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歴史論説集

概説 ロシア史

ピョートル大帝とロシア帝国の誕生

ポルタヴァの戦い

 

 世界史は、ある特定の民族集団が、ある特定の時期に大暴れすることで、大きな地殻変動を起こすという不思議なダイナミズムを持っています。

 それと同様に、ある一人の天才が、ある特定の時期に大暴れすることで、時代を大いに震撼させることもあります。ピョートル大帝ことピョートル・ロマノフこそ、そういった天才の筆頭ではないでしょうか?ロシア国家は、この男によって確実に、一気に数百年分の進化を遂げたのですから。

 ピョートルは、名君だったアレクセイ帝の庶子として生を受けます(1672年)。生まれた時から巨大な体躯を持ち、その眼光から聡明な光を放っていたようです。それでも、庶子であったために、当初は帝位継承者とは見られていませんでした。しかし、その後の内紛の紆余曲折を経て、兄弟姉妹たちが次々に殺害されたり失脚したりを繰り返した中で、ついにロマノフ家の当主となります。

 非常に風変わりな個性の持ち主だったピョートルは、幼いころから、モスクワ郊外に作られた外国人租界に入り浸り(この当時、ロシアに滞在する西欧人は、みんなゲットーに隔離されていたのです。ロシア人の西欧に対する恐怖心と警戒心は相変わらずですね)、あるいは私有地の村に遊び仲間を集めて戦争ごっこに興じたりしています。

 彼の仲間たちの顔ぶれも風変わりで、彼が最も信頼した家臣は、馬丁出身でモスクワのピロシキ売りだったメンシコフ。生涯で最も愛した女性は、ドイツ系商人の娘だったエカテリーナ(娼婦だったという説もある)。つまりピョートルは、皇室に生まれたくせに、ロシア人の上級国民に馴染めずに、外国人とロシアの庶民ばかりを愛し信頼した不思議な人なのです。

 こういった環境の中で、従来の皇帝たちとは全く異なる知的刺激を受け続けた結果、ピョートルはロシアを西欧型の近代国家に大改造することこそが自分の生涯の使命だと思い定めます。そして、自分自身を、国家の機関であり第一の公僕であると信じ込むのです。つまり彼は、西欧型の「啓蒙専制君主」となって自覚的に突っ走ったロシア人なのです。

 まずは、自らが庶民に変装し、大規模な視察団に混じって西欧各国を視察見学します。この使節団を迎えた国々は、2メートルの体躯を誇るミハイロフくん25歳の正体がロシア皇帝だと気づきつつも、気づかない振りをして、彼を庶民として扱いながら、様々な技術を教えるという無理ゲーを強いられたのでした(笑)。何となく、明治日本の遣欧使節団を連想させるエピソードですが、皇帝自らが先頭に立って勉強したのだから凄まじい。ともあれ、ロシアはこうして西欧化への確かな道筋を付けるのです。

 1年半にも及ぶ視察と勉強を終えてロシアに帰国したピョートルが着手したのは、侵略戦争でした。祖国を近代化させるためには莫大な資金が必要ですが、資金を集めるためには交易が不可欠です。そして、交易のためには冬でも凍らない港が必要。その港は、侵略戦争を仕掛けて外国から奪い取るしかないという三段論法です。イヴァン雷帝の見果てぬ夢よ、もう一度ということでしょうか。

 西欧への交易アクセスのためには、いずれにせよスウェーデンを倒してリヴォニア地方を奪うしかないのです。

 イヴァン雷帝の大失敗を知るピョートルは、外交戦略を慎重に進めます。今回は、ポーランドやデンマーク、そしてザクセン選帝侯と同盟を組んで、共同でスウェーデンを叩く算段をしました。

 この当時のスウェーデンは、「バルト帝国」の異名を取る巨大戦闘国家に成長していて、周辺諸国の恐怖と怒りを買いまくっていたのです。ピョートルは、大使節団での研修旅行中に、抜け目なくスウェーデンに対する「北方同盟」の根回しを巡らせていたわけなので、大使節団は戦争準備の巧妙なカモフラージュでもあったのです。

 「大北方戦争」は、こうして始まりました(1700~1721年)。

 しかし、スウェーデンは強かった!

 この国は、これこそ北欧流ノブレス・オブレージュの原点だと思うのですが、国王自らが精鋭部隊を率いて敵陣に突撃するという、いかにもバイキング的な戦闘スタイルを得意としていました。『概説・三十年戦争』で紹介したグスタフ・アドルフ国王が有名ですが、この当時の国王カール12世も、全く同じタイプの軍人王でした。むしろ、女性に全く興味を持たず、ひたすら戦争に夢中だったカール12世こそ、究極の上杉謙信タイプだったと言えるかも。

 ピョートルの不幸は、こういう人を敵に回してしまったことです。上杉謙信に苦しめられる武田信玄や北条氏康の姿がダブって見えますね。

 さて、カールが自ら陣頭に立ってデンマークを叩きのめしている隙に(デンマークは、あっという間に降伏)、ピョートルはスウェーデンのナルヴァ要塞(現エストニア)を5万の大軍で包囲します。しかし、急を知った18歳のカールは、精鋭部隊を急行させて韋駄天のようにロシア軍の背後に回り込み、数において3倍にも及ぶピョートル軍を、吹雪を衝いた奇襲攻撃で完全撃破!事実上、ロシア軍は全滅して、ピョートルも慌ててモスクワに逃げ帰ります。

