歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論 PART7 > おろしあ国酔夢譚
制作;日本
制作年度;1992年
監督;佐藤純彌
(1)あらすじ
江戸時代の天明2年(1782年)、伊勢から江戸へ向かう商船「神昌丸」は、嵐に遭難して黒潮に流され、ロシア領カムチャッカ半島に漂着した。
大黒屋光太夫(緒方拳)以下9名の生き残りは、帰国を賭けて厳寒の中をペテルブルクに向かい、イルクーツクの学者ラクスマンの助けを借りつつ女帝エカテリーナへの謁見に成功。そこに、日本との国交を開きたいロシア政府中枢の意図がからみ、奇跡的にロシア船に乗って北海道からの帰国に成功する。
しかし、鎖国中の江戸幕府は、禁制を破って海外に渡った光太夫らを軟禁状態に置いて冷たく扱うのだった。
(2)解説
1990年代に入ると、日本製の映画やテレビドラマは急激に詰まらなくなった。
映画大好き少年で、80年代は年がら年中映画館に通っていて、しかも高校で自主制作映画など作っていた私だが、いや、そんな私だったからこそ、「90年代以降の映画鑑賞は、カネと時間の浪費に過ぎなくなった」という悲しい事実を肌身に感じて、悲しい思いを味わうのだった。当時はお金が無かったので、1,800円の映画代は高かった。それなのに、映画館に見に行った映画の9割は駄作で、見終わった後に映画館に放火したくなるくらいの怒りを覚えることもしばしばで、精神衛生上も良くない。そこで、「この映画なら絶対に大丈夫だろう」という確信を得るまで、事前に石橋を叩くように慎重に検討して、ようやっと映画館に足を運ぶようになった。それでも、以前に紹介した『スパイゾルゲ』のように、大失敗に終わって激怒する確率が高かったのだが。
さて、『おろしや国酔夢譚』は、江戸時代の実在の人物、大黒屋光太夫の生涯を描いた映画である。そして、冷戦崩壊で自由化して間もないロシア映画界の全面協力を得て制作されたという、いろいろな意味で画期的な映画なのである。
私は当時、ロシア(ソ連)のことが大好きで、いずれは亡命移住したいと考えて、ロシア語の勉強をしていたくらいなので、光太夫に非常に大きく感情移入していた。井上靖の原作小説はもちろん、関連する専門書などモリモリ読み込んでいた。そして、「このストーリーの映画化で、しかも緒方拳が主演なら、絶対に外れないだろう」と大いに期待して映画館に足を運んだわけだが。
・・・詰まらなかった。退屈で寝そうになった。
どうしてかと言えば、その理由は単純である。
井上靖の小説は、感情を込めずに淡々と事実を書き連ねていき、その事実の重さで読者を感動させるものが多い。吉村昭や城山三郎の小説も、それと似た傾向にあるが、司馬遼太郎みたいに主観と感情を出しまくるのは、むしろあの当時の小説世界では異端だったのである。そういうわけで、『おろしや国酔夢譚』の原作小説も淡々としている。それを、そっくりそのまま映像化したものだから、映画も淡々としちゃったのである。
すなわち、井上靖の小説はもともと映像化に馴染まないのだから、映像化する上で、映画ならではの特殊な演出が必要である。先に紹介した『砂の器』のように、原作の内容を大幅に改編することも、場合によっては必要である。
ところが、90年代の日本映画界は、そういう知的作業が出来なくなっていたのだ。
そして『おろしや国酔夢譚』は、観客に何を語りたい映画だったのか、まったく心に伝わってくるものが無かった。
史実の大黒屋光太夫は、もともと一介の伊勢商人に過ぎない人物だったが、なぜかロシア宮廷で人気者となり、その人物の素晴らしさは西欧にまで風聞として伝わるほどだった。それは、彼の日本人としての高潔さ、慎み深さ、知性の深さなどが、当時のヨーロッパ人にとって驚異的だったからである。すなわち、『おろしや国酔夢譚』は、こういった日本人の日本人ならではの素晴らしさを世界に発信し、同時に、バブル崩壊で苦しむ日本国民を鼓舞し勇気づける上で絶好のテーマだったと思うのだが、残念ながら映画はそうなっていなかった。
・・・私の期待が高すぎたのだろうか?
もっとも、外国とのコラボレーション映画というのは、平凡な出来に終わることが多い。なぜなら、異なる文化や技法のぶつけ合いは、「虻蜂とらず」の中途半端に終わる確率が高いからである。特に、「和の精神」が強い日本人は、すぐに相手に謝ったり妥協したりするから、期待以上の作品が出来上がる道理がないのだ。そう考えるなら、この映画に期待した私 の方が愚かだったのだろう。
これは余談であるが、旧ソ連のゴルバチョフ書記長(大統領)が初めて日本を訪れたとき、スピーチの中で大黒屋光太夫の名前を出した。彼はサービスのつもりで語ったのであろうが、そのスピーチを聞く日本の政治家官僚そしてマスコミは、コウダイユというのが誰の事だか全く理解できずに無反応だった。私は、テレビでその有様を見ていて、恥ずかしさに気が狂いそうになったものだ。
バブル崩壊以後、すなわち90年代以降の日本の知性は、加速度的に劣化していく。