて、レストランがあるはずの2階扉の前で、中年に成りかけの金髪お姉さん(客)と鉢合わせたのだが、2人ともこの扉を開けることが出来ない。俺は、「ロシアのホテルだから、開場時間にルーズなのかな。いったん出直そうかな」と気楽に考えたのだが、お姉さんはフロントまで苦情を言いに行ったので、しばらく付近で様子を見守ることにする。
やがて、帰って来たお姉さんは、ごっつい鍵束に付属している電子機器を扉横の白い板に押し当てた。すると電子音が鳴って、扉の鍵が外れたのだった。思わず、自分の鍵を見直してしまった。確かに、部屋の鍵だけでなく、別のアクセサリーが付いている。こいつがレストランの電子錠だとは、昨夜のフロントでは教えて貰えなかったぞ。ともあれ、ホテル側はこういう仕組みで、宿泊者以外の侵入(つまり食い逃げ)を防いでいるわけで、合理的と言えばその通りである。そういうわけで、店内で部屋番号などのチェックは無かった。
ともあれ、朝飯に有りつくことが出来た。しかし、品数は少ないし味も良くない。パンとソーセージが不味いのは、かなりがっかりである。サラダと果物はまあまあだったので、こっちで腹を満たした。コーヒーも不味い。全体的に、昨年のエストニアやフィンランドと同じかそれ以下である。比較すると辛くなるばかりだが、やはりチェコ飯の旨さは格別なのだな。
店内の音楽は、おそらく有線放送だろうけど、英米ポップスのカバー曲ざんまい。テレビは、アイスホッケーやサッカーなどのスポーツざんまい。
すると、こんな不味い店なのに、別の一般客用入口から学生風の若者たちがゾロゾロ上って来たぞ。ロシア人の感覚では、この味が普通なのだろうか?
首を傾げつつ、部屋に戻って小型カバンを取って、さっそく出陣する。心配していた気温は、それほど寒くなくて、セーター1枚で丁度良いレベルだ。同時期のチェコと、あまり変わらないのが意外である。地球温暖化の偉大な成果であろうか?(苦笑)
空を見上げると、今日はちゃんと晴れそうだから、屋外観光をメインにしよう。
そういうわけで、今朝の一発目は、ドストエフスキー『罪と罰』の故地めぐりだ。この世界的文学作品は、完全に架空の物語なのだが、作中に登場する地名や位置関係はかなりリアルなのである。『地球の歩き方』でも取り上げられていたので。それを参考にしながら回ろうと思う。
最寄り駅は、昨夜の乗換駅「センナヤ広場」。つまり、ここへは昨日のルートを逆行すれば良い。すなわち、地下鉄4番線の「アレクサンドル・ネフスキー広場2」から3駅西進する。
長いエスカレーターを経て、難なく地上に出たのだが、なんだか殺風景だ。土曜の早朝だからかもしれないが、人が少ない。センナヤ広場そのものも、大通りの左右が少し開けているといったスペースで、あまり広場っぽくない。そういえば、アレクサンドル・ネフスキー広場もそうだったのだが、ロシア人は「広場」の真ん中に普通に自動車道路を通す癖があるようだ。
こうして、「少し膨らんだ路肩と歩道」といった風情のセンナヤ広場を散歩したのだが、あまり楽しくなかった。「ラスコーリニコフくんが、自首を決意して大地に口づけしたのはどの辺りかな?ソーニャちゃんは、どの物陰からそんな彼を見守っていたのかな?」などと、とりあえず妄想にふけってみたのだが。
そこから西進して、ラスコーリニコフの家、ソーニャの家など見て回った。K橋(コクーシキン橋)やV橋(ヴァズネセンスキー橋)もチェックした。どれも、想像していたよりも小さかったな。そこから金貸し老婆の家を目指した。小説通りに「ユスポフ庭園」の前を経由して、それらしき場所に到達。ラスコーリニコフの家からこの老婆の家までは、ちょうど730歩の設定だったはずだが、彼の歩幅が分からないので、どうせ無駄だと思って、あえて試してみようとは思わなかった(笑)。
みんな当然知っているだろうけど、ここで『罪と罰』のあらすじを紹介しよう。
19世紀半ばのサンクトペテルブルク。貧乏ゆえに学費を払えなくなった学生ロマン・ラスコーリニコフは、アルバイトもしないで、下宿で腹を空かせながら妄想に浸る毎日。
彼の妄想に拠れば、人間には英雄と凡俗の2種類がいる。ナポレオンなどの英雄は、常に人類の長期的な未来のために行動しているのだから、虐殺などの極端な犯罪も許される。その他の凡俗は、安月給で働いたり子供を産んだりといった動物じみた行動をする小物である。そして、この両者は境界線を越えられるか否かで区別されるはずだ。自分は英雄になるために、境界線を越えてみよう。とりあえず、ムカつく金貸し老婆をブチ殺そう。
で、この妄想を実行に移したものの、殺人現場で偶然居合わせた老婆の妹を口封じに殺したり、盗んだ金品を怖くなって空き地に埋めたりと、想定外のことばかり。
良心が痛んで病気になったりするうちに、警察に目を付けられる。親友のラズミーヒンや、田舎から上京してきた母や妹、貧困ゆえに娼婦に身を落とした少女ソーニャ・マルベドーラワらとの交流の中、ラスコーリニコフは英雄への道を諦め、自首してシベリア送りとなる。ソーニャは、あくまでに彼に付き添い見守るのだった。
