歴史ぱびりよん > 歴史論説集 > 日本史関係 通説や学説とは異なる切り口です。 > 尖閣その他、日本の領土問題 > 尖閣その他、日本の領土問題
1.はじめに
2.中華思想について
3.日本と中国の微妙な関係
4.日本と沖縄の微妙な関係
5.琉球処分
6.噛み合わない議論
7.竹島問題
8.北方領土問題
9.おわりに
1.はじめに
最近は、日本の領土問題が騒がしくなっております。
これは、昨今の経済的地殻変動によって、中国や韓国といった東アジアの国々が急激に国威を伸張させて、従来の欧米による世界支配を揺るがしたことが原因です。
そういうわけで、私はこれを、単なる縄張り争いではなくて、世界史レベルでの「文明の衝突」だと考えています。それなのに、日本のマスコミの論調が、あまりにも偏っているというか、奥歯に異物が挟まったというか、皮相的というのか、言いたいことを素直に言えないタブーでもあるのかな?と感じたので、私見を書きます。我らが「歴史ぱびりよん」は、何からも自由ですからね。
今回取り上げるのは、尖閣、竹島、ついでに北方領土です。
まずは尖閣問題について、歴史的経緯から詳しく見ていきます。正しい歴史を知ることこそ、真実に肉薄するための第一歩だからです。
2.中華思想について
尖閣諸島を巡っては、中国が主張する同島への領土権を、日本政府が黙殺する状態が続いております。ここは、国際法上、日本の領有権が正式に認められているので、日本政府の対応はまったく正しい。しかし、相手が中国というのがやっかいです。中国は、基本的に、現行の国際法で定められた欧米型の世界秩序を否定したいと考えているからです。
尖閣問題を特に面倒くさくしているのは、「領土」という概念が、中国と他の国々の間で大きくズレていることにあります。その根本的な原因は、すなわち「中華思想」です。
中国という国は、思想的に「国境線」という概念を認めていません。なぜなら、彼らの思想の中では、地球全体が潜在的に中国だからです。
どういうことかと言うと、彼らは世界を、中華文明圏、準中華文明圏、蛮族の三分法で見ています。
「中華文明圏」は、もちろん中国そのものです。「世界の中心である国」。それが中国という言葉の意味です。
「準中華文明圏」とは、中国の文化様式を全面的に受け入れて、それに服した(あるいは服したことのある)国々です。具体的には、台湾、内蒙古、チベット、ウイグル、朝鮮半島の国々、そして沖縄(琉球王国)です。
「蛮族」というのは、それ以外なので、日本やアメリカ、ヨーロッパ、ロシア、インド、そしてイスラム諸国などはみんな蛮族ということになります。
専門用語で言うと、これが「華夷秩序」というやつです。
そして、中国人の伝統的考え方は、こうです。
「全世界は、中国によって文化的に統一されるべきである。しかし、物事には段階というものがある。まずは周辺の蛮族に文化を伝播して教えていこう。素直にそれを受け入れて、中国に挨拶(朝貢)して来た健気な蛮族は、中華文明の仲間(=準中華文明圏)と見なしてあげよう。あくまでもそれに抵抗する蛮族は、力で叩き潰して分からせよう。そうしていけば、いずれ全世界が中華文明を受け入れて統一されることだろう」。
単純に言えば、中国の最終目標は「世界征服」なのです。ゆくゆくは、全世界を中国にしたいのです。
中国と周辺諸国の歴史を俯瞰的に客観的に見れば、私の言っていることが納得できると思います。たとえば、中国は近代に至るまで、国境線という概念を持っていませんでした。それは、地球上の全ての土地が、潜在的に中国だからです。だったら、自ら線を引いて、その中に閉じこもる必要自体が無いわけです。
