歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論 PART7 > 203高地
制作;日本
制作年度;1980年
監督;舛田利雄
(1)あらすじ
1904年冬、日露戦争が始まった。
トルストイを愛好する文学青年・古賀(あおい輝彦)は、徴兵に応じて満州に出征する。乃木第三軍の一翼として旅順要塞攻略に出陣した彼の前に広がるのは、想像を絶する地獄のような戦場であった。
(2)解説
日本最高の戦争映画だ。
日本製の戦争映画は、はっきり言って、これ一本見れば十分である。
歴史マニアの視点から見ても、完全に納得の行く当時の軍隊や戦場の姿が描かれる。また、人間ドラマと史実が対立するような場合、必ず後者を優先させるような脚本の真面目さに好感が持てる。しかも、この映画で展開される歴史観は、かなり客観的で公平で、しかも科学的である。
実はこの当時、歴史作家・司馬遼太郎の歴史論(司馬史観)が流行していた。たとえば、日露戦争を描いた『坂の上の雲』では、「乃木将軍無能論」がしつこく展開されていて、それが通説のようになっていた。そして、エリートを自認するこの世代の人たちは、みんな司馬史観こそが歴史の真実だと思い込んでいたのである(今でも基本的には同じ)。
私は、若いころに初めて『坂の上の雲』を読んだとき、「読みやすいけど、嘘ばかり書いてある本だな。しかも、物語の構成が途中で破綻した失敗作じゃん。なんで、こんなのがエリート層のバイブルなんだ?この国の偉い人って、実はみんなバカなのか?こんなことでは、この国の政治と経済は、いずれ崩壊するだろうな」と感じた記憶がある。オイラは、子供のころからヒネくれた性格だったんだねえ(苦笑)。でも、その時に抱いた悪い予感は、後に完全に的中したわけだが(泣)。
そんな私が、映画『203高地』を高く評価する理由は、これが司馬史観全盛時代に製作された映画であるにもかかわらず、司馬史観から自由だからである。
この作品内の乃木希典(仲代達也)は、司馬遼太郎が描くような愚鈍でアホウな無能者ではない。「人情が篤すぎて非情に成り切れず、それが結果的に戦局を不利にして兵士たちに余計な犠牲を出してしまい、その事実に苦悩する好人物」として描かれている。
その一方で、彼の親友でありライバルでもある児玉源太郎(丹波哲郎)は、「心が冷酷非情であるがゆえに、過酷な命令を迷うことなく発して戦局を優位に進めることで、結果的に兵士の犠牲を減らす」人物として登場する。
この解釈は、近年の反司馬史観主流派の主張と多くの面で合致しており、1980年の映画にしてはその先見の明の深さには驚いてしまう。私も、あの実際の戦場はそういうものだったと思う。
指揮官たちの描き方だけではない。この映画は、苦悩する最前線の兵士たちを描いた青春群像劇としても秀逸である。後に世界中の戦争映画で描かれる全ての良質なドラマ要素が、この中に詰め込まれていると言っても過言ではない。
「司馬史観」の最大の問題点の一つに、「上から目線」というのがある。彼の小説の主人公は、ほとんど偉い人かインテリで、無学で弱い庶民は、多くの場合、意図的に作中で無視されるのだ。そういうわけで、小説『坂の上の雲』でも、庶民や下級兵士の姿は完全に無視され忘却されている。だからこそ、最前線の兵士たちの苦悩を描いた映画『203高地』は、この弱点を補った作品という意味でも有益だろう。
しかし、同じ監督とスタッフで、後に制作された『大日本帝国』は駄作だった。太平洋戦争がテーマだと、時代が近すぎて、スタッフが冷静になれなかったということだろうか?あるいは、『203高地』が、たまたま偶然出来が良かっただけなのだろうか?
こういった品質のブレを補正するために開発されたのが、今のハリウッドシステムであり、その亜流の製作委員会システムである。その功罪について、これから少しずつ語って行くことになるだろう。