世界的名作文学についてこんな軽いことを言うのは悪いような気もするが、これって実は、世界初(おそらく)の「倒叙法に基づく推理小説(最初から犯人が分かっていて、犯人視点で語られるミステリー小説)」である。そのため、『刑事コロンボ』のモデルとなった(脚本家レヴィンソン&リンクが明言している)ことでも有名。そして、主人公の少年少女が罪の意識を共有して堕ちそうになる展開が、東野圭吾の『白夜行』的なのである。
ドストエフスキーの長編小説の中では、最も短くて分かりやすくて読みやすいので、未読の方がいたら、この機会にお勧めです。
さて、『罪と罰』巡りに飽きたので、普通のミーハー観光名所を目指すとしよう。
その前に、いちおう「ユスポフ宮殿」を観たいな。スマホ地図を起動して最短経路を探すと、まっすぐ北上してライオン橋でグリボエートフ運河を渡れば良い。ライオン橋という名前から期待したのだが、人ひとり辛うじてすれ違えるような狭くて小さな橋だった。いちおう、橋の両端にライオンの像が立っている。つまり、ライオン橋という名前に偽りはないのだね。
そこからまっすぐ路地を北に抜けると、いきなり黄色いユスポフ宮殿があった。しかし、こっちは裏口みたいなので、モイカ川まで北上して、河岸道路を西進して宮殿の正面に出た。この宮殿は、有名な怪僧ラスプーチンが暗殺された場所である。館内見学時に追加料金を払えば暗殺現場に行けるようだが、そこまでする必要はないだろう。宮殿を観たことに満足して、その場を去る。
それにしても、センナヤ広場からユスポフ宮殿まで、ほとんど路上に人がいなかった。ユスポフ庭園前のサドーヴィヤ通りに、多少の歩行者がいて、悪臭を振りまく浮浪者が一人いたくらい。どうも、サンクトペテルブルクは、全体的に生活感が薄い街である。ヴェネチアやチェスキー・クロムロフを思い出す。実は、過疎化しているのだろうか?
などと考えながら北東方面に歩いていくと、美麗なお寺が見えて来た。これが、「聖イサーク大聖堂」だ。大型観光バスが付近を行き来しているから、この場所からがミーハー観光名所なのだろう。なんとなく安心した。
昨年のエストニア&フィンランド旅行で思い知ったのだが、ロシア風のお寺も、なかなか美しくて心惹かれるものがあるよね。
聖イサーク大聖堂を外から見学してから、その正面に広がるイサーク広場のベンチでしばらく休憩。ようやく人出が多くなって来たけれど、そのほとんどが白人系の外国人観光客だ。スマホの時計を見ると、午前10時近い。そろそろ、本日のメインイベントである「ペテルゴフ」を目指すとするか。
聖イサーク大聖堂から東進すると、北側の公園の向こう側に黄金の尖塔が見えて来た。これが、旧海軍省の建物らしい。やがて前方に緑色の瀟洒な巨大建築が見えて来た。おお、エルミタージュ美術館だ。ここには、明日行く予定である。それにしても、エルミタージュ。夢にまで見た景色なのだが、実際に来てみると呆気ないものであるなあ。
とりあえず、ネヴァ川を目指すとしよう。ペテルゴフまで、ネヴァ川の船着き場から海路で向かうプランなのだ。そこで、海軍省大通りから左折し、ネヴァ川に架かる宮殿大橋に向かう。
ペテルゴフとは、サンクトペテルブルクから西に40キロほど行った先の、バルト海沿岸にある大宮殿、すなわちピョートル大帝の夏の離宮である。バスや鉄道でも行けるようだが、どうせバルト海沿いなのだから、海路上陸したいのが人情というものだ。
川辺まで来ると、オレンジ色の服を着た集団がそこかしこで呼び込みしている。これは何の営業だろうと思いきや、まさに高速水上バスの呼び込みなのであった。黒人の若者(ロシアにもいたのか!)に英語で話しかけられたので、ペテルゴフ行きの高速艇に興味があるのだと告げたところ、「スペシャルかスタンダードか」と聞いて来た。「スタンダードで良い」と返事したら、そこで会話の流れが止まった。「乗り場はどこ?」と尋ねたら、海軍省前の川沿いを指さして教えてくれる。「チケットはどこで買えるの?」と聞いたら、乗り場でも買えるという。相方の白人姉さんが、ハンディタイプのチケット発券機を持って近くにいるのだが、なぜか積極的に営業しに来ない。っていうか、「ここで買えば割引になる」とか無いんかい?むしろ、ぼったくりの懸念もあるので、彼らと別れて船着き場に向かった。
「ロシア人(?)は、あんまり営業が上手ではないなあ」と首を傾げつつ、船着き場に到着。なかなか混んでいる。次の船は15分後だから、ナイスタイミングではある。チケット売り場で往復券を買おうとしたら、なぜか売っていないという。ならば片道でも良いかと、850ルーブルでチケットを買った。乗り場へは、金属探知ゲートと自動改札機を通らねばならないのだが、これはチケットのQRコードを読ませる仕様だった。不慣れな俺がモタモタしたので、周囲の観光客の皆さんに迷惑をかけてしまったぞ。
高速艇は、かなり高さ低めのスマートボディだ。こういう観光船に在りがちなオープンエアの展望室のようなものはなく、完全に密封されて飛行機のようになっている。座席は完全指定制で、俺は後方ブロックの前方中央付近に座った。途中の通路でこの船会社のパンフレット(英語版)をいくつか取ったので、座席で読んでみたところ、運河めぐりとか、いろいろなツアーをやっているんだな。時間があれば、試したいところだが。