私はかつて、中国の歴史教科書の日本語訳を読んだことがありますが、いろいろ驚くことが書いてあって、笑ってしまいました。たとえば、チンギス・ハーンのことを「中華文明が生んだ偉人である」などと書いてある。彼はモンゴル人だったはずですが、彼が築いた帝国は後に中華文明の影響を受けているので、「中国人」として定義づけられるのです。これも、中国人の頭の中に「国境線という概念が無い」ことから来ているのでしょう。
別の例を引きますと、15世紀の明の時代に、宦官の鄭和が大艦隊を率いて東南アジア、インド、果てはアフリカ東岸まで遠征を行いました。しかし鄭和は、遠征先に基地を造るわけでもなく、旗を立てることもなく、地図に線を引くこともなく、そのまま引き揚げてしまいました。同時代のヨーロッパ人やアラブ人は、おそらく首をかしげただろうと思いますが、この行動は中華思想ゆえ当然なのです。鄭和は、蛮族たちに「中華文明を伝播しに行った」のであって、土地を取りに行ったわけではないからです。結果的に、あまり成果は上がらなかったわけですが、中国のエリート層は、それでも構わないのです。
その観点で現代世界を見回せば、中国が今日に至るまで、世界各国に「中華街」を築いて多くの中国人にロビー活動をさせているのは、華僑を中心にした経済的利権の関係もありますが、それ以上に「蛮族に中華文明を伝播する」という崇高な(?)思想的使命感に裏打ちされていることを忘れてはなりません。彼らの物事の考え方は、他の文明とはぜんぜん違うのです。
しかしながら、「国境線や基地を固めるよりも、まずは文化を広げて相手の馴致を待つ」という気長な在り方は、18世紀以降、勢力を強めたヨーロッパ帝国主義に対する深刻な弱点となりました。中国人は、宮廷にやって来たヨーロッパ人を「中華文明を受け入れて仲間になりに来た蛮族」と考えて歓待します。しかしそれは罠で、ヨーロッパ人に様々な詐術に満ちた条約を盾に取られて、領土と資源を奪われて衰退して行ったのです。つまり、西洋人のように「条約」を武器に使って、軍事力と法の力で他国から物理的に直接搾取するという発想は、当時の中国人の中には存在しなかったのです。
その衰退期が終わり、ようやく世界の強国の地位を回復できたのが、つい最近。中国は、再び「中華思想」を前面に出して立ち上がりました。彼らは、この思想を少なくとも2千年以上にわたって保持しています。ですので、この思想を彼らに諦めさせるのは、ほとんど不可能なのです。
深刻な問題なのは、この「中華思想」が、現行の世界秩序と矛盾している点です。
現行の世界秩序(産業革命後に欧米が築き上げたものだが)では、そもそも世界は中国のものではありません(それは当然だが)。各国が領土権を持ち、国境線や排他的経済水域を持ち、それを「条約」という名の法が担保しています。これは、我々日本人にとっても常識でしょう。
しかし中国は、そもそもそういった考え方が気に食わないのです。「欧米や日本といった蛮族どもが、暴力を用いて勝手に中華思想を踏みにじっているのだ」。彼らは、心の底で、そう考えているのです。だったら、「暴力で制裁するのが当然」という考えになります。中国が今、異常な速度で軍備を拡張しているのは、そういうことです。
3.日本と中国の微妙な関係
それでは、中国は日本をどう見ているのでしょうか?
