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歴史論説集

概説 日本史

第二話  日本人の起源

1、人種の問題
 
 この章では、日本人がどこから来たのかを考察する。
 
 まず、一般的な認識から言えば、日本人はモンゴロイド族に属する黄色人種である。日本列島を北から南まで見渡しても、この事実には間違いは無い。
 
 ただ、その先祖がどこから来たのかについては、諸説あって纏まらない。もともと土着の人々が居たところに、大陸の各地から移民が渡ってきて混血したというのが実相なのだろう。
 
 周囲の顔を見渡せば、一つとして同じものはないが、それでも特定のパターンがあることには気づく。例えば、彫りが深くて毛深い人はアイヌ系、目が細くて釣り上がっている人は北蒙古系、丸顔で温和な感じは南方系といった具合に類別可能である。さらに細かく見ていけば、フィリッピン人に似ている人、朝鮮人に似ている人、中国人に似ている人、エスキモーに似ている人、インド人に似ている人がいる。ちなみに筆者は、朝鮮人に似ていると言われたことがある。これらは、一種の先祖がえりなのかもしれない。
 
 具体的な歴史資料を紐解いてみても、日本列島には各地から移民が殺到している。渤海地方から日本海を通って北陸に土着した人々、朝鮮半島から九州に入った人々、東南アジアから沖縄を経由してきた人々などが見て取れる。ただ、これらは侵略という形は取らなかったようである。日本に渡ってきた人々は、何らかの事情で母国を追われた難民が多く、列島を征服しうる軍事力を持たないのが普通だったからである。列島の先住者たちは、アニ ミズムに基づく寛容さを発揮して、また豊かな生活資源のお陰で経済的な余裕もあって、難民を好意的に受け入れたのだろう。
 
 ひところ、騎馬民族征服説というのが学界を騒がせた。蒙古系の騎馬民族が大陸から九州に侵入し、土着の勢力を征服し、日本の王になったというのである。ただ、この説にはいくつもの大きな穴がある。まず、西日本から馬の骨が出土する例が少ない(むしろ東日本に多い)。騎馬民族の風習である飲血やズボンの着用、そして宦官制度が、日本の文化に導入されていない、などなど。結局、騎馬民族が日本に渡ったとしても、それは政治難民の形で、渤海から東国に入ったということなのだろう。そして、騎馬民族固有の風習は、列島には受け入れられずに風化したということなのだろう。
 
 以上のことから、日本人は、モンゴロイド諸人種の混血によって成立した民族なのだと、ひとまず結論しておく。

 
2、言語の問題
 
 日本語の起源も、学界を賑わす話題の一つである。この問題についても、結論は未だに出ていない。その最大の理由は、日本語の類似語がどこにも存在していないという点である。例えば、朝鮮語とも中国語とも違い、完全に孤立した形になっているのである。最も影響を受けたであろう中国語と比較しても、発音の仕方も文法も異なるのはどうしてか。
 
 おそらく原始の日本語は、文字を伴わない話し言葉として発達したのだろう。影響を受けた言語は、朝鮮の古語か中国江南地方の古語であったろう。ただ、朝鮮や江南の古語は、その後の歴史の中で中国語に呑み込まれて消滅し、離れ小島の日本列島でのみ生き残ったのではあるまいか。そして、日本人が書き言葉としての文字を必要とした時には、既に中国文字である漢字を輸入するしかなくなっていたのではあるまいか。こう考えれば、辻褄が合う。中国とは異なる発音と文法を持ちながら、書き文字は、漢字とその応用形である「平仮名」と「片仮名」を用いるというアンバランスを説明できるのである。
 
 そして、このアンバランスさが日本語の難しさとなっている。一つの音を表すのに、三種類の文字を持つ言語など前代未聞である。それゆえに、高校生になっても「国語」を学ぶ羽目になる。大学受験で、「漢字の書き取り」が出題されたりもする。これは、アメリカ人やイギリス人には無縁の苦労であろう。
 