10:30の定刻通りに船は出発。バルト海へは、大ネヴァ川を通ってまっすぐ西進するかと思いきや、北上して小ネヴァ川に向かう。ペテルゴフに行くには遠回りという気がするが、そういう航路であるなら仕方ない。そして、船窓から見上げるように眺めるサンクトペテルブルクも悪くないね。市街の北部には、巨大なスポーツ施設(おそらく、サッカーのワールドカップで使った)や近代的なオフィスビルが並んでいて興味深い。ロシアは、何気に発展しているのだなあ。ロシアびいきなので、なぜか安心する俺様であった。
小ネヴァ川を抜けて外海(フィンランド湾)に出ると、とたんに波が荒くなった。横波で舷側が洗われるというレベルでなく、船全体が完全に波を被るのである。なるほど、オープンエアの展望台が無いわけだ(海に落ちて死んでしまう)。むしろ、揺れすぎて気持ち悪くなって来たぞ。俺は乗り物には強い方だが、これはキツい。周囲の客たちも、必死にやせ我慢している風情だ。そして、バルト海は汚い。とにかく、水が露骨に茶色いのである。きっと、生活排水などの汚水が、ロシアのみならず、バルト三国やポーランド、北欧諸国やドイツから流れ込んで滞留しているんだろうな。
この船旅では、史上有名なクロンシュタット軍港(フィンランド湾沖合いの島にある)を視認したかったのだが、さすがに距離があるためだろう。見ることが出来なかった。
船酔いがどんどんキツくなり、「これは、往復チケットを買わなくて大正解だったな」とほとほと嫌になったところで、船はようやくペテルゴフの波止場に到着した。到着まで45分かかったぞ。
船を降りたら、異様に寒かった。空気が冷たい上に、海辺だから風が強いのである。ジャケットをホテルに置いて来たのは失敗だったかな?と悩みつつ、内陸に入れば暖かくなることを期待しつつ、桟橋の出口にあるチケット売り場に並んだ。
船から降りた人が、みんな同じ場所に並ぶのだから(この船着き場からだと、ペテルゴフに入る以外の選択肢はないのだが、ペテルゴフは有料)、かなり混んでいる。ただし、売り場のインフォメーションはかなり貧弱で、そもそも何を買えるのかはっきり書いていない。周囲の観光客が、困って俺にいろいろ聞いてきたが、俺だって自信ないよ。とりあえず窓口で交渉して、一番安い「下の庭園」のチケットを900ルーブルで買った。それから、金属探知ゲートとQRコード自動改札機を経て、ついに庭園に入ったぞ。すると、とたんに海風が止んで、ようやく暖かくなって来た。
なんだかんだで、もう11時半だ。混まないうちに昼飯でも食おうかと思って、カフェや屋台を覗いてみたものの、ハンバーガーやホットドッグしか売っていない。ロシアまで来て、アメリカ飯はちょっとなあ。考えてみたら、船酔いの余韻で腹はあまり減っていないのである。ならば後回しにして、観光を優先しよう。
周囲の観光客は、中国人が大半だ。ここでようやく、中国人の群れに出会ったぞ。ロシアには、何らかの事情でいないのかと思ったけど、やっぱりそんなこと無いのだね。
中国人の群れを掻い潜って奥まで歩くと、巨大な噴水群に彩られた宮殿が見えて来た。すごい迫力。さすがはピョートル大帝の宮殿だ。周囲を散策して、広大な施設を見て回る。様々なバリエーションの美しい噴水が目に優しい。これは、その気になれば1日いられそうだぞ。
この宮殿は約300年前に出来たのだが、当時はもちろん電気は無かった。つまり、この膨大な噴水全てが、サイホンの原理などの自然法則だけで動かされているわけで、なかなか当時のロシアの技術力は侮れないものがある。さすがは、人類初の有人宇宙飛行を成し遂げたり、世界最初の人工衛星を打ち上げた国柄だけのことはある。
ところどころに白黒の写真パネルが立っているので、何だろうと思って読んでみると(ロシア語表記のみだから、基本的には読めないのだが)、どうやら「ナチス侵略によって跡形もなく破壊されたこの宮殿を、1944年に奪還してから1988年までかけて修復した」との展示だった。廃墟と化したこの宮殿から、無数の死体(おそらく、ナチスによって殺害されたユダヤ人など)を掘り出す写真もあって、なかなか痛ましい。そういえば、ナチスドイツは、この辺りまでは完全に制圧したんだね。こんな噴水まみれの宮殿なんて、戦略的に何の影響もないだろうから放っておけば良さそうなものなのに、わざわざ壊しまくるところが、さすがは偏執的なナチスではある。
それにしても、広大なだけでなく、様々な工夫があって本当に楽しく美しい公園だ。それを見下ろすように立っている宮殿は、どうせ再建された奴だし、今回は「下の庭園」のチケットだけで(宮殿内部には入れない条件だが)十分だったな。
公園施設内の主要な名所を見終えると、時刻は午後1時だ。そろそろサンクトペテルブルクに戻るとしよう。海路はもう懲り懲りなので、ペテルゴフの南側の自動車道に出て、バスで帰ることにした。
ペテルゴフの南側の出入り口は2か所あって、どれも狭い路地を経由する形だ。やっぱり、金属探知ゲートと警備員が付いている。あらゆる施設のあらゆる出入口に、必ず金属探知ゲートと警備員がいるのは驚きだが、ロシア人は、日本人が持っている一般的なイメージと違って、一度決めたら徹底的に妥協せずにやり抜く精神性の持ち主なのかもしれないね。
