歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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歴史論説集

概説 日本史

第十一話 そして、今

1、平和国家への道
 
 戦後の世界情勢を俯瞰すると、第二次世界大戦は従来の帝国主義国家を根こそぎ破滅させた。イギリスやフランスは植民地を次々に放棄し、インドも中東もアフリカ諸国も独立を果たした。ただし、西欧諸国に食い荒らされた旧植民地は悲惨であった。アフリカでは貧困が慢性化し、中東ではアラブとイスラエルの殺し合いが恒常化してしまった。英仏は、これらの事態について重い責任があるのだが、彼らにはその自覚があるのだろうか?
 
 しかし、西欧を中心に回っていた旧来型の世界秩序は終焉を迎えた。そして、あの戦争で全く国土にダメージを受けなかった唯一の大国であるアメリカが、世界のリーダーとして登場したのであった。
 
 ところが、アメリカの覇権に挑戦する勢力があった。ソ連と中国を中心とする社会主義国家たちである。これらの国々は、アメリカ型の自由主義的な市場経済を否定し、官僚統制型の計画経済で国を富ましていこうと考えたのである。
 
 ここではマルクス思想について詳説する余裕はないが、社会主義国は「自由市場に基づく資本主義はもはや時代遅れだ」と考えていた。そして、自分たちは資本主義の次のステップを進んでおり、やがて人類の理想郷を築くのだと信じていたのである。
 
 これに対し、アメリカと西欧を中心とした伝統的な市場経済信奉者たちが立ち向かう。
 
 自由主義経済を信奉する欧米諸国と社会主義経済を信奉する中ソらは、互いの原理を一歩も譲ろうとせず、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、中東で激しく対峙した。
 
 こうして、東西冷戦が幕を開けたのである。かつての帝国主義の複雑なバトルロイヤルは、今や米ソ2国の睨み合いに収斂されたと言えようか。
 
 戦後日本は、アメリカによる単独占領を受けたことから、自動的に自由主義陣営に組み入れられた。これは、実はたいへんな幸運であった。なぜなら、米ソによる分割占領を受けたドイツや朝鮮半島は、国土自体を二つに引き裂かれてしまったからである。このうちドイツは既に統一を勝ち得たが、朝鮮半島の不幸は今もなお継続している。
 
 ともあれ、日本はこうしてアメリカ占領下でアメリカの色に染め上げられていく。
 
 マッカーサー元帥を中心とするアメリカ占領軍は、最初のうちは日本を平和な文化国家に改造しようと考えていたようだ。もちろん、その内容はアメリカ人の身勝手な価値観に偏ったものであったが。
 
 そのアメリカ人は、民主主義しか知らない連中なので、とりあえず日本の国体を「民主主義」にした。ここにようやく、政党政治が復活したのだ。マッカーサーは、アメリカ文化と相容れない概念である天皇家の扱いについていろいろと迷ったようだが、これを「国の象徴」ということにして丸く収めた。
 
 こうして、「日本国憲法」が発布された(1946年)。この憲法のユニークな特徴は、「戦争の放棄」を謳っていることである。このような憲法は、世界に例がない。そういう意味で貴重といえば貴重である。悪く解せば、この国はアメリカによって「去勢された」ということなのだが。
 
 アメリカ占領軍は、様々な改革を行った。まずは太平洋戦争の責任者を、戦争犯罪人と呼んで適当に選んで処刑した(東京裁判、1948年)。彼らは軍隊を解体し、財閥を解体し、そして農地を小作人に解放した。言論と出版の自由を保証し、税制を改正し、証券取引法を導入してくれた。つまり、アメリカ流の自由主義経済の基盤を作ったのである。これらが、戦後日本の躍進の原動力となったのは言うまでもない。
 
 しかし、アメリカがまったく手を付けなかった分野がある。すなわち、軍閥以外の「官僚組織」である。彼らにとっては、江戸時代に完成されたこの高度な官僚組織は、占領下の日本を効率的にコントロールする上で極めて有用であったのだ。かつて、明治政府がこれを温存したのと同じ発想である。
 
 こうして、かつて徳川家康が整備した高度な統制管理組織は、アメリカ占領軍の洗礼を乗り越えて、再びそのドグマを伝え残したのであった。
 
 やがて冷戦が始まると、アメリカの日本に対する見方は大きく変わった。もはや日本は、平和な文化国家どころか、ソ連に対する最前線基地であった。しかも、中国大陸で蒋介石が毛沢東に敗北し、中国全土が社会主義化する(中華人民共和国の誕生)という大波乱が起きたのだ(1949年)。もはや、平和だの文化だのと言っていられる場合ではない。
 
