歴史ぱびりよん > 世界旅行記 > チェコ、オーストリア旅行記 > 9月6日月曜 いきなり寝坊、いきなり迷子
いきなり寝坊した。
目覚ましの時間には目が醒めたのだが、寝床でモソモソしているうちに、京成スカイライナーに乗れなくなってしまったのだ。
なんてこったい。
やむを得ず、特急電車で日暮里から成田に向かう。30分遅れで発着ゲートに到着したが、受付ブースが見つからずに汗みどろ。ようやくマップツアーのブースに取り付いて航空券や宿泊券を入手したが、どうも扱いが悪い。他のツアーのブースに便乗した形になっており、しかも俺のチケット類は一番下に積まれていた。
もしかして、マイナーなツアーに申し込んでしまったのだろうか。そういう目で見回すと、同じツアーに申し込んだらしい旅行者の姿は周囲にはない。もっとも、遅刻したわけだから、これは一概には判断出来ないのだが。
俺は昔から、往復の飛行機とホテルだけ旅行会社に取ってもらい、現地で全て自由に行動できるようなツアーを好んでいる。今回は、インターネットの地域別検索で調べて申し込んだため、旅行会社にはただの一度も顔出ししなかった。マップツアーが、へなちょこ会社である可能性は十分にある。今回の最大の不安材料は、一重にその点にあった。
まあ、今さら心配しても仕方ないので、適当に腹ごしらえして店をぶらつく。成田空港は6度目で、もう飽きているのだ。早く出発したい。考えてみたら、出発まで2時間近くあるのだから、寝坊したからといってそんなに焦る必要も無かったのかしらん。
それにしても、空港は無茶苦茶に混んでいる。今だかつて無い混み方だ。そのほとんどが学生だ。彼らが金持ちになったというよりは、海外旅行が安くなったという事情が原因なのだろう。
ウイーン空港までは、約12時間の旅だ。オーストリア航空の機体に乗るのは初めてだが、色が純白のせいか、ひどく貧弱に見えた。こんな細い胴体で、無事に辿り着けるのか?隣に座ったのはむさ苦しい日本人の青年だったので無視して、俺はひたすら寝るか本を読んでいた。機内上映映画は、ロクでもない。「ユー・ガット・メール」は既にビデオで見たけど、詰まんなかったもんな。周囲を闊歩するオーストリア人のスチュワーデスは、みんなガタイがでかくて強そうだ。こいつら、このボディをもってして、どうして世界を征服できなかったんだろう。機内食は、相変わらずマズイ。ともあれ、波乱も無くウイーン上空に達した。ヨーロッパは5年ぶりだ。美しく連なる赤屋根が、目に優しく映る。
ウイーン空港は、こじんまりしているので、トランジットが簡単だった。それにしても、チェコ行きの人は少ない。全部で20人くらいか。待合室には日本人の男女も3人ほどいたのだが、俺は旅行中、日本語を喋らないことに決めていたので(特に理由はない。気分だ)、彼らに話し掛けようとしなかった。やがて時間が来て、空港ビルの待合室に連絡バスが横付けになり、随分遠くまで走った挙句、小さな双発レシプロ機の前に停まる。オーストリア航空の子会社のマークが胴体にあるけど、どう見ても50人くらいしか乗れないぞ、これ。でも、これが俺の乗る飛行機だった。
レシプロを馬鹿にしてはいけない。晴天であれば揺れないし、雲の下を飛ぶから景色も良く見える。しかし、シートは狭いし内装はボロい。それでも、眼下の情景は圧巻だった。ヨーロッパの土地に余裕があることが良く分かる。見渡す限りが、森林か畑なのである。狭くてゴミゴミした東京に住む日本人としては、羨ましい限りだ。
約40分の飛行でプラハ空港(ルジェニ空港)に着く。上空から見ていた限りでは、市街地から少し離れたところに降りたようだが、見渡す限りの草原の真ん中に空港があるのだから凄い。首都の郊外が草原だなんて、土地が余っているんだなあ。
両替屋で1万円をコルナに替えてもらう。1コルナは、大体6円だったから、1,600コルナくらいになった。午後4時で、空は十分に明るい。空港は質素な造りで、誇大広告もなく、小田急線のローカル駅みたいな雰囲気である。俺はケバケバシイのが嫌いだから、何となく嬉しくなって空港ビルをウロウロしているうちに、同じ飛行機だった日本人3人組の姿は無くなっていた。どうも、旅慣れてそうな連中だ。きっと、チェコ語もドイツ語もペラペラなんだろうな。
それにしても、言葉の不自由な俺が、今回どうしてチェコに来たのだろうか。俺は、麗しき美少年であった小学生のみぎりから、この国に憧れていた。具体的には、偉大な作曲家であるドヴォルザークやスメタナの音楽が大好きで、おまけにヴァーツラフ・ノイマン指揮のチェコフィルの演奏に痺れていたのである。特に、スメタナの「我が祖国」は、世界最高の名曲であると今でも思いつづけている。俺は、あのような美しい曲を生み出したチェコは、きっと想像を絶するような素晴らしい国に違いないと、ずっと夢見ながら生きてきたのであった。そして、ネットサ-フィンで偶然見つけたマップツアーの完全自由旅行は、俺の心を熱く燃え上がらせたというわけ。