もちろん「蛮族」です。それも、「狡猾で生意気な蛮族」です。
日本の中国に対する態度は、確かにあまり感心できるものではありません。中国と海を隔てて適度な距離があるものだから、朝鮮半島をクッションにして、その関係を繋いだり切ったりしています。また、その態度も国の内外で表裏不一致だったりします。
たとえば室町三代将軍・足利義満は、明帝国に朝貢(勘合貿易)を行うことで「日本国王」に任命されました。これは、日本が「準中華文明圏」に入ったことを意味します。中国に朝貢した国のトップは、「中華皇帝に仕える国王」だと自動的に見なされるからです。
しかし、義満は、日本人に対してはあくまでも「将軍」として振舞いました。なにしろ、彼の上には天皇がいるのだから、国王などと名乗りたくても無理なのです。つまり義満は、貿易の利益を得たいために(朝貢すると、見返りが大きい上に貿易特権が貰える)、中華文明に仲間入りしたような振りをしたのです。
考えてみれば、日本の「天皇」というのも、奇妙な概念です。中国人は「あれは実質的に日本国王だ」と思いたがっていましたが、日本人のトップがあえて国王ではなく天皇と名乗ったのは、「我が国は中国とは関係ない。むしろ対等である」という「蛮族宣言」をしたのに等しいわけです。事実、日本が国家として中国に朝貢をしていたのは、平安時代の初期までです。
その後の時代の例外が、南北朝時代の懐良親王と室町時代の足利義満です。彼らは、中国によって「日本国王」に任命されたのですが、いずれも名前を借りて実利を得るためのフェイクでした。中華文明に服属する気なんて、最初から無かったのです。
中国は、こういった日本の鵺やコウモリのような態度に苛立っていたでしょうが、もともと僻遠の東の海には興味がなかったし、モンゴルやヨーロッパらの対応に追われて忙しかったので、そのままになってしまいました。
しかし、その日本が19世紀に入って、急激な西欧化を果たし、ついには中国に攻め込んで来たのです。中国の立場からは、「日中戦争」で国土の大部分を占領され搾取された恨みはもちろん、過去の歴史の中での鵺ぶりも相まって、感情的にムカつくこと夥しい。
それだけではありません。今の日本は、「準中華文明圏を侵略した上で、そこに居座っている蛮族」なのです。
中華思想は伝統的に、蛮族に侵略された準中華文明圏を、リスクや損得を無視して救援に行くというポリシーを持っています。たとえば、「文禄・慶長の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)」や「朝鮮戦争」のとき、中国軍が損得度外視で、しかも膨大な犠牲を払ってまで朝鮮を救援したのは、そのためです。だから中国は、日本から「同胞を解放したくて」仕方がない。
それでは、日本が侵略して居座っている「準中華文明圏」とはいったい何か?
それが、沖縄と尖閣諸島なのです。
4.日本と沖縄の微妙な関係
次に、日本と沖縄の関係を見ましょう。
日本は、明治維新を迎えるまで、国際関係の設定の仕方について中国のサル真似をしていました。具体的には、日本、準日本圏、蛮族といった三分法で世界を見ていたのです。
そういうわけで、蛮族征伐のやり方も、中国方式を見習っていました。すなわち、まずは文化を伝播して、どうしても従わない者だけ武力討伐するのです。そういう視点で、たとえば「ヤマトタケルの遠征」、「坂上田村麻呂vsアテルイ」、「前九年後三年の役」などの戦況推移を観察すると、いろいろと新しい発見があることでしょう。
日本の場合は、もともと小さな島国だし外国勢力(あるいは外国文化)の干渉も無かったので、中国と違って、蛮族を割合と簡単に洗脳して完全に同化できました。具体的には、蝦夷(東北地方)、熊襲や隼人(九州南部)、そしてアイヌ(北海道)は、もともと日本人とは異なる民族だったはずなのに、いつのまにか文化的に同化されてしまいました。つまり、「蛮族」が「準日本圏」となり、その「準日本圏」がさらに「日本」に吸収された形です。その過程で、残酷な武力弾圧を伴ったケースも多くありますが。
それでは、沖縄はどうか?