 そういうわけで、アメリカ占領軍の差し金で「自衛隊」というのが出来た。これが憲法違反なのかどうか、未だに議論が絶えないところだ。また、アメリカ軍は日本の占領を解いた後も、各地に基地を設けて軍隊を駐屯させた。これも、今日まで引きずっている問題の一つだ。
 
 ともあれ、アメリカが肩代わりしてくれたお陰で、日本は軍事費の負担から解放されることになった。明治期以来の苦しみから、ようやっと逃れられたのだ。こうして、経済発展に特化できるようになったこの国は、いつしか「経済大国」と呼ばれるようになる。

 
2、冷戦の狭間で
 
 冷戦は、東側(ソ連)の猛攻を西側(アメリカ)が防ぐ形で戦われた。
 
 東側の攻勢には、基本的なパターンがあった。それは、(1)標的となった国の社会主義勢力を支援する。(2)その勢力が十分に大きくなったら内乱を起こさせる。(3)そんな彼らを救援するという名目で派兵する。この3段階を踏んで行われるのが普通であった。
 
 「朝鮮戦争」(1950~51年)は、まさにこのステップどおりに行われた。韓国政府が共産党を弾圧すると、それを見た金日成(キムイルソン)の北朝鮮軍が、救援という名目で南進したのである。これに驚いたアメリカが、日本を基地として軍事介入すると、今度は中国が戦争に介入してアメリカに立ち向かった。結局、朝鮮半島全域を焦土にしたこの戦争は痛み分けに終わり、いわゆる38度線を挟んで、北と南は未だに睨み合っている。
 
 「ベトナム戦争」(1963~68年)も、これと良く似た戦争であった。アメリカの支援を受けた南ベトナム政府が共産党を弾圧したので、ホーチミン率いる北ベトナム軍が中国とソ連の支援を受けて南進を開始した。アメリカは大規模な軍勢を送ってこれと戦うが、ジャングルでのゲリラ戦に巻き込まれて敗退。こうしてベトナム全土は、社会主義政権の掌中に入ったのである。
 
 「アフガン戦争」(1979~89年)は、これと良く似た経緯で起きた戦争だが、このときは侵攻側(ソ連)が敗退し、ソ連崩壊の遠因となっている。
 
いずれにせよ、西側諸国は、東側の侵攻を必死に耐え支える形勢であった。そんな彼らにとって、地政学的に最も重要な最前線は日本と西ドイツである。もしもこの二国が敵手に落ちたなら、西側にとって致命的な大打撃となるだろう。だから彼らは、日本と西ドイツの復興を懸命に支援したのである。社会主義は貧困から芽を吹くものだから、東側の侵攻を食い止めるための前提条件として、彼らは日本と西ドイツを豊かな国に改造しなければならなかったのだ。
 
 日独の異常なまでの急激な復興は、こうした国際情勢を背景にしていた。もちろん日本人やドイツ人が一生懸命に働いたのは事実だが、それはアメリカなどの西側諸国がいろいろと甘やかしてくれたお陰であるから、あまり「民族的な優秀さ」を強調するべきではないだろう。
 
 日本中に1960年代に燃え上がった「安保闘争」は、実はソ連の謀略であった可能性が高い。これは、ソ連の工作員が学生たちを扇動し、日本を混乱に陥れようとしたのだろう。日本が海に囲まれていなければ、もしかするとこのときにソ連軍の侵入を受けていたかもしれない。しかし、現在の日本を見回しても、共産党や社会党はもちろん、日教組や朝日新聞などにも、社会主義シンパ(東側の回し者)の残り香がプンプンする。そう考えれば、戦後日本は戦争こそなかったけれど、実はそんなに平和な国ではなかったのである。
 
 西側にとって最大の幸運は、ソ連と中国が仲違いしたことである(中ソ紛争)。また、東欧諸国もソ連に対して反抗的な姿勢を見せ始めたのだ(ワルシャワ蜂起、ハンガリー動乱、チェコ事件)。この混乱を利用して経済力と団結力を高めた西側は、やがて冷戦に最終的な勝利を収めることとなる(1989年)。