そんな出口から外に出ると、南側にも巨大な公園があって、やっぱり美しい噴水ざんまいである。こっちは、無料で見られるというわけか。お金が無いときは、こちら側だけ散歩するだけでも十分に楽しそうだね。
ようやく広大な宮殿敷地の門を抜けて、自動車道に出てきたぞ。この道を西に走って行けば、懐かしいエストニア。東に走って行けばサンクトペテルブルクだ。もちろん、今回は東を目指す。
大通りをバス停目指して歩いていると、チアガールのコスプレをしたロシア人のお姉さんに、「こんにちは!」と日本語で声を掛けられた。何が目的か分からないので、「さよなら!」と声を返して足早に立ち去った。後に分かることだが、ロシア全域で「コスプレ集団が、観光客と記念写真を撮って、その写真を売りつける」ビジネスが大流行のようで、このお姉さんはその一味だったに違いない。それにしても、お姉さんはどうして俺が日本人だと分かったのだろう?この街で見かけた黄色人種は、ほとんど中国人だったけどな?
前述のように、観光客の個人情報は、全てロシア政府に完全掌握されている。その気になれば、俺を尾行することなど容易なのだ。実はあのお姉さん、プーチンが差し向けた刺客だったとか?(笑)
気を取り直して旅を続けよう。ロシアのバス停は、ポーランドなどと同様、一つの停留所にかなりの種類の路線が停まるので、慣れないと利用しにくい。ただし、料金は物凄く安くて、初乗り40ルーブル(約60円)が相場である。それに、路線数や本数が多いのは、使い慣れれば物凄く便利ということを意味する。そればかりか、マルトーシカと呼ばれる乗合タクシーが、頻繁にやって来る。こちらは、バスより料金が少し安めだが、方向と目的地が合わないと使えないと言う弱点があるから、外国人観光客にはハードルが高いね。
いずれにしても、『ポーランド旅行記』でも書いたけど、これこそ旧社会主義国の優位性(弱者に優しい)であって、「日本も少しは見習え!」と言いたい。日本は、福祉の世界でも劣化を続ける一方だからな。消費税の軽減税率が8%だとか中途半端なことを言っている前に、生活インフラ料金全般の高さを何とかするべきではなかろうか?
さて、356番バスがやって来たので、深く考えずに乗りこんだ。車掌が見当たらないけど、お金は払わないでも良いのかな?実は、車掌がいない場合は、「運ちゃんに声をかけて直接払うシステム(チェコと一緒)」なのだが、この時はその仕組みに気づかなかったので、すんなりただ乗りしてしまった。その天罰なのだろうが、バスはすぐに自動車道から右折して、南側の奥まったところにある鉄道駅の前で終点となった。バスから降ろされて、駅前広場で呆然としたのだが、この手の行き違いは、まあ良くある話だ。
仕方ないので、眼前の鉄道駅を観察する。宮殿風の美麗な駅舎に「新ペテルゴフ」と書いてあるぞ。つまり、これが鉄道利用観光客の最寄り駅と言うわけか。しかし、閑散として人の気配がない。おそらく、運行本数が少ないのだろう。この際だから、鉄道でサンクトペテルブルクに帰るプランを思い付いたのだが、肝心の列車が来なければ無意味だし時間の無駄である。
そこで、356番バスが逆方向から来るのを待って、元の道を引き返した。今回はちゃんと運ちゃんに40ルーブル支払ったせいなのか、難なくさっきの自動車道に帰って来たぞ。ペテルゴフの前まで戻るのは無駄なので、大通りに戻ってすぐの場所でバスを降りて、最寄りのバス停に立った。
相変わらず生活感は乏しいけれど、郊外であっても、実に美しい街だな。ロシアがこんなに美しい国だとは意外だった。「来てよかったな」と、こういう時に実感する。
やがて、『地球の歩き方』で紹介されている200番バスがやって来た。これなら、確実にサンクトペテルブルクに戻れるはずだ。車両2つを縦につなげたトロリーバスの後部から乗りこんで車掌を探したのだが、見当たらなかった。「これも運ちゃんに払うパターンかな?」と、前方運転席に向かったところ、背後から制服を着た小太りのオバサンに声をかけられた。いったいどこに隠れていたのか、車掌登場である。彼女は、片言の英語で「地下鉄駅まで行くの?」と聞いて来たので、「そうだ」と答えると、オバサンはハンディ端末を操作して「80」という文字を表示させた。そこで80ルーブル支払うと、小さな紙チケットを端末から発券してくれた。目的地まで40キロの長距離だから、相場(40ルーブル)の2倍になるらしい。それでも、物凄くリーズナブルだと思う。80ルーブルって、日本円で120円くらいだぜ。
用が済むと、車掌のオバサンは手近な客席に座って、隣の乗客と雑談を始めた。なるほど。いつも客に混ざって座っているから、最初見つけられなかったというわけだね。緩いというのか何というのか。
俺も、手近な座席に座って車窓の景色を楽しんだ。個人旅行は、こういう時間が一番楽しくて心が安らいだりする。それにしても、車窓から目にする道路、公園、建物、とにかく本当に美しい。
我が会計事務所のクライアントの社長に、ロシア旅行が大好きな人がいるのだが、今回の俺の旅行についていろいろとアドバイスしてくれつつ、「ロシアの美しさは、一般の日本人から過小評価され過ぎている」と力説していたのだが、まったく同意である。