意外に思う人も多いかもしれませんが、明治維新を迎えた時点で、ここは「準日本圏」であり同時に「準中華文明圏」でした。つまり、日本ではありませんでした。すなわち、沖縄は「琉球王国」という名のれっきとした独立国家であり、そして日本と中国の両方に朝貢していたのです。
琉球のトップは、日本からも中国からも「国王」と呼ばれていました。これすなわち「準日本圏」であり、同時に「準中華文明圏」の一翼だったということです。
そして尖閣諸島は、地図を見れば分かる通り、琉球列島の一部を構成しているので、琉球王国の一部でした。つまり、尖閣諸島も日中双方に「両属」だったのです。
独立国家である琉球王国(尖閣含む)が、日本と中国の両方に服属していたと聞いて違和感を覚える人がいるかもしれませんが、前述のように、近代以前の東アジアには国境線(すなわち縄張り)という概念が無かったので、日本も中国も琉球の態度を特に気にしませんでした。また、琉球の立場からすれば、服属の証が「朝貢」なのだから、朝貢さえしておけば相手国から攻められる恐れはありません。そこで、東アジアの弱小国は、周囲の強国にとりあえず八方美人の朝貢をすることで、身の安全を図るのが通例でした。そして、日本も中国も、いちおうそれで満足していたのです。国境線とか排他的経済水域という概念が存在しない世界では、それで十分だったからです。
実は、対馬列島も、日本と朝鮮の両方に朝貢していた時期があります。対馬は、地図で見れば分かる通り、簡単に朝鮮半島から攻められる地勢にあります。だから、安全保障のために日本と朝鮮の両方に朝貢(日本に対しては挨拶という名目)していたのです。対馬のトップであった宗一族は、もしかすると自分が国王で、対馬列島を独立国だと考えていた可能性もあります。なにしろ「国境線が存在しない世界」では、そういうことも十分に有り得ます。
さて、話を戻しましょう。
沖縄が、明治維新になるまで「独立国だった」ことを説明しましたが、意外と、年配の知識人の中にも、この事実を知らない人が多い。私が以前、社会的地位の高い年配の人と議論した時、その人が「沖縄は、神話時代から日本固有の領土だった」などと言い出したので仰天したことがありました。そういえば、日本の学校では、歴史の授業が明治維新まで行きつけないから、沖縄や琉球王国について教えていないんでしょうね。すなわち、この社会の中でエリートと呼ばれる人ほど、受験勉強以外での一般教養や知識に乏しいので、「エリートほど本当の歴史を知らない」という悲惨な結果が生まれるのです。これぞ、日本社会が抱える最大の病根でしょう。
私が、領土問題についてこの文章を書いているのは、こういった状況に危機感を抱いたからでもあります。
5.琉球処分
さて、沖縄(尖閣含む)は琉球王国という名の独立国でしたが、実は、江戸時代の初期に薩摩藩の侵略を受けて征服されてしまい、実質的にその植民地になっていました。
このとき、江戸幕府が薩摩藩の軍事行動を黙認した理由は、アジアに進出して来るヨーロッパ勢力を抑える上で、沖縄周辺を日本人のコントロール化に置くことが必要だと考えていたからでしょう。すなわち、幕府首脳部は、国家の安全保障を慮ったということです。あるいは、この侵略行動自体、幕府が裏から薩摩藩に命じてやらせたのかも?しかし皮肉なことに、沖縄からの経済搾取によって力を付けた薩摩藩によって、後に江戸幕府は倒される結果に終わります。これが明治維新ですね。
こういった事実関係の中で重要なのは、江戸幕府も薩摩藩も、江戸時代を通じて、占領中の琉球王国に中国への朝貢を続けさせたことです。その理由はやはり、中国を怒らせるのが怖かったせいでしょう。ゆえに中国は、当然ながら、琉球王国(尖閣含む)を自国に服属する「準中華文明圏」の一員だとずっと思い込んでいました。
そして江戸幕府は、「琉球王国の朝貢の使者を迎えるイベント」を定期的に開催していました。実際に、琉球国王の外交使節団を江戸に迎えて歓待したのです。これはもちろん、中国を騙すための茶番劇です。昔の日本人は、なかなか頭が良かったのですね。狡猾とも言えるけど。
しかしながら、日本側は、なにしろ江戸時代の初期から実質的に沖縄(尖閣含む)を領有している気分になっています。まさに、日本人お得意の、「身勝手な建前と本音の使い分け」です。尖閣問題の根っこにあるのは、実はそういうことなのです。
さて、明治維新になりました。
富国強兵政策で急激に力を付けた日本は、東アジアの国際情勢に気付いて小躍りします。
なにしろ「国境線という概念が存在しない地域の中で、日本の政治力と軍事力が最強モード」なのです。もはや、やりたい放題でしょう。
明治政府は、当然のことながら、ヨーロッパ人から学んだ新しいグローバルスタンダードを一方的に周辺諸国に押し付けます。すなわち、勝手に国境線を敷いて、勝手に排他的経済水域を設定します。
日本は、西洋文明の新時代の先兵として、正しいことをしているつもりだったのでしょうけど、それまでの常識を墨守したい国々(中国や朝鮮)にとって、この行動は不愉快極まりない。っていうか、日本のことが、東アジア文化に対する破廉恥な裏切り者にしか見えない。この卑怯な島国は、まさに鵺と呼ぶかコウモリと言うべきか?
