歴史ぱびりよん > 世界旅行記 > ハンガリー旅行記(附第二次オーストリア旅行記) > 7月3日火曜日 ウイーン到着
アムステルダムの上空より
俺としたことが、ちゃんと定時に眼が覚めた。
どういう風の吹き回しだろうか?
明日は雨かもしれんな・・・。本当に雨が降ったけどな・・・。
時間に余裕をもって新宿に着いたので、少しタイムズスクエアあたりを散歩するも、荷物が重いので、ちっとも楽しくない。さっさと切り上げて、成田エクスプレスに乗り込んだ。
俺の座席の前には若いカップルが座っていたのだが、女のほうが家にパスポートを忘れてきたらしく、二人は大慌てで東京駅に降りて行った。ドジだねえ。でも、彼らのお陰で前の座席に足を伸ばして寝て行けたのだから、感謝しなければならぬわい。
それにしても、成田エクスプレスは片道3,110円。なんでこんなに高いのか?どうも納得いかねえなあ。確かに早く着くけれどさ。
今回の旅行は、いつものように、飛行機とホテルだけ旅行会社に予約してもらい、後は完全自由行動というツアーである。IACEトラベルというところにインターネットで申し込んだのだが、メールによる応対がとても丁寧な会社だったので、前のマップツアーよりは安心感が持てた。ただ、航路がアムステルダム経由というのが気にいらない。最初の目的地ウイーンに行くためには、行き過ぎてから戻る形になるので、時間的に無駄が多いのだ。まあ、それくらいは我慢しよう。
今回は、前回の反省点を生かして、事前にかなり綿密な準備を整えた。ドイツ語やハンガリー語を片言ながら習得し、列車の時刻表を入手し、目覚し時計やデジカメを用意し、さらにカバンや靴まで新調した。さらに、現地での行動予定を細大漏らさず計画したため、前回のような時間のロスは避けられるはずであった。
さて、KLM(オランダ航空)が発着するのは、成田空港第一ビルだ。考えてみたら、第一ビルに来たのはこれが初めてだったのじゃないか?海外旅行はこれで7度目なのだが、いつも第二ビルから出発していたからね。第一ビルのほうが、こじんまりして動き易いから、俺は気にいったぜ。
NTSユアーズのデスクで航空券を受け取ると、重い荷物を背負いながら空港ビル内の散歩に興じ、急にカレーが食いたくなったので不二家レストランでビーフカレーを食った。なんせ、これから1週間は米のご飯が食えないもんな。良く味わっとかないとね。
満腹したので、カメラ屋で使い捨てカメラを2つ買ってから出国審査に向かう。7月から入出国カードが廃止されたため、いつものような混雑が無く、手続きも円滑に済んだ。なんで、もっと早くに廃止しなかったんだろう、あんなカード。これだからお役所は石頭だというのだ。ともあれ、遅咲きの効率化によって、予想より早く出発ゲートに辿り着けたのはラッキーであった。
KLMのジャンボ機は、空色の彩色がなされたカラフルな機体だ。でも、エコノミークラスの座席は大したこと無い。しかも、どこか故障していたらしく、スッチーがしょっちゅう俺の座席のボタン類を見に来てウザい。隣には、事もあろうに日本人の団代ツアーのオバサンが座っていてお喋りがウルサイ。さらに駄目押しで、座席のすわり心地が悪いので、アムステルダムまでの11時間、あまり眠れなかった。
仕方ないので機内上映映画でも観ようとしたら、スクリーンが遠く離れていてとても観難い。映画は「ショコラ」だ。まあ、映画館で一度観たしね。でも、やはりヴィクトワール・ティビソルちゃん(8歳)は可愛いなあ・・・ごほ、げへ、がは・・・ジュリエット・ビノシュはオバサンになっても美しいなあ、と言い換えよう。
退屈だったものだから、不本意ながら隣のオバちゃんたちと話したのだが、この連中はアムステルダムからフィンランド方面に向かう予定のようだ。俺の旅行が完全個人旅行だと知ると、しきりに俺の身を案じるようなことを言って来やがった。大きなお世話だ。だいたい、その口ぶりが気にいらない。結局、俺の身軽な行動を羨ましがって嫉妬していやがるのだ。俺は、不快になったぞ。というわけで、アムステルダムに到着してオバちゃんどもから解放されると、心からの深呼吸を満喫するのであった。やはり、オバサンは人類の敵である。俺が世界征服を達成した暁には、オバサンはみんな強制収容所送りにしてくれるわ!