途中の公園のバス停から、警官風の制服を着た少女たちが大勢乗って来た。ボウイスカウトか何かなのかな?聞いてみようかと思ったけれど、おそらく言葉が全く通じないだろうから諦めた。
ロシアは、事前の想定よりは英語が通じる国ではあるが、チェコやフィンランドなどのEU圏の国々に比べると明らかに英語ニーズが小さいので、基本的には英会話は無理だと考えた方が良さそうだ。そもそも、俺はキリル文字がほとんど読めない。サンクトペテルブルク市内の主だった場所では、キリル文字下に小さく英語表記があったりするのだが、それを郊外で期待する方が間違いだ(実際に、ペテルゴフでは、全てキリル文字表記だった)。
それでも、俺はロシア語(正確にはスラブ語。つまりチェコ語やポーランド語を含む)の抑揚が大好きなので、朝からひたすらロシア語だけを耳にする生活は、それだけで快感である。だったら、ロシア語をちゃんと覚えれば良いのだが、なかなか余裕が無いのである。
なお、帰国後に日本人の友人連中から、「ロシア人はみんな体が大きいだろう」とか「女性は美人ばかりだろう」とか聞かれたけれど、そうでもない。身体のサイズはオランダ人の方が明らかに大きいし、女性も美女とそうじゃないのが半々と言ったところだ(ポーランドの方が、明らかに美人が多かった)。
ロシア人って、大雑把に言わせてもらうと、外見的印象はチェコ人に良く似ていると思う。元々は同じスラブ民族なのだから当然なのかもしれないが。ただ、チェコ人はユーモア好きで軽妙なところがあるのに、ロシア人は糞真面目で、諸事に付けて余裕がないように見える。なるほど、ラスコーリニコフを生む国だけのことはあるな。
などと考えているうちに、約1時間が経過し、バスは混雑する大通りに入って来た。車窓から地下鉄駅「アフトーヴォ」を確認して、そこでバスを降りた。
さて、1号線の「アフトーヴォ」駅に、昨夜買ったジェトンで入る。ここは、白亜の宮殿風の、びっくりするくらい美しい駅だ。旧ソ連は、どういうわけか地下鉄を綺麗にすることで権威付けをしていたようだが(サンクトペテルブルクの地下鉄は、1950年代のフルシチョフ時代に整備された)、やはり「労働者の天国」とか、そういったイデオロギーがあったせいだろうか?
列車に乗って駅から去ってしまうのが心残りな美しさではあるが、1号線から2号線を乗り継いで、「ネフスキー大通り」駅で降りた。とりあえず、今夜見に行く予定のバレエの会場を下見に行くことにする。
グリボエートフ運河通りに出たつもりで、ネフスキー大通りに出てしまった。地上に出てから方向が分からなくなるのは、地下鉄あるあるである。そういうわけで、芸術広場に入るつもりが、間違えてオストロフスキー広場に入ってしまった。道を完全に勘違いしているのだからどうしようもない。目的地に着けないことに焦り、スマホ地図を起動したところで、ようやく間違いに気づいたので、とりあえずネフスキー大通りを西進する。
この大通りは、サンクトペテルブルク最大の繁華街だけに、物凄く人が多い。外国人観光客のみならず、現地人もみんなここに集まっている感じだ。ようやく、生活感漂う普通の街らしくなって来たぞ。おまけに、プラハに負けないくらいに、美しい個性的な建物や教会が多い。
沿道の「カザン大聖堂」に心惹かれたので、入ってみよう。その入口付近に、茹でトウモロコシの屋台があったので、腹ごしらえだ。考えてみたら、俺は今日、昼飯食ってないのだよ。お値段100ルーブル。中央アジア系の陽気なお兄さんに、塩をたっぷりかけて貰った。空腹だったせいもあるけれど、ジューシーで甘みがあって、かなり美味い。カザン大聖堂の庭園内のベンチに腰掛けて無心に食べていると、近くの白人たちがヤポーニャ(日本人)うんぬん喋っている。この付近に黄色人種は俺しかいないので、俺の噂話をしているのかな?まあ、どうでも良いけどね。
腹ごしらえが済んだので、カザン大聖堂をじっくり眺める。中にクツーゾフ将軍の遺体があるらしいけど、どうしようかと悩みつつ、結局その場を去った。1812年にナポレオンを懲らしめたオジサンの遺体がそんなに好きかと言うと、そうでもないのだった。
さて、当初の目的に沿って、「ミハイロフスキー劇場」の下見に向かう。ネフスキー大通りを北に渡ると、美麗な本屋兼土産屋(ドム・クニーギ)があった。心惹かれて入ってみると、なかなか品ぞろえ豊富で楽しいぞ。ついつい、ソ連時代の秘密警察風の帽子と、職場土産のチョコレートを買い込んでしまった(計1,080ルーブル)。
店の外に出て、グリボエートフ運河通りを北上。嫌でも目に入る「血の上の救世主教会」を見に行く。ここは観光のメッカであるらしく、運河沿いには様々な屋台が並び、土産物を売っている。土産の定番は、やはりマトリョーシカ人形なのだね。俺も、いくつか買って帰る予定ではあるが。
アレクサンドル2世が暗殺された場所の上に立ったという「血の上の救世主教会」は、尖塔の一部が修復中だったのが残念。それでも、周囲は外国人観光客で鈴なりだった。確かに、これぞロシア!といった、「お菓子の家」風のお寺ではある。
それにしても、寄り道ばかりしているな。まあ、楽しいんだから仕方ない。