 
3、世界最強の経済国家
 
 さて、戦後日本が経済大国になれた理由は、
 
 (1) 冷戦構造の狭間で、軍事費をかけることなく経済発展に特化できた。
 (2) 日本の社会主義化を恐れた西側諸国が、有効な経済的支援を与えてくれた。
 (3) アメリカから導入した自由主義システムが有効に機能した。
 (4) 日本人が勤勉で向学心に溢れていた。
 (5) 江戸期以来の高度官僚統制システムがプラスに働いた。
 
 このうち、最も重要と思われる(5)について詳しく解説する必要があろう。
 
 20世紀中盤の世界は、地球全体が温暖化し、しかも長期にわたる戦乱が小康状態を迎えたことから、「人口爆発」が起きた。日本の人口も、戦時中の7000万人から、現在では1億2000万人へと、ほぼ2倍の増加を見せたほどだ。また、長期にわたる帝国主義戦争の影響で、全世界に「物不足」が起きていた。
 
 この情勢は、世界的に需要過剰で供給不足、すなわち生活必需品を量産すれば必ず儲けが得られることを意味する。そして、生活必需品は、画一的な生産システムを用いて統一規格品を大量に作ることで製造コストを削減出来る。また、そのことによって品質も向上させることが出来る。こういったシステムを完備した国は、間違いなく「経済大国」になれるだろう。
 
 日本と西ドイツが「経済大国」になったのは偶然ではない。ドイツ民族は、近代化の当初から「優秀な官僚が社会全体を管理統制する」仕組みを磨いてきた。日本の場合は、もっとすごい。なんと、徳川家康のころからこういう仕組みを整備していたのだ。それを前提にして、この2国の官僚たちは、社会の隅々にまで「画一的規格大量生産」を行えるシステムを敷衍したのであった。
 
 日本の場合を例に取ると、まずは学校で、子供たちに丸暗記主体の詰め込み教育を行う。大学でも、あまり知恵が付くようなことは教えない。こうしてロボットみたいな頭脳になった若者は、会社に入って「滅私奉公」を強いられるのである。彼らはロボットであるから、どんな理不尽な扱いをされても文句を言わない。妻子と引き離されて「単身赴任」を命じられても我慢するし、無意味なサービス残業にも甘んじる。一生かかってウサギ小屋のような狭いマンションしか買えなくても我慢するのだ。彼らは、能力を磨かなくても、上司に嫌われさえしなければ「年功序列」で必ず昇進できるから、考えようによってはその方が楽なのだ。
 
 ただ、「終身雇用」というのは幻想であった。あれは、たまたま社会に弱年層が多くて経済のパイに成長の余地があったからそうなっていただけだ。昨今のように少子高齢化が進んで経済のパイが縮小する情勢下では、リストラが起きるのが当然なのである。
 
 また、官僚たちは、社会全体の生産品を規格化して統一化した。JISマークを例に取れば明らかだろう。日本の官僚は、規格外の生産を絶対に認めなかった。例えば、この国の最近の建築物は、どの地方都市に行ってもみんな同じである。新幹線の車窓を眺めていても、何時間経っても同じ景色しか見えないのに呆れてしまう。これも、官僚統制によって建材や建築様式が画一化された結果なのである。
 
 ともあれ、労働者がみんな従順なロボットになり、社会の全ての規格が均質化されたものだから、低コストで高品質の規格大量生産が行えるようになった。日本と西ドイツの家電製品や自動車が、西側市場を席巻し圧倒したのは、当然のことであった。
 
 松下幸之助の「水道戦略」は、まさにこうした時代性を象徴する概念である。この時代は、画一的な規格大量生産によって市場にハード製品を絶え間なく供給することこそが企業の使命だったのだ。
 
 実をいうと、ソ連や中国が目指した計画経済は、日本や西ドイツみたいなのを理想としていたのである。どうして彼らが日独にお株を奪われたかというと、アメリカに対抗するために無茶な軍備拡張を行ったからである。つまり、明治期の日本と同じ苦労を味わったというわけだ。こうして、中ソの労働者たちは、どんなに働いても豊かにならない状況を不満に思う。さらに、全ての企業を国営化することによって競争原理を完全に否定してしまったため、社会主義圏では、品質もサービスの質も落ちる一方になってしまった。勤勉で才能ある労働者が、怠惰で無能な労働者と同じ給料では、生産システム全体の士気も落ちるだろう。
 
 そう考えれば、日本人とドイツ人は、ほとんど無自覚だったようだが、この2国は社会主義型計画経済の理想を完璧に実現したのであった。そういう意味で、「ソ連型経済システムは根本的に間違っていた」という主張は妥当ではない。必要十分な環境と仕組さえ与えられたなら、官僚統制型の計画経済は見事なパワーを発揮できるのだ。それを証明したのが、皮肉なことに日本と西ドイツであった。
 
