歴史ぱびりよん > 歴史論説集 > 世界史関係 著者の好みに偏っております。 > 概説 チェコ史 > 第二十六話 第二次大戦。暗黒の日々
ヒトラーの野望は、ついに最後の一線を越えます。彼の支配欲は、他民族にまで広がったのです。その第一の標的は、弱体化したチェコスロヴァキアでした。
1939年3月、ヒトラーは、謀略を用いてスロヴァキアをチェコから独立させようとします。国内が騒然となったチェコ政府は、なんとかドイツを宥めようと、ハーハ大統領(ベネシュは、既にイギリスに亡命していた)をベルリンに派遣するのです。
将軍たちを引き連れて謁見したヒトラーは、ハーハを脅迫します。
「我が軍は、明朝、チェコに進撃を開始する予定である!もはや貴国に勝ち目はない。降伏したまえ!」
そして、降伏文書をハーハに突き出したのです。
脂汗を浮かべて悩み苦しむ大統領に、ドイツ空軍元帥のゲーリングはこう言いました。
「あの美しいプラハが瓦礫の山になるとは、なんと悲しいことでしょう!」
この残酷な言葉を聞いたハーハは、心臓発作を起こして床に倒れます。しかし、ヒトラーは、このことを予想して隣室に医師団を待機させていたのです。彼らの素早い応急処置で、ハーハは一命を取り留めました。もはや、どうしようもありません。ハーハは、「命を助けてくれてありがとうございます」と呟きながら、祖国を抹殺する文書に署名をしたのです。
こうして、チェコスロヴァキア共和国は滅亡しました。スロヴァキアは、「スロヴァキア独立国」として存立を許されましたが、ドイツの走狗として戦争協力をさせられる運命にありました。チェコは、ドイツの植民地となり、ドイツから派遣された執政官による搾取を受けたのです。
チェコの無血占領は、ナチスドイツを著しく強化しました。経済や人口面はもとより、軍事面でも、ショコダ社が生産する兵器、特に高性能な戦車は、ヒトラーのさらなる野心を掻き立てる重要な原因となりました。
1939年9月、ポーランドに進撃したドイツ戦車の約1/3が、チェコ製だったそうです。第二次大戦は、英仏がチェコを見捨てたために起こり、そしてあれほど長期化したのだと言っても良さそうですね。
第二次大戦が始まると、ドイツのチェコに対する搾取はますます激しさを増しました。怒りに燃えるチェコの地下組織は、ドイツの執政官ハイドリヒを、プラハ城外で暗殺します。しかし、これは猛烈な報復を呼びました。押し寄せたドイツ軍は、「見せしめ」として、暗殺現場付近の住民を、老幼の区別無く皆殺しにしたのです。
いや、皆殺しは既に進んでいました。プラハ北方のテレジーン村は、巨大な強制収容所に姿を変えており、そこでは、ユダヤ人や反独的なチェコ人が、虫けらのように殺されていたのです。チェコは、オタカル2世の誘致政策以来、比較的ユダヤ人が多く住む国柄でした。そのことが、今や大きな悲劇を生んだのです。カフカの遺族など、数知れぬユダヤ人が皆殺しにされたのです。
しかし、1945年、さすがのナチスドイツも、ついに崩壊を始めます。4月にヒトラーが自殺すると、チェコに駐留していたドイツ軍は浮き足立ちました。チェコの地下組織や市民たちは、この情勢を見て一斉に蜂起し、プラハをはじめ、街や村をほとんど無傷のまま奪い返していきました。この過程で、ドイツ系住民に対する拷問や虐殺が相次いだそうです。憎しみが憎しみを呼ぶ、負の連鎖です。
チェコとスロヴァキアは、侵入してきたソ連軍の管制下に置かれました。アメリカのパットン将軍などは、アメリカ軍によるチェコ解放を強く提案したようですが、高度な政治的思惑から黙殺されたのです。
1945年5月、チェコスロヴァキア共和国は、ドイツの支配から解放され、再び独立を回復しました。
しかし、ソ連軍の力を借りての解放は、ソ連という名の新たな支配者を生んだのです。