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歴史論説集

概説 ロシア史

モスクワ公国の台頭

モスクワの聖ワシーリー聖堂

 

 ロシアを征服したモンゴル勢力は、最初のうちはジョチ・ウルス(チンギス・ハンの長男ジョチの国)、あるいはキプチャク・ハン国と呼ばれる巨大な帝国を築いていました。ただし、支配民族であるモンゴル人は少数で、構成する国民の多くはイスラム教を奉ずるトルコ系の遊牧民だったと思われます。

 この時代のモンゴル帝国の強勢の理由は、騎馬部隊を中心とした軍事力が強かったのは当然として、あまり征服地の宗教や文化に干渉せず、税金もそれほど重くなく、しかも広域的な通商に力を入れたからです。つまり、支配される側は、抵抗さえしなければ、むしろ以前よりも豊かで幸福な生活を享受できる可能性があったのです。モンゴルが、短期間にあれだけの軍事征服を達成した理由は、軍事力だけでは語れないでしょう。

 しかし、どんな国でもそうですが、必ず経年劣化して行きます。キプチャク・ハン国は、遊牧民族恒例の後継者争いで分裂したり内戦を起こしたりするだけでなく、支配者層が奢侈で怠惰になり、経済活動を停滞させるのみならず、増税に走るようになったのです。モンゴル諸国家は、こうして分裂して弱体化して行きました。

 そんな中、同じように分裂していたロシアの公国群の中に、統一の動きが出てきます。その立役者となったのは、ノヴゴロドやウラジミールといった古来の大都市ではなく、あまり有名ではなかった辺境の田舎町モスクワでした。

 モスクワ大公が急激に台頭した理由は、その指導者層が徹底的にモンゴルの権力者に遜ることで、その信頼を勝ち取ったことにあります。モンゴルとしても、便利な手駒として使う上で、モスクワは丁度良いくらいのサイズの勢力だったのでしょう。

 歴代モスクワ大公は、しばしばモンゴルのスパイのような真似をして他のロシア諸侯を失脚させたり、あるいは謀反の噂を流すなどで、宗主国の軍事力を導入してライバルを討伐したりしています。

 こうして数百年を経るうちに、モスクワ大公はロシア諸勢力の第一人者になっていました。次第に高まるその野心は、ロシアの統一のみならず、モンゴルからの独立を狙います。

 14世紀のキプチャク・ハン国は、様々な勢力に分裂するだけでなく、中東地域のモンゴル系国家イル・ハン国や、その後継であるティムール帝国とも争って弱体化していました。

 やがて、増税拒否をきっかけに反旗を翻したモスクワ大公ドミートリーは、「クリコヴォの戦い(1380年)」で、初めてモンゴル軍を打ち破ります。それを皮切りにして、ロシア全土は、様々なハン国や中東イスラム勢力、さらにはポーランド、リトアニア、スウェーデンの介入もあって、複雑怪奇な合従連衡を繰り返す戦国時代に突入するのです。

 この乱世の最終勝者となり、ロシアに覇権を確立したのは、モスクワ大公イヴァン3世(イヴァン大帝)でした(1440~1505年)。政略結婚と政治策略、そして戦争の限りを尽くし、モスクワの領土を即位当初の4倍にまで拡張した彼は、ノヴゴロド公国もついに征服してしまいます。

 それどころか、彼の在世中にビザンツ帝国がついに滅亡したことから(1453年)、モスクワ大公は東方正教の唯一無二の守護者となり、その宗教的権威も最高潮となりました。

 モスクワはやがて、ロシア正教とその名を変えた東方ギリシャ正教の聖地となるのです。

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