 1980年代の日本は、世界最強の経済国家を自認するにいたる。しかし、その栄光は既に破滅の淵に立っていた。
 

4、バブル崩壊
 
 日本経済が衰退した理由は、大きく3つ挙げられる。
 
 (1) 冷戦が終結したために、アメリカは、もはや日本を甘やかす必要を感じなくなった。そんな彼らは、これまで経済成長の足かせになっていた巨額の軍事費と軍事技術を民間に還元し一気に躍進を遂げた。インターネットなどがその好例である。その上で、金融市場を操作して日本経済に逆襲を仕掛けたのだ。こうなったら、小国の日本にはとても勝ち目がない。
 (2) (1)に関連する話だが、これまで間違った計画経済システムで苦闘していた中国や東欧諸国が、かつての日本や西ドイツを見習って、より低コストの「規格大量生産品」を生み出すようになったため、日本の既存のシェアが奪われて行った。
 (3) その上、世界の経済構造が大きく変わってしまった。すなわち、1970年代を境に人口爆発が止まり、生活必需品が人々の手に行き渡ってしまったので、もはや規格大量生産品は以前ほどには売れなくなった。これからの世界市場で必要とされるのは、均質的で無個性なハード製品ではなく、むしろ個性豊かな情報やサービスといったソフト製品なのであった。そして、労働者をロボット化し無個性化してきた日本は、このような市場のニーズに対応できなくなったのだ。
 
 要するに、「バブル経済の崩壊」というのは偶然ではない。世界史の流れから見て当然の結果なのである。その証拠に、相棒(?)のドイツは、今や日本以上の経済的苦境に置かれているではないか。
 
 ところが、日本の政党政治家たちは、そのことに気づくことが出来なかった。また、官僚は(当然ながら)「問題先送り」を繰り返した。
 
 前にも述べたとおり、「高度官僚統制社会」というのは、変化を嫌い過去の方法論に固執する。都合の悪いことは「無かったこと」や「問題先送り」にする。それが、被害を数層倍に拡大したのだ。
 
 現代日本は、江戸幕府の崩壊と大日本帝国の滅亡の悲劇を、そっくりそのまま繰り返しているのかもしれない。
 

5、戦後民主主義の話
 
 ここからは、戦後の政党政治の話になる。
 
 日本の国体は、アメリカ占領軍によって「民主主義」になった。いわゆる戦後民主主義である。しかし、これがたいへんな曲者なのである。
 
 そもそも民主主義というのは、本質的にキリスト教社会の理念である。キリスト教徒は、こう考える。人間はもともと、造物主(神)によって土くれから作られたゴミである。みんながみんなゴミなのだから、その立場は神の前で完全に平等であるはずだ。だから、誰にも最低限の生きる権利(基本的人権)が与えられるはずであり、誰もが自由な職業につけるはずであり、言論の自由は平等に保証されるべきであり、誰もが政治活動に参加できるはずだ。
 
 例えば、「陪審員制度」というのは、こういった理念に基づいている。アメリカでは、法令に関してまったくの素人である民間人が、適当に選ばれて訴訟の判決をくだすわけだが、これは無謀なように見えて、ちゃんとキリスト教の理念に沿っているのである。すなわち、裁判官も弁護士も被告人も民間の素人も、みんな神の前では平等にゴミみたいな存在なのだから、誰が誰を裁いても結果は同じである。どうせ、「最後の審判」は神がくだすのだから、現世の裁判はそもそも暫定的な措置なのだ・・・。
 
 以上のことから分かるとおり、アメリカの民主主義というのは、歴史的にも文化的にも日本史の中に有り得ない概念なのである。どうしてアメリカが、そんなものを日本に押し付けたのかというと、その理由は非常に簡単である。第一に、アメリカは建国当初から民主主義をやっていて(変な国だな)、民主主義以外の政体をまったく知らなかったのである。第二に、アメリカ人は、自分たちのやり方が世界一優れていると常に思い込んでいるからである。
 
 それでも、多くの日本人は、民主主義に接して大いに喜んだ。考えてみたら、日本の民衆は、徳川家康が国政を牛耳って以来、ずっと権力者に管理され抑圧され搾取されて来たのである。しかも、彼らが最後に信じた軍人官僚たちは、全世界を相手に絶対に勝ち目のない戦争を挑み、この美しい国土を焦土に変えてしまった。そんな絶望の中にある民衆は、ほとんど400年ぶりに耳にする「自由」に狂喜したのであった。これは、無理もない。
 