運河沿いに南下し、機を見て左折する。ここから1ブロック東が、「ミハイロフスキー劇場」のはず。すると、ポスターがたくさん貼られている一角が見えたので、たぶんここだろう。ベージュ色のただの邸宅に見える劇場は、扉は全て締め切られているし、物凄く地味な雰囲気なので不安になるが。
とりあえず、会場下見に成功したので、しばらくその正面に広がる芸術広場を散策し、プーシキンの銅像に挨拶する。この広場を囲んで、美しい美術館や博物館が並んでいる。ロシアはやはり、芸術と文化の国なんだねえ。と感心しつつ歩いていると、周囲に人がほとんど見当たらなくなった。ネフスキー大通りとグリボエートフ運河通りを外れると、一気に生活感が無くなるとは、サンクトペテルブルクは実に不思議な街である。
とりあえず、「ミハイロフ城」に興味があるので東に向かって歩こう。ちょうど喉が渇いたところで、公園の東端にジュースの屋台があった。おや、クワスのペットボトルが飾ってあるじゃないか。そこで、小太りの売り子のオバサンに「クワスちょうだい」とロシア語で言ったら、心なしか嬉しそうな顔になって、冷蔵コンテナを開けて探してくれた。危ない。クワスの在庫は、最後の1本だった。75ルーブルで買って、オバサンにお礼を言ってから東を目指す。飲み歩きをすると、黒パンの香りが五臓六腑に染み渡るぜ。これを飲んだのは、15年ぶりかな。あの時は、ハリウンちゃんに連れて行って貰ったウランバートルの屋台で、タンク入りのを飲んだのだった。
クワスといっても、何のことか分からない人が多いだろうから説明する。これは、黒パンを発酵させて作る、ロシア特産のジュースなのだ。発酵飲料ではあるが、ヨーグルトみたいなもので、アルコール度数はゼロに近い。癖はあるけれど、独特の酸味がたまらないのである。なんだか、純度の高い栄養補給をして健康になれるような気がするのだ。
ぶらぶら歩いているうちに、ピョートル大帝の騎馬像に出会った。その向こうにあるピンク色の建物がミハイロフ城だろう。パーヴェル1世が建立したのだが、自らがこの場所で暗殺されたという不吉な場所である。そのせいか、観光客はほとんどいないし、全体的に地味である。いちおう、中は有料の美術館になっているようだが、美術は明日死ぬほど見る予定だから、今日はパスだ。
城の敷地を出て、東へ進むとフォンタンカ川に出た。ここに架かる橋を東側に渡ってから、川沿いに南下して、シェレメチェフ宮殿など外から見学しているうちに、ネフスキー大通りに帰って来た。ここまで来ると人が多いので、なんだかほっとする。人が少ない場所だと、悪人に襲われた場合に助けを呼べないリスクがあるのだ。
もっとも、これまでの印象では、ロシアは事前の想定より遥かに治安が良い国である。チェコやポーランドと同等である。元々社会主義国で、同じ民族集団だから?
ネフスキー大通り沿いに東に向かって歩く。とりあえず、国鉄「モスクワ駅」を見に行くのだ。
その途中、「ナチュラ・シベリカ」という化粧品屋を見つけて入ってみた。女友達から、いろいろ買い物を仰せつかっていたのだ。ところが、買い物リストをホテルに忘れて来たので、今日のところは下見に留めざるを得なかった。
そこから少し東に行くと、宮殿風の「モスクワ駅」が見えて来た。周囲を散歩したのだが、中国人の団体観光客で溢れているので、駅構内散策プランは棄却せざるを得なかった。駅周辺には、お洒落なブティックや美しいスーパーマーケットもあり、垢ぬけた一角である。
なお、サンクトペテルブルクの国鉄駅の配置は、ロンドンなどと同じである。すなわち、市街中心を外れたところの外周円に沿うように、各方面行きの駅が配置されている。ただし、ロンドンの駅よりも分かりやすい理由は、駅名がすなわち方角や最終目的地を示すからだ。すなわち、「モスクワ駅」は、モスクワへと南下する列車が出る。「フィンランド駅」はフィンランドへ向けて北行する列車が出る。「バルチースキー駅」は、バルト海沿いに西のエストニアへ向かう列車が出る(ペテルゴフも通る)。これなら、利用者は方向や行き先を間違えっこないので、とても便利である。ロンドンも、少しは見習え!(笑)
さて、時計を見ると17時半だ。バレエ開演の19:30まで中途半端に時間が余っているので、いったん荷物を置きにホテルに帰ることにしたのだが、モスクワ駅から地下鉄を使うとわずか1駅である。ジェトン代がもったいないので、歩くか(どケチ)。
そのままネフスキー大通りを東南方面に歩くと、約3キロでホテルだ。歩きながら、沿道のお店を観察するのが楽しい。餃子(ペリミニ)専門店を見つけたので、余裕があれば行ってみようかな。
ホテルの部屋に入って時計を見ると、18時を回っていた。これからレストランで夕飯を食ったら、ちょうど良い頃合いか。
部屋の机を見ると、今朝がた置いておいたチップが、そのまま残されていた。ロシアにはチップの習慣がないらしいが、いちおう感謝の気持ちで置いておいたのに、そのまま放置とは。結局、この旅行の全日程にわたって、チップは全く受け取って貰えず、そのまま財布に戻ることになった。他の国では有り得ない話だが、これもロシア的生真面目さの一端であろうか?