「琉球処分」は、この流れの中で起こりました。
言うまでもなく、欧米文化の新しいグローバルスタンダードでは、ある国家なり地域が「両属」ということは有り得ません。ゆえに、琉球王国(尖閣含む)は、日本か中国かのどちらか一つに帰属しなければなりません。「朝貢=実質的な領有」という概念が廃止された新しい世界の中で、国境線の内側なのか外側なのか、はっきりさせる必要があります。
1871年(明治4年)、日本は「廃藩置県」に際して、琉球王国を鹿児島県の一部とします。この翌年には、琉球藩を設置し、琉球国王・尚泰を藩王と呼び、華族に列します。しかし、これは中国や琉球王国の意志や都合を無視した一方的なものでした。ゆえに、琉球藩は、相変わらず中国に対して朝貢を続けます。沖縄の人々は、東アジアの伝統文化を守り抜こうとしたのです。
もちろん、明治政府は激怒します。
1879年(明治12年)3月、軍勢を引き連れて首里に乗り込んだ処分官・松田道之は、武力で尚泰藩王を脅迫し、中国への朝貢を完全に停止させるとともに、彼を玉座から引きずりおろします。4月4日、「沖縄県」が正式に設置され、ここに琉球王国は完全に滅亡したのです。これが、「琉球処分」です。
宗主国であった中国は、これに激怒して厳重抗議しました。しかし、この時の中国は清朝末期の大混乱にあり、口頭で抗議する以上の行動を取れません。
その後も、中国は文句を言い続けたのですが、「日清戦争(1895年)」がこれに止めを刺しました。この戦争の結果、沖縄のみならず台湾も正式に日本領とされます。西洋文明が東アジアにもたらした帝国主義の時代においては、とにかく「戦争に勝った側が正義」と見なされるのです。負けた相手に、自分に有利な国際条約を無理やり呑ませることが出来るし、こうして締結された国際条約こそが絶対正義だからです。
問題の尖閣諸島が日本領になったのは、正確にはこの時なのです。
中国の立場から、この状況を見ましょうか?
「準中華文明圏だった琉球王国(尖閣含む)を、蛮族の日本が、身勝手な蛮族ルールを一方的に振りかざしつつ、侵略して奪い取った」。
そういう現象なのです。
前述の通り、中華思想は、蛮族に侵略された準中華文明圏を防衛することに崇高な義務感を覚えます。彼らが、「尖閣諸島を領有したい、可能なら沖縄も奪還したい」。そう考えるのは、海底資源目当てだけでなく、歴史的な使命感をも伴っているのです。だからこそ、非常に厄介です。
ちなみに、この「琉球処分」に前後して起きた政治的大事件が、「アメリカ合衆国のハワイ王国併合」です。この事件の経緯は、日本の琉球処分によく似ているような気がします。もしかすると、日米の首脳部は、双方で示し合わせていたのかも?すなわち、「アメリカが日本の琉球王国併合を黙認する代わりに、日本はアメリカのハワイ王国併合を黙認する」というバーター取引をしていたとか。そうだとすると、アメリカの侵略を前にして日本に救援要請を発したハワイ最後の女王リリウオカラニの悲劇性が、ますます際立ってしまうのですが。
いずれにせよ、この当時の日本は、調子に乗ってかなり悪いことをしていました。中国と韓国が抱く根強い恨みは、第二次大戦ではなく、19世紀の明治時代にまで遡って考察すべき問題なのです。
それなのに、マスメディアも池上彰さんも、ここまで遡って議論しようとしない。何か、大人の裏事情でもあって、言えないことになっているのでしょうか?
