歴史ぱびりよん

第三十話 ハヴェルとクンデラ

「プラハの春」が崩壊し、チェコは、再び共産党による残酷な独裁体制に飲み込まれてしまいました。フサーク党第一書記らの強圧的な弾圧は、「プラハの春」に参加した知識人や文化人を厳しく痛めつけました。彼らの多くは、公職追放されて掃除夫や靴磨きに転落し、あるいは海外への亡命を余儀なくされたのです。

権力者たちは、この異常な弾圧のことを「正常化」と呼びました。悲劇を通り越して、ほとんど滑稽ですらありますね。まるで、カフカが描いた悪夢世界です。そのためか、カフカやチャペックの作品の多くは、「正常化」の中で発禁本にされてしまいました。

作家といえば、「プラハの春」を支えた二人の優秀な人物がいます。ヴァーツラフ・ハヴェルとミラン・クンデラです。

劇作家ハヴェルは、裕福な家庭に生まれたため、共産党政権に睨まれて極貧の境遇に落とされました。その中で、作家として頭角を現す上で様々な体験を積んだのだそうです。彼はカフカの実存主義に傾倒し、自身も実存主義に基づく舞台劇を多数執筆しました。しかし、「プラハの春」の崩壊後、その活動は大いに制限されることになったのです。

小説家クンデラは、現代でも活躍を続ける、優れた文学者です。彼は、「プラハの春」の中で様々な小説を著しますが、代表作『冗談』の内容が「反共」だと認定され、やはり軍事介入後に不遇となったのです。

ハヴェルとクンデラは、ともに力を合わせて「プラハの春」を盛り立てました。しかし、その後の彼らの進路は、大きな隔たりを見せるのでした。

ハヴェルは、政治家に転身します。地下運動に身を投じ、チェコの文化を社会の片隅で守り抜こうとするのです。チェコのその後の自由化運動には、常にハヴェルの影がありました。彼は、「憲章77」や「市民フォーラム」を主宰し、共産党の横暴から祖国を救おうと奮闘したのです。もちろん、秘密警察に追われ、何度も投獄され拷問にかけられました。しかし、自由を求めるハヴェルの闘志は、決して揺らぐことが無かったのです。

一方、クンデラは、フランスに亡命します。彼は、異国の地から、ペンの力で祖国を覆う暗雲と戦おうとしたのです。その代表作『存在の耐えられない軽さ』は、チェコ事件に翻弄される男女の愛がテーマです。彼は、独特の乾いた文体の中に、溢れるばかりの祖国への愛と、社会主義への非難を詰め込んだのです。

さて、クンデラは『無知』の中で、チェコの近代史には、常に「20年」という数字が付きまとうと述べています。マサリクのチェコスロヴァキア共和国の存続期間は20年(1918~1938)、共産党政権の開始から「プラハの春」までが20年(1948~1968)、そして、それからちょうど20年目。

チェコは、ついに念願の独立に辿り着くのです。