歴史ぱびりよん > 歴史論説集 > 世界史関係 著者の好みに偏っております。 > 概説 チェコ史 > 第二十一話 アールヌーボーの鬼才ミュシャ
黄道十二宮
20世紀初頭のパリでは、新芸術すなわちアールヌーボーの華が咲き誇っていました。この爛熟の地に降り立った一人のチェコ人がいます。その名は、アルフォンス・ミュシャ(チェコ語読みでムハ、1860~1939年)。モラビア地方の貴族の後援を得た彼は、その溢れる才能を全世界に発信していきます。ミュシャは、アールヌーボーの確立に、決定的な役割を果たしたと言われ、今でも世界中から高い評価を受けているのです。
アールヌーボーという美術の特徴は、背景に抽象的な自然を配し、女性的な曲線を多用する点にあります。ミュシャ独特の滑らかな筆致は、たちまちパリの街角を席巻したのです。当時の高名な舞台劇やレビューのポスターは、ほとんどミュシャの筆によるものでした。
この人の絵は、私も大好きなのですが、文章で説明してもあまり意味がありません。興味のある方は、美術館などに足を運ぶと良いでしょう。最近は、CD-ROMも出ていますし。
さて、『サラ・ベルナールのハムレット』、『黄道12宮』などで一世を風靡した彼は、しかし政治の世界では、祖国の「民族復興運動」に深い関心を持っていました。
そんな彼は、1918年の祖国の独立に深い感銘を受け、その本拠地をパリからプラハに遷します。そして、伝統的なスラヴの伝説やチェコ史に関心を移したため、彼の晩年の作品は、祖国をテーマにしたものが多くなりました。
しかし、ドイツの侵略に直面した彼は、ゲシュタポ(ナチス秘密警察)の厳しい尋問を受け、その直後に病死してしまいます。
彼の遺体は、「高い城」のスラヴィーン墓地に横たわっています。