 しかし、日本人が信じたのは、「キリスト教の理念を欠いた民主主義」だった。なにしろ、多神教の日本人は、もともと自分たちをゴミのような立場におくような絶対存在(唯一神)を認めていない。つまり、我々は「神様抜き」の民主主義をやっているというわけだ。これは、糸の切れた風船のように、ただ単に「自由」という概念だけが一人歩きしている状態なのである。
 
 今日の日本人が、かつて全世界で賞賛された高い道徳や礼節や優しさを失ったのは、そのためである。結果的に、アメリカ文化の悪い部分に染まってしまったのだ。
 
 日本の国体は、こうして「変な民主主義」になった。天皇は、「人間宣言」によってその宗教的権威を失った。そして、いわゆる国家神道は、根こそぎ否定された。
 
 それでは日本政府は、どうやって統治の前提となる「権威」を守ったのであろうか。実は、アメリカの存在こそが日本を束ねる権威だったのである。
 
 戦後50年にわたって、日本の首相はほとんど「自由民主党」から選ばれていた。そして、この首相のもっとも重要な仕事は「アメリカとの折衝」であった。国家戦略にかかわる事項は、すべてアメリカに決めてもらっていたのである。日本政府というのは、「アメリカの操り人形」だったのだ。そして、国内向けの仕事は、アメリカが定めた戦略に従って、官僚が勝手に行っていた。要するに当時の政治家は、アメリカと官僚とをつなぐメッセンジャーに過ぎなかったわけだ。読者の中には、この国の首相が、国会答弁などで官僚の書いた文章を棒読みする光景がつい最近まで日常的であったことを思い出す人も多いだろう。また、首相がいつも自民党から選ばれていた理由は、要するに「誰が首相になっても一緒」だったからである。
 
 そのため、「優秀な政治家」と言われる首相は、英語が出来て背が高くて従順で、要するにアメリカ人に好かれる人が多かった。ごくまれに、田中角栄のような異端児が現れると、ロッキード事件などであえなく失脚させられる運命にあった。
 
 だからといって、アメリカの横暴を怒っても仕方ない。なにしろ日本は、冷戦の最前線基地なのだから、アメリカはこの島国を完全なコントロール下に置きたかったのである。
 
しかし、冷戦が終わるとこの状況は大きく変わる。アメリカは、もはや日本のことなどどうでも良くなったからである。
 
 ところが、長い間、アメリカのパワーを権威に抱き、中途半端な民主主義を掲げてきたこの島国は、これからどうしたら良いのか分からなくなった。だから、相変わらずアメリカに縋り付いているのである。現在の政治を見ると、誰も彼もが自信を喪失してしまっている。アメリカに放り捨てられて政治家は当惑し、経済がボロボロになって官僚は頭を抱え、ロボットになるよう教育された民衆は覇気を失ってしまった。この国は、アメリカによって「去勢」されてしまったのだ。
 
 これは、もしかすると日本史上で最悪の局面なのかもしれない。

 
6、「甘え」の文化
 
 相棒(?)のドイツの政治はどうかと言えば、彼らは日本より器用に立ち回ってきた。西ドイツの歴代大統領は、アメリカからの自立を模索して、憲法の改正を行い、再軍備を行い、そして戦時賠償を熱心に行った。その結果、冷戦の崩壊によって自信を無くすどころか、東ドイツとの合体を円滑に成し遂げて、今やEUの旗頭になろうとしている。
 
 それに対して、日本はアメリカに甘えるばかりで、主体的な政治活動を何もしなかった。相変わらずマッカーサーが一夜漬けで作った憲法をそのまま用いているし、相変わらず軍隊を持っていない。戦時賠償も中途半端だから、未だにアジアの国々に文句を言われている。つまり、この国はアメリカに言われたことしかやって来なかったのだ。
 
 日本人は、いつのまにか「甘ったれ民族」になってしまった。
 
 それを象徴的に表しているのが、テレビドラマの『ウルトラマン』であり、映画の『ゴジラ』シリーズであり、漫画の『ドラえもん』である。
 
 『ウルトラマン』は、正義の宇宙人ウルトラマンが、悪い宇宙人や怪獣から日本を守ってくれる物語である。このウルトラマンは、完全な無償のボランティアである。彼は、日本から何の恩も受けていないし、報酬も得られない。それなのに、命をかけて日本を守り、最後は死ぬのである(生き返るけど)。このような物語は、世界的に極めて珍しいのである。
 
