博多の鎮西探題では、情勢の急激な悪化におおわらわであった。
四国で土居、得能に敗れただけではなく、ここ九州の豪族たちの動きも怪しいからである。
船上山から多くの綸旨が流れ込んで来ているというのに、神妙に探題まで届け出た豪族は数少ない例外にしか過ぎない。御三家と言われる守護級の少弐、大友、島津の三家ですらだんまりを決め込んでいる始末である。
「やはり寂阿めが要注意だ」
探題英時は、菊池武時が何やら裏工作をしていることに気づいていた。もしかすると、少弐、大友、島津にすら武時の息がかかっているのかもしれない。
「千早よ、早く陥落してくれ。楠木さえ倒れれば、千早に集結している大軍も動くことができるようになる。そうなれば赤松や名和も土居も得能も、もはや敵ではなくなるのだ。そして筑紫の豪族たちも、詰まらない二心を抱かなくなるだろう」
英時は、ほとんど祈るような気持ちであった。
しかし、千早城は三月に入っても落ちなかった。この堅城は、幕府軍の必死の総攻撃にも揺るがなかったのだ。幕府軍の士気は、とみに低下した。
兵農分離前のこの時代、幕府の主力を構成する御家人たちの兵の多くは農民も兼ねていた。そのため、戦争が長引くことは働き手の不足による農産物収穫の激減につながることになる。ゆえに千早攻城軍の中でも特に貧しい豪族は、仮病をつかって本国に引き上げたりし始めた。いや、ただ引き上げるだけではなく、千早に使者を派遣して令旨をもらう者もいた。それぞれの本国で反幕挙兵するつもりなのだ。
上野 (群馬県)の豪族、新田 義貞 もその一人である。彼は落ちぶれてはいたものの源氏の嫡流であり、それを誇りにしていた。見たところ千早城は陥落しそうにない。ここらで平氏出身の北条に一泡吹かせようと考えたのだった。
「そうや、幕府を滅ぼすには諸国の源氏を蜂起させるのが一番や」 新田の使者を応対しながら、正成はこのことに気づいた。
少弐貞経に分析されるまでもなく、宮方の野戦の弱さは自明の理である。幕府の息の根を止めるには、坂東武者同士の戦いに持ち込まねばならない。
「新田、足利、佐々木、佐竹、武田・・・」正成の脳裏に、源氏の末裔である諸族の名が次々に浮かんだ。彼らの力を借りることは、大塔宮が恐れるように鎌倉幕府滅亡後第二の幕府を造られる可能性をもたらす。しかし、最早それ以外に勝つ方法はないのではあるまいか・・・・・。
その正成の考えを先取りするかのように、船上山の後醍醐天皇の密使は、ひそかに関東へも走っていたのである。
※ ※
博多に菊池三郎頼隆が現れたのは、閏二月の下旬であった。
その目的は軍需費用の調達である。したがって、日頃親しくしている梅富屋を訪ねたのは当然の成り行きといえる。頼隆は、この役目を自ら志願したのであった。妙子に会うために。
案の定、妙子は喜色満面であった。その父、庄吾郎も精一杯、頼隆をもてなした。
「ええ、よろしゅうございます。融資いたしましょう。しかし何に使うのですか」
「う、うむ・・。我が家では今度新田 を開発することになってな」 我ながら下手な嘘だ、と思いながら、頼隆は商談の席に庄吾郎と対峙したのである。
「新田開発には時期が悪すぎるようですな」庄吾郎は首をかしげた。さすがは大商人、うさんくささに気づかぬ訳がないのだ。 「そんなはっきりしない理由では、やはり融資できませんな」
「し、しかし、そこをなんとか」頼隆も必死であった。しかし海賊事件のやましさが心のしこりとなって、強い態度に出ることができなかったのだ。
「私とて商人です。慈善事業ではありません。しかも菊池さまは探題さまの覚えが悪すぎましてね。下手なかかわりあいをすれば、我が家まで巻き添えを食うことになります」
ここ仕事の話となると、庄吾郎の態度は一変する。
「ただし」庄吾郎は頼隆に詰め寄った。「菊池さまが我が家の親戚ともなれば、話は別になりますが」
「ええ」頼隆は庄吾郎の意図を察した。「実は、そのことについても話があるのです」
その夜、頼隆は妙子を梅富邸の裏庭に呼び出した。そして海賊事件の裏に父武時がいたことも、自分がそのことにわだかまりを感じて疎遠にしていたことも、洗いざらい話してしまった。
「あたしには、武時さまのお考えも父の事業も分かりません。だけども、女のあたしに何もかも話してくださった頼隆さま。あなたの気持ちが知りたかったの」
「妙子」 頼隆は妙子を堅く抱き締めた。
※ ※
「なにい、嫁をとるだあ」
武時は、突然頼隆に打ち明けられて面食らった。
「そ、そりゃあお前もそんな年頃だから・・・。しかしの、この父がいいのを見つけてやろうと思っていたのによ」
「しかし父上、おいはもう決めたのです」頼隆は口をへの字に結んで言い張った。
「で、どこの娘だ、相手は」
「博多商人、梅富屋の娘です」
「う、梅富と言えば・・土居と得能に襲わせた・・・」
「その商人ですよ。父上」
「いつからその娘と・・・」
「昨年の始めからです」
「そうだったんか」 武時はしばし沈思していたが、やがてケロリとして顔を上げた。 「三郎、なんでもっと早くおいに打ち明けなかったか。反対するとでも思ったか」
「・・・・・・・」
「おいはそんなに物分かりの悪い父ではないぜ。立派な大人のお前が決めたことだ。好きにするがええ」
「あ、ありがとう父上」頼隆の両眼から、うれし涙があふれ出た。
菊池頼隆と妙子の婚礼は、それから間もなくのことであった。 六郎武澄などは、こんなに呆気なく片付くなら余計に気をもまなければよかったと、おかしな悔しがり方をしていた。
「いいんだよ六郎。結局は三郎自身の問題なんだから」
「そりゃそうだけど」
「奥手のお前は、三郎の勇気をもっと見習うべきじゃないのか。ははは」
次郎武重は、弟の六郎をからかいながら、商人の娘との結婚を許した父の心境について思い巡らせていた。やがて決死の戦場で戦うことになる息子への、せめてもの贈り物のつもりではなかろうか、と。
※ ※
肥後菊池で、頼隆と妙子の披露の祝宴がたけなわのころ、ここ博多の鎮西探題館では北条英時が重大な決意をしていた。
「よし、やはりそれしかない」
英時の計画は、少しでも怪しい豪族たちを全て博多に集め、説得あるいは監視することである。
しかしこの計画は大きな危険を伴う。集まった豪族たち全てが既に倒幕を決意し団結していた場合、かえって探題を危険にさらすことになるからだ。
「いや、そんなことはあるまい」英時は自分に言い聞かせた。 おそらく怪しい連中も一枚岩ではなく、まだかなり迷っているに違いない。それなら、彼らを博多に集めることは、かえって互いに牽制させる結果になって好ましいはずだ。
その翌日、北条英時は、九州の主な豪族たちに召集令状を送った。三月十二日までに博多に集合せよ・・・ 。
菊池武時、少弐貞経、大友貞宗らは、召集令を手に、各々の複雑な思惑を胸に交錯させた。
そして今、歴史の舞台に役者が揃おうとしていた。