アムステルダムのスキポール空港は、たいへん大きくて美しいところだ。乗り換えまで2時間くらいあったので、土産物屋を物色する。お国柄、チューリップの球根やら種やらがたくさん売られているのだが、そんなもの旅行者が買いたがるかなあ?
ともあれ、ようやくウイーン行きのKLMに乗り込む。いくぶん小柄だが、ちゃんとしたジェット機だ。窓際の俺の隣には、なかなかいかしたラテン系のお姉ちゃんが座った。彼女の広げた英字新聞には、小泉首相のドアップが。これはチャンス!とばかりに心はナンパモードになるのだが、口と体が重くていかぬ。前の飛行機で眠れなかったツケが回ってきて疲れていた上に、やばい事に風邪っぽいのである。英語でのナンパは、気の利いたジョークを言わなきゃならぬので、たいへんな精神エネルギーが必要である。この体調では、まず無理だ。そこでナンパは止めにして、ウイーンまで寝ていくことにした。でも、降り際に見えた彼女のパンツのラインがTバックだったのには瞠目した。やはりナンパしておくべきだったかなあ。
ウイーンのシャハベヤート空港に降りた。考えてみれば、海外旅行で同じ空港に2度降りたのは、今回が始めてである。同じところに2度行くというのは無駄なように見えてそうでもない。なんとなく懐かしいような安心感に浸れるからである。特に今回は、体調が悪くてテンションが低調だったしね。
さて、今回のツアーでは、空港~ホテルの送迎を現地係員がやってくれることになっているのだが、出国ゲートを出ても、なかなかそれらしい人が見つからぬ。いったい、どこにいるんじゃい?
今回のホテル(パーク・シェーンブルン)は、2年前に偶然訪れたことがあるから、場所は良く知っている。つまり、迷子の恐れは皆無だ。というわけで、勝手に行こうとしかけたときに、「ミスター・ミウラ?」と外人のオジサンに声をかけられた。2人組の外人さんで、その背後には若い娘たちを連れた日本人のオバサンがいる。外人の一人は、私の名前を大書した紙を持っていた。ようやく現地係員に合流できたというわけだ。
日本人の家族連れは、俺と同じツアーの人なのだろうか?いろいろと尋ねようと思っていたら、家族連れは両替屋に走っていった。俺は、飛行機を降りてすぐに両替を済ましていたので、彼らに付いていく必要は無い(ここが、プロとアマチュアの違いなんだな)。その場で家族連れを待っていようかと考えていたら、外人の一人が、先に行こうと言う。そこで、俺はその人と一緒に空港地下の駐車場に向かった。黒塗りの中型車(車種は知らない)に乗って、一路ホテルへ。運転席の外人さんはいたって無口なので、俺は窓外の懐かしい景色を見ながら天候を読む。いかん、ひどい曇りだ。良く見ると、フロントガラスにポツポツと雨が当たっているではないか。体調といい天候といい、これは幸先悪し。
やがて車はホテルの入口に到着し、外人さんは、そそくさと俺と荷物を置いて去って行った。
パーク・シェーンブルンは、2年前にシェーンブルン宮殿を訪れたときに、両替に寄ったことのあるホテルだ。懐かしいなあと思いながらフロントでチェックインを済ませる。よしよし、俺の英語力は衰えていないぞ。
このホテルは、いわゆるヨーロピアンスタイルだ。つまり、古めかしい屋敷をそのままホテルに改造したやつだから、調度品の性能の低さは我慢しなければならない。こういうホテルでは、昔の人の気持ちに成り切って、アンティークに囲まれる優雅な気分を味わうべきなのだ。というわけで、3階(日本では4階に相当する)の部屋まで、急ごしらえのエレベーターには頼らずに階段を歩いて昇ることにする。荷物は重いけど、やはりヨーロピアンは雰囲気が渋くて良いなあ。
部屋も、アンティーク風の家具に囲まれて心地よい。歯ブラシやシャンプーは置いていないし、お風呂の蛇口も壊れて冷水が出なくなっていたけれど、そんなことで文句を言うのは田舎者である。・・・ありゃ、考えてみたら歯ブラシを家に置いて来た。かっこつけてる場合じゃないぞ。これじゃ、歯を磨けないじゃないか。・・・まあ、いい。夜7時だし、体調も悪いから、今日はこのまま寝よう。
そのまま下着になると、簡単なうがいをしてベッドに飛び込んだ。
そして、朝6時まで熟睡した。