とりあえず10分ほど休んで、荷物を軽くしてから再度出発した。今回は、「アレクサンドル・ネフスキー広場1」駅から3号線で、「ゴスチーヌイ・ドヴォール」駅まで行った。ちなみに、「ゴスチーヌイ・ドヴォール」というのは、この地下鉄駅の上に建つ、美麗な老舗デパートのことである。
さて、地下鉄は使いやすくて便利なのだが、駅間が広いせいで小回りが利かない。そればかりか、前述のように、駅のエスカレーターが異様に長くて深いので、想定以上に出入りに時間がかかる。ここは、バス移動も視野に入れるべきだろうか悩むところである。
「ゴスチーヌイ・ドヴォール」駅から、『地球の歩き方』に出ていたレストランを目指したのだが、地図の場所に無かった。『歩き方』にスカされるのは良くある話で、俺はもはや慣れっこだ。しかし、今から他のレストランを探すとなると、バレエの開演時間に間に合わないかもしれぬ。
冒険ではあるが、劇場内の軽食を当てにすることにした。まっすぐにミハイロフスキー劇場に行くと、開場しているはずの時間なのに、相変わらず扉は全て閉まっている。しばし建物の前で戸惑っていると、客らしき一団がやって来て、扉を自ら押し開けて中に入って行った。なるほど。エストニアやフィンランドと同じで、寒い国の特徴として、扉は基本的に閉じているのである。開場時間になると扉を開けっぱなしにする日本の感覚とは、まったく違うのである。
ところで、ミハイロフスキー劇場のチケットは、劇場ウェブサイトで事前に入手済みであった。ちゃんと、サイト上で料金を調べながら席を押さえられる仕様だった(8,189円)。そして、クレジットカード払いしたQRコード付きチケットは、メール添付のPDFファイルですぐに送られて来た。そればかりか、今朝早くに劇場からメールが来て、開演日が本日19時半であることを、しっかりとリマインドしてくれたのだった。
この点でも、「日本は見習え!」である。相変わらずチケットは紙でなければならず、その紙チケットは、郵送してもらうかコンビニに別途手数料を払わなければ入手できないとか、いったいどこの後進国だ?と首をかしげてしまうわい。
気を取り直して、木製の重い扉を押し開けて劇場に入る。いきなり金属探知ゲートと警備員がいるぞ。徹底しているなあ。これはこれで、感心する。
そこを抜けると、お洒落な広間だ。上品な係員さんたちが、笑顔で待っている。手近なお兄さんにスマホを見せて、PDFチケットのQRコードをハンディ端末で読んでもらう。なかなか読めないのは、省エネモードで光が弱いから。お兄さんはそれを指摘して、流ちょうな英語で、スマホの光源の強め方を指導してくれた。「これからもこの機能を使う機会は多いだろうから、ここでしっかり覚えてね」と、優しい。ついでにパンフレットを求めたところ(500ルーブル)、「ロシア語版と英語版の2種類しかありません。あなたは見たところ、その、ええと、たぶん英語版かな?」と、あくまでも気を使った上品な対応が心憎い。もちろん(残念ながら)、英語版を入手した。
お兄さんにお礼を言って、その隣の階段を上がる。俺の席は2階なのだ。しかし、構造が複雑すぎて、自分のブースが分からないぞ。そこで、やはり上品な雰囲気の係員を捕まえて自分のスマホチケットを見せた。すると係員のお姉さんは、「あなたの席は、すぐ近くです。だけどまだ準備中だから、しばらくサロンで待っていてね」と、英語で説明してから待合室に案内してくれた。
確かに、まだ18時45分ではある。腹ごしらえするにはちょうど良いと思いきや、美麗な待合室の軽食コーナーにはワインやジュースとケーキしか置いてないぞ。ケーキかよ!
「これは、今夜の夕飯は諦めるか、あるいは深夜のコンビニだな」と俺は絶望したのだが、軽食コーナーに並ぶお客さんたちは、小さな女の子を連れたロシア人の家族連れが多い。なるほど、子供が多いからケーキがたくさん有るのだね。みんな、自分の娘をバレリーナにしたい人たちなのだろうか?