 例えば、アメリカンヒーローの『スーパーマン』は、宇宙から流れてきた移民である。彼は、自分を受け入れ育ててくれたアメリカ社会に恩を返すために社会の敵と戦う。いかにもアメリカ的だなあ。『バットマン』や『スパイダーマン』は、自分たちが生活する街を守るために悪と戦う。いずれにしても、彼らは「無償のボランティア」ではない。自分のために戦っているのだ。
 
 ボランティアヒーロー・ウルトラマンは、明らかにアメリカの象徴である。昔の日本人は、アメリカのことを、無償なのに命懸けでこの国を守ってくれている良い国だと無邪気に信じていたのだろう。
 
 怪獣映画『ゴジラ』も、『ウルトラマン』と良く似ている。怪獣ゴジラは、最初のころは日本の敵だったのだが、より凶悪なキングギドラやガイガンが登場して日本を襲うようになると、なぜか日本の味方となってこの強敵たちを撃退してくれるのだ。ここでは、ゴジラ=アメリカ、キングギドラその他=ソ連という図式であろう。
 
 驚くべきことに、『ウルトラマン』と『ゴジラ』の世界の中で、日本人は基本的に傍観者である。自分たちの国が襲われているのに、それをただ眺めているのだ。いちおう、地球防衛軍とか自衛隊が出てくるのだが、こいつらはほとんど何の役にも立たないのである。ものすごい「甘え」と同時に、ものすごい「諦め」である。黙っていても、努力しなくても、外部の第三者が自動的に助けてくれると思い込んでいるのだ。
 
 『ドラえもん』が、フランスで有害図書に指定されたとき、多くの日本人は意外に思ったようだが、その方が実は異常なのだ。未来から来たロボット・ドラえもんは、弱虫で甘ったれののび太くんのために、いろいろな便利な道具を無償で出して助けてくれる。そのような甘ったれた物語が、プライドの高いフランス人に受け入れられないのは当然だ。こんな『ドラえもん』を当たり前のように受け入れる日本人は、脳みその芯まで「甘え」てしまっているのだろうか。
 
 日本が、新時代を切り開いて再生を遂げるためには、最初にこういった「甘え」のドグマを取り払わねばならないだろう。でも、まだやっているんだよね『ウルトラマン』と『ゴジラ』。
 

7、日本史の正念場
 
 日本は今、正念場に立っている。
 
 この国は。歴史上、いまだかつて無かったほどの苦境に陥っている。今の日本人は、社会の上から下まで、愛国心も自信も誇りも失っているからだ。こんなことは、日本史の中でただの一度も無かった。
 
 日本は、今や革命期を迎えている。この国には、維新の志士たちの燃える愛国心や、徳川家康のような大政治家の器量が不可欠なのである。
 
 しかし、何を始める上でも絶対に必要なのは「歴史認識」である。それなのに、戦後の学校教育は丸暗記中心の受験勉強ばかりを奨励し、本当に大切なものを教えてこなかった。この国の若者たちは、学校でも家庭でも、「歴史」を受験のための道具と見なして苦しみながら暗記したために、受験が終わってからは嫌悪感を抱いて敬遠してしまう。少数の心ある若者も、大衆作家や漫画家の与太話を「歴史」だと思い込んでいる。これこそが、「愚民化政策」の最たるものであろう。あの徳川幕府ですら出来なかったことを、この国はついに達成したというわけだ。おめでとう。
 
 また、戦後教育は「愛国心」を否定した。日教組やら文部省のお偉方は、愚かなことに、「愛国心は戦争のもと」だというのである。学校では、国旗すら掲揚することが出来ない。これは、本当にバカな話だ。愛国心は、平和の礎にもなるだろうに。
 
 自分の国を愛せぬ者は、外国のことも理解できないし世界平和を望むことすら出来ない。そんなことは、身近の人間一人一人に目を移しても明らかだろう。本当に愛情深くて思いやりがあって高潔な人物は、何よりも自分自身を誇りに思い、自分自身を愛している人物なのだ。そんなことは、常識じゃないか。
 
 これからの日本人は、本物の歴史をしっかりと学び、しっかりと考え、そしてこの国のことを心から愛さなくてはならない。それが、「最初の一歩」である。それなくして、この国の再生は絶対にありえない。
 
 この論文が、そのための一助となるなら、これほど嬉しいことは無いのである。
 

完結

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