 筆者は、日本語を否定するつもりもないし非難するつもりもない。ただ、日本人の文化の本質を典型的に表しているのが「言語」なのである。つまり、いろいろな要素を、考えなしにくっつけて混ぜ合わせ、そのことで苦労するのが日本人の習い性になってしまっている。例えば、政治の仕組みや法律制度や会計制度にしても、諸外国の制度を近視眼的に良いとこ取りしたために、必要以上に複雑で理解が難しくなってしまった。
 
 日本人の最大の欠点は、こうした制度や仕組みを樹立するときに露呈する。そのことがもたらした歴史の悲劇を、読者はこれから見ていくことになるかもしれない。
 

3、宗教の問題
 
 日本人固有の宗教は、先に述べた自然崇拝である。これは、日本神道という形で今日に至るまで連綿と受け継がれている。
 
それ以外にも、仏教やキリスト教や儒教が歴史の中で脚光を浴びる時期がある。ただ、これらの宗教は、本来の教義を大きく逸脱し、神道の洗礼を受けて神道の一派として位置付けられてしまった。
 
 例えば日本の仏教は、釈迦が唱えた小乗仏教ではなく、大乗仏教である。本来の小乗仏教の目的は、厳しい修行の末に悟りを啓くことによって、輪廻転生の鎖(古代インド人は、生まれ変わりを悪だと考えていた)から解放されることであった。しかし日本の大乗仏教の目的は、流派によって多少の違いはあれど、仏の力に縋って極楽浄土に行くことである。つまり、本来の教えとは全く異なることを目的にしているのだ。筆者に言わせれば、これはもはや仏教ではない。
 
 キリスト教や儒教も同じ事が言える。日本人は、これらの教えを自分たちに都合の良いように作り変え、場合によっては為政者が政治の道具として利用してきた。遠藤周作という作家は、そうした日本人の宗教観に疑問を持ち、その疑問を小説にしている。『海と毒薬』や『沈黙』は、歴史に残る傑作だ。
 
 こうして見れば、結局、日本人の宗教は、あくまでも日本神道だということになろう。そして、この日本神道の大祭主こそ、天皇なのである。天皇制を考える上での難しさは、ここにある。天皇は、政治機関というより、むしろ宗教機関なのである。ゆえに、政治の原則論だけで天皇不要を唱えることは、たいへんな間違いである。それにしても、宗教の大祭主が未だに国家の機関となっている国は珍しい。バチカン市国が、これに近いと言うべきか。とにかく、こういう点に日本のユニークさを見ることができる。

 
4、大陸との関係
 
 日本と大陸との政治的な関係についても疑問は多い。
 
 日本は、文字の発達が遅れたために、国内の古代の記録が、文書の形では存在しない。それゆえに、口頭伝承の神話や、かなり後の時代に成立した『記紀』を頼りにするしかないので、唯一頼りになるタイムリーな史料は、古代朝鮮や中国の記録や、発掘調査の結果である。それによると、日本は古代から朝鮮半島の政治に大きな影響を及ぼし、しばしば軍隊を派遣して戦火を交えていたようである。また、中国とも使節のやり取りをしており、『後漢書』などに倭王からの朝貢の記録がある(紀元2世紀)。ただ、史料は質量ともに不十分であり、その記述内容もどこまで本当か分からない。『記紀』との食い違いも目立ち、その内容解釈自体が、史家にとって重要な研究テーマとなっているほどである。
 
 大陸との関係は、日本人の起源を探る上で重要なテーマである。しかし、史料の不備によって性急な結論は出すことが出来ない。
 
 ただ、推論を述べることはできる。発足して間もない日本の王権が、積極的に海外に働きかけたのは何故か。それは、日本の王権を握る大きな勢力が、半島に対して利権を持っていたからであろう。日本の古代王権の中枢が、半島からの渡来人であった可能性は、極めて大きいものと思われる。

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