ロシア人の少女はみんな物凄く可愛いので、それだけで眼福であるわけだが。もう、俺様お腹いっぱいです。ご飯なんか、食べなくても大丈夫!(笑)
それでも、往路の飛行機でゲットしたチョコレートやクッキーを腹に入れた。不味い機内食には、必ずお菓子が付いて来るけど、それを捨てずに保存しておくと、こういう時に役に立つのだ。
開演時間が近くなったので、さっきのお姉さんを捕まえて座席まで案内して貰った。いよいよ、人生初の生バレエ鑑賞である。しかも、ここは本場の一等地だぜ。
2階のバルコニー席だから、なかなか眺望が良い。俺の右隣は、ロシア人のオバサン2人組。左隣はロシア人の家族連れで、すでに酒臭いお父さんが俺の横に座った。意外と、外国人観光客は見に来ないんだね。もっとも、ミハイロスキー劇場が前衛的で、ややマイナーだからかもしれない。外国人向け団体ツアーは、もっと大きくてメジャーな「マリインスキー劇場」に行くのだろうな。
俺も、最初はマリインスキー劇場に『白鳥の湖』を見に行こうと思ったのだ。しかし、どういうわけか我が滞在期間中だけ休演日。次善の策として、ここミハイロスキー劇場でのプロコフィエフ『シンデレラ』を選んだのだが、結果的に大成功だ。
オーケストラが、ボックスで生演奏してスタート。グリム童話そのもののシンデレラの物語が、バレエ形式で語られる。いきなり驚いたのは、3Dプロジェクターを用いて、前幕と後景にCG映像を流しまくること。さすがは、前衛劇団だけのことはあって、時代の流れに乗っているのだね。
また、元々知っている物語だからかもしれないが、とても分かりやすい。バレエという芸術の特徴は、「セリフが無い」ことだ。全てを踊りだけで表現するのだから、演者の難易度は物凄く高い。逆に、観客からすれば、言葉の壁を超越出来て分かりやすいのだ。
3年ほど前に、プラハの国民劇場で、仲間たちと一緒にヤナーチェクのオペラ『利口な女狐の物語』を見たことがある。事前にストーリーを知っていたから何とかなったけど、チェコ語のセリフは聞き取れないし、席が舞台から遠かったために英語字幕も読み取れなかったので、途中で退屈になって寝落ちした(笑)。オペラには、言葉の壁がある。その点、バレエは終始無言だから、踊りだけ見ていれば良い。そして、意外とスピーディーで緊張感があるから、眠くもならなかった。
約2時間半の演目だが、15分間の途中休憩が3回もある。たぶん、激しく踊るバレリーナを休ませる必要があるからだろうね。俺はそのたびにサロンに行ったり、あるいは1階席に移動して劇場の内装など見学したのだが、2回目の休憩の時に、軽食コーナーでサンドイッチを売っていることに気付いた。休憩のたびに出し物を変えて来るとは意外ではある。この時は、長い行列に並ぶ気になれずにパスしたのだが、3回目の休憩で早めに並んで、サラミのサンドイッチと赤ワインを買った(850ルーブル)。わあい、夕食ゲットだぜ。高めだけど、場所が場所だけに仕方ないね。
この時に、売り子のお姉さんに半分英語、半分ロシア語で話しかけたら「あなた、何語で喋っているわけ?中途半端なことは止めてよね!」と真顔で怒られた。ロシア美女に怒られるのはある種の快感だが(どM?)、反省したので、次からは英語オンリーで押し通すことにした(苦笑)。
空腹だったせいもあるだろうが、サンドイッチは非常に美味かった。赤ワインは、イタリア産とスペイン産を選ばせる仕様で、俺はイタリア産にしたのだが、やはり美味かった。これも「日本は見習え!」である。日本の劇場は、高い割にはろくなものを出さないからな。
さて、クライマックスの第4幕で、とんでもない演出が待っていた。シンデレラを探し求める王子様は、なんと世界旅行に出かける。それも、ブラジルとかトルコとか、癖のある場所ばかり。それぞれの国のお祭りにクルクル回りながら乱入し、美女の足に縋り付いて靴を確認する王子様と、それをボコボコにぶん殴る周囲の男たち!こういったシーンが、滑稽な音楽とユニークなCG映像に支えられながら、何度も繰り返される。
俺は笑いを堪えるのに必死だったのだが、周囲のロシア人観客は、みんな真面目に静かに見ているぞ。ここで笑わないのがロシア文化なのか?首をかしげていると、前席にいた一人のオジサンが、たまらず「ぷーっ」と吹き出した。やっぱり、みんな笑いたいんだよね?それを我慢するロシア人たちは、本当に生真面目だなあ。
その後、無事に原作通りのハッピーエンドを迎えて終幕となった。みんな拍手喝采である。いやあ、実に面白かったな。劇場のインフラも、諸事万事レベルが高かったし。ぜひ、また見に来たいものだ。
とりあえず夕飯にも有りついたし、楽しい気分のままに、ライトアップされた「ゴスチーヌイ・ドヴォール(老舗デパート)」から地下鉄3号線に乗ってホテルに帰った(この時、ジェトンを4枚買い足した)。
さすがに朝から大冒険の連続だったので、その日はすぐに寝たのは言うまでもない。