でも、子供のころの夢というのは、大人になったら壊れるのが相場である。今回もそうなるのだろうか。期待と不安が胸中で鬩ぎあう。
さて、とりあえずホテルに向かおうと思うのだが、バスの乗り方が分からない。というか、券売機の使い方が難しい。どうやら小銭が必要なので、空港内の自動販売機でチョコを買ってお金を崩す。
そういえば、自動販売機をヨーロッパで見たのは、これが初めてだ。欧米では、治安が悪いので、破壊と盗難を恐れて自動販売機は設置していないと聞いたのだが。どうやら、チェコは例外的に治安の良い国であるらしい。これは、大きな安心材料だ。
小銭を入れても、なかなかバスの券が買えないので、近くの人に券売機の使い方を英語で尋ねたら、答えはドイツ語で返って来てしまった。やはり、英語は通じないのだな。なかなか大変なところに迷い込んだぞ、と不安になる。
券を買わずに無理やりバスに飛び乗ったが、驚くべきことに誰も券をチェックしない。なんちゅう暢気な国だろう。社会主義時代の慣習(公共料金無料)が、抜けていないのだろうか。ともあれ、プラハ市街までただ乗りしてしまった俺は、悪人だ。治安の良し悪しを云々できる立場では無くなってしまったわい。
さて、シャトルバスの終点は、地下鉄A線の終点ディヴィチェ(駅名はディヴィツカ)に直結している。その周辺には、トラム(市電)も何種類か走っているから、ヨーロッパの古都にしては、市内の交通はなかなか便利そうだ。で、ホテルはこの周辺だと思うのだが、どうも土地勘が働かない(当たり前だ)。
とにかく、俺は重い荷物を背負いながら、ボケた地図を片手にホテルを探して歩くことになった。黄色人種は、周囲に俺しかいないので、周りのスラヴ人どもは好奇心の目でじろじろ見る。中には、気さくに話し掛けてくる人もいたが、言葉がわからないので、曖昧な笑顔を返して誤魔化した。ディヴィチェには、大きな交差点があるのだが、始末に悪いことに円形のロータリーになっていて、その外縁部から、四方に放射状に道が延びている。この道のどれかを進めば、目指すホリデイ・インに到達できるはずだが、いったいどの道じゃい。
諦めてタクシーを拾おうかと思うのだが、これがなかなか捕まらぬ。というか、全然見かけない。これは、河岸を変えたほうが良いと思って、なんとなく地下鉄に乗って隣の駅(フラッチャニスカ)へ。地表に上がったら、なんと道路の中央分離帯に出た。どうして、こんな所に駅があるのだ?車は猛スピードで走り抜けるし、とてもタクシーを拾うどころではないから、諦めてディヴィチェに戻る。ちなみに、この地下鉄代もただ乗りである。バスと同じ形式の販売機なので使い方が分からないし、しかも改札口で誰も切符を見ないので、ただ乗りし放題なのだ。この街は、どうなってるんだろう。みんな真面目だから、絶対にただ乗りしないのだろうか。・・・まあ真相は、社会主義時代の名残なのだろう。抜き打ち検査も、たまにはあるらしいし。
とにかく、薩摩守(ただ乗り)を連発しながら、ディヴィチェのロータリーから適当に小道を選んで進んでいくと、暇そうなタクシーが1台道端に停まっていた。これはラッキーと思って声をかけると、昔のプロレスラー(スタン・ハンセン)みたいなオジサンが窓から顔を出した。その腕には青い刺青が・・・。こいつはイカンと思ったが、断るのも失礼なので、地図を見せて行き先を指示したところ、笑顔でオーケーしてくれた。料金も良心的だし、応対も親切だった。人は見かけに寄らないのだなあ。
さて、こうしてホリデイ・イン・ホテルに着いたときはもう夜7時。そろそろ周囲も暗くなっていた。一安心かと思いきや、次なるトラブル発生。受付の姉ちゃんが、一人部屋代金が未収だから寄越せと言うのだ。でも、これはおかしい。マップツアーに全額前払いしてあるからだ。スラヴ姉ちゃんに英語で文句を言ったら、姉ちゃんは黙ってパソコンの画面を指差した。確かに未収になっているわい。諦めて、VISAカードを出して支払った。国に帰ったら、マップツアーに殴りこみだわい。どうも、安くてサービスの悪いツアーはいかん。詰まらぬことで、無闇に疲れるばかりかもしれぬ。
でも、部屋はなかなか良い感じだった。落着いた雰囲気のツインルームだ。飯でも食おうかと思いきや、あまり腹は減っていないことが判明。体を動かさずに機内で12時間寝て、しかもウイーン空港着陸直前に機内食食ったもんな。というわけで飯はパス。治安の状態がまだ分からないので、夜中の外出は止めておくことにした。
とりあえずロビーを散歩して、バーでビールを飲む。それから部屋に帰って「地球の歩き方」を精読する。なんだ、券売機の使い方がちゃんと書いてあるじゃないか。これで、明日から犯罪行為をせずに済むぞ。
それから本(ピーター・ジェイムズの「ホスト」)を少し読んで、10時くらいには寝た。