6.噛み合わない議論
さて、現代に視点を移しましょう。
中国の尖閣領有権に関する議論を注意深く聞くと、彼らはそもそも、日本の「琉球処分」に不満を抱いていることが分かります。中華思想から演繹するなら、19世紀末まで中国に継続的に朝貢を続けていた沖縄(尖閣含む)は、中国の「固有の領土」に他なりません。それを、日本が軍事力に物を言わせて不法占拠していて、出て行こうとしないというのが、彼らの言い分なのです。これは、北方領土問題における日本の主張と類似しています。
これに対して、アメリカやヨーロッパの主張は、やはり「条約主義」です。すなわち、沖縄はもちろん尖閣諸島の領有権は、日清戦争の「下関条約」や第二次大戦の「サンフランシスコ平和条約」と、それに続く様々な国際協定によって、日本のものに確定しています。それに異を唱えるのは、そもそもおかしいのであって、どうしてもこれを修正したいのなら、欧米世界を敵に回して戦争をやって奪い取って見せろ。と、そういう事になります。
両者の議論は、まったく噛み合わないので、このまま行けば本当に戦争になるでしょう。
だからといって、私は「中国に妥協して尖閣を引き渡せ」などと主張するつもりはありません。なぜなら、以上で見てきたように、尖閣と沖縄はセットだからです。もしも日本が尖閣を中国に引き渡せば、中国は次に沖縄の領有権を主張するでしょう。そうなった場合、日本側にこれを拒否する論理的根拠は無くなるのです。尖閣を譲渡したということは、中華思想を容認したことに等しいのだから、沖縄も当然譲渡されるべき中国領土だからです。沖縄を中国に取られたくないのなら、尖閣問題で妥協すべきではありません。場合によっては、戦争もやむを得ないでしょう(個人的には嫌だけど)。
そういえば最近、沖縄では、基地問題の紛糾にともなって、一部の学生たちが「日本からの分離独立」を主張しているようです。内地の人々は、この状況に無関心ないし冷笑気味ですが、甘く見ない方が良いと思います。沖縄は、つい100年くらい前まで独立国だったという事実を忘れてはなりません。世界史的に「固有の領土」論を言うなら、沖縄はまさに「独立すべき」と言う事になるからです。そして、独立した後で中国に吸収されるということも、大いに有りうる話です。中国のスパイが、密かにそれを目指して沖縄で工作中という可能性も非常に高いです。
日本人は、もっと沖縄と沖縄の人々に対してデリケートになった方が良いのではないでしょうか?