 このままカールがモスクワに攻め込めば、ロシア国家は滅亡していたことでしょう。

 しかし、ポーランド軍がリトアニア方面で気勢を上げたために、カールは西方に転進せざるを得なかったのです。ピョートルには、同盟国がたくさんあって良かったね。

 戦争大好きなカールは、ポーランドやドイツ方面でガンガン戦闘します。スウェーデン軍は、とにかく無敵の強さなので、戦えば必ず勝つ。ザクセンもポーランドも木っ端みじんに粉砕されて、事実上の降伏をします。しかし、その隙にピョートルが息を吹き返してしまいました。

 カールがいない間に、火事場泥棒的に軍を進めたピョートルは、ついにナルヴァ要塞を奪取。そして、ネヴァ川の河口にペトロパブロフスク要塞を築き、ここを大本営とします。この大本営が発展した都市こそ、今日のサンクトペテルブルクなのです。

 今や宿命のライバルとなったピョートル1世とカール12世の決戦は、1709年に起きた「ポルタヴァの戦い」です。

 この時も、コサックが重要な役割を果たします。カール12世がウクライナ方面からのロシア征服を試みた理由は、コサックのヘトマーン(頭領)、イヴァン・マゼッパが、スウェーデンに同盟を求めて来たからです。カールは、直卒の精鋭部隊とコサックが合わされば、モスクワ攻略も夢ではないと考えたのです。

 このマゼッパも大衆的人気がある人物で、後に様々な文学や音楽の題材にされていますね。

 しかし、この時はピョートルの対応が早かった。電撃的にマゼッパを奇襲攻撃したピョートルは、頭領こそ取り逃がしたものの、その勢力基盤を転覆させることに成功します。また、侵攻して来たスウェーデン軍に対しては、その後のロシアの伝統芸となる「焦土作戦」で対抗します。これは、敵の進路のインフラを破壊することで、補給切れを狙う作戦です。

 こうして補給不足に陥り、進軍するほどに疲労を重ねたスウェーデン軍の最悪の不幸は、ロシアの狙撃兵によって、天才的名将であったカール12世が重傷を負ったことでした。

 このチャンスを逃すようなロシアではない。盟友メンシコフ将軍とともに決死の覚悟で軍を進めたピョートルは、ポルタヴァの地でスウェーデン軍と会敵します。ロシア軍4万5千対スウェーデン軍2万。負傷中のカールが後方で休んでいたにもかかわらず、数的に劣勢だったにもかかわらず、スウェーデン軍は無茶苦茶に強かった!ロシア軍は、大苦戦の末にようやく辛勝したのです。それでもこの勝利は決定的で、退却するスウェーデン軍は、ロシア軍による苛烈な追撃を受けて、その歴戦の精鋭のほとんどを失います。このポルタヴァの決戦で、「大北方戦争」の帰趨は決したのです。

 命からがら逃走したカール12世とマゼッパは、仲良くしぶとくオスマン帝国に亡命し、スルタン(トルコ皇帝)を焚きつけてロシアに宣戦布告させました。こうして、ピョートルは新たな敵と対決しますが、こちらは痛み分けに終わります。実はロシアは、北方のみならず南方の黒海沿岸の港湾も狙っていたのですが、この時期のオスマン帝国にはまだ歯が立たなかったのです。

 そうこうするうちに、マゼッパはトルコで病死してしまい、カールは寂しくスウェーデンに帰国します。ただし、彼はトルコで覚えたキョフテ(ハンバーグ)の味が忘れられず、そのレシピを母国に持ち帰りました。これが、IKEA名物ミートボールになったと言われています。歴史って、今日のいろいろな所に繋がっているから面白いですね(笑)。

 さて、戦争狂カールは、その後も各地で暴れまくるのですが、ノルウェーとの小競り合いの中で戦死してしまいます。こうして、国費を盛大に戦争に使い、その割には結果的に多くの領土を失ったスウェーデンは、もはや「バルト帝国」ではなくなっていました。その間に、後進国家だったはずの宿敵ロシアは、巨大な世界帝国へと成長していました。

 モスクワ大公国は、「大北方戦争」の大勝利を祝して、正式に「ロシア帝国」と名乗るようになったのです(1721年)。初代皇帝は、もちろん大帝の称号を得たピョートル1世。

 ピョートル大帝は、その後も様々な構造改革を行い、新たに獲得した港湾を利用して交易を盛んにしました。首都をモスクワからペテルブルク(現サンクトペテルブルク)に移したのも、このころです。

 また、長引く戦争のために武器を作る必要があったため、ロシア全域で鉱工業も大発展しました。しかし、そのための資金を得るために農民に重税が圧し掛かり、農奴制がかえって強化されてしまったのが皮肉です。

 それでもロシアは、ヨーロッパ列強やオスマン帝国が瞠目するような巨大帝国へと、一気に成長を遂げたのでした。

 ピョートルは、おそらく現代医学では重度のADHDに分類されるタイプの変人で、上機嫌だった宴会の最中に突然激怒して仲間をぶん殴って半殺しにしたり、あるいは部下たちの虫歯をぜんぶ自分一人で治療しようとしたり、奇形児の死体ばかり集めた博物館を作ったり、宮殿に住むのを嫌がって木造の掘立小屋に住んだりと、非常に落ち着きが無くて癖の強い人間でした。まあ、本当の天才というのは、概してそういう物かもしれませんけど。

 暴君の素質を持った人物なので、仮に「大北方戦争」に敗北していたなら、イヴァン雷帝のように逆切れして国内テロルに走っていたかもしれません。そういえば、ピョートルも自分の長男を殺している(自然死説もある)なあ。

 そういう意味では、彼もまた、ロシア特有の苛烈な独裁者だったと言えるでしょう。

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