思えば、日本人は約70年前の戦争でも、いわば「内地の人々を守るために、沖縄全体を捨石にした」という、非道な前科を持っています。あの時の日本軍上層部の中に、「どうせ沖縄人は外人なのだから、何人死んでも構わないさ」という非情な判断がいくらかあったことは確実だと思います。その根拠は、沖縄戦の直前に、沖縄駐留軍の精鋭一個師団を台湾に転出させたことです。つまり、当時の日本軍上層部にとって、台湾と沖縄は等価、あるいは台湾のプライオリティの方が沖縄よりも上だったのです。これは、厳然たる歴史的事実です。沖縄の人々の中には、今でもこのことを恨みに感じている人々がいるでしょう。沖縄が日本を離脱して中国になる誘因は、それなりに高いのです。
このように、尖閣問題と言うのは、日本と沖縄の未来にかかわる極めて大きな問題です。もっと言うなら、「中華思想」対「西洋思想」の世界史的な全面対決の舞台でもあります。そういう意味では、単なる領土問題として近視眼的に見るべきではないのでしょう。
7.竹島問題
これは、島根県の北の沖に浮かぶ竹島(独島)に対して、日本の領有権を無視して韓国が実効支配している問題です。
この問題については、あまり付け加える議論はありません。
本質的には、尖閣問題と同じです。要するに、東アジアには19世紀末に至るまで国境線という概念が歴史的に存在しなかったので、いざ国境線を敷く段になって揉め事が起きやすいという話です。すなわち韓国は、日本が一方的に敷いた国境線が不満なので、それを打破するために行動しているのです。韓国の経済と国威の躍進が、この傾向に拍車をかけています。
朝鮮半島の国々は、もともと古代においては、日本と同様に中華文明に対して批判的な国々だったのですが、残念なことに中国と陸続きだったためにその圧力に抗しきれず、いつしか「準中華文明圏の優等生」になってしまいました。そういった背景を持つ国々は、コンプレックスを抱えてしまうがゆえに、かえって本家以上に思想に誇りを感じる傾向があります。そして、中華思想から演繹すれば、「準中華文明圏」の韓国は、「蛮族」の日本なんかよりも遥かにレベルが高い存在になるわけです。それなのに日本の野郎は、20世紀初頭はずっと朝鮮半島を占領しやがって、蛮族の分際でムカつくことこの上無い!
韓国の日本に対する、奇妙に優越的で傲慢で、しかし微妙に劣等感丸出しの態度は、こういった歴史的文化的背景を鑑みて、初めて理解できるものなのです。
つまり竹島問題も、尖閣問題よりは低次元ですが、「中華文明の韓国」対「西洋文明の日本」の対立なので、なかなか根深い問題です。これを本気で解決するためには、やっぱり戦争しか無いかもしれません(個人的には嫌だけど)。
8.北方領土問題
ロシアと日本の間で、戦後ずっと燻っている千島列島の帰属を巡る問題。
この問題は、尖閣や竹島と違って、異文化の衝突という背景はありません。あくまでも、西洋文明のロシアと同じく西洋文明の日本の間の、「単純な縄張り争い」です。それが未だに解決できていない理由は、ただ単にロシアと日本の政治家がどちらも無能だったからです。
これはいずれ、交渉で解決できる問題でしょう。当事者双方に、有能な政治家が登場することが前提ですが。
9.おわりに
尖閣と竹島の問題は、中国と韓国の国力が急激に増大したことから始まりました。これは、単なる縄張り争いではなく、「中華文明」と「西洋文明」の文明の衝突なのです。そして、日本は今や、その決戦の最前線に位置しているのです。こういった自覚を持っている日本人は、果たして何人いるでしょうか?
愚か者ばかりが支配する世界において、こういった問題を解決するためには、もはや戦争しかないかもしれません。
でも、絶望するにはまだ早いと思います。
なぜなら、中国や韓国の中には穏健な良識派(すなわち西洋文明派)も数多いからです。欧米側(日本含む)も、もちろん同様です。良識派は、いつの時代でも必ず一定数存在します。
この問題は、「資源を巡る単純な縄張り争いではなくて、文明の衝突である」。交渉の当事者同士がそういう自覚をしっかりと持って、互いに相手の歴史や文化を尊敬しつつ話し合う。こういった姿勢こそが、解決への糸口を開くのではないでしょうか?
しかし、その前提と自覚をしっかり持っている日本人は、現状では数少なすぎます。っていうか、正しい歴史を知らなさすぎます。だからこそ、この問題を巡る議論が、当事者間でいまいち噛み合っていないのです。少なくとも、私の眼にはそう見えます。
私の拙文が、このいびつな現状を打破する一助になれば幸いです。
おわり