歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

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歴史論説集

概説 太平洋戦争

第十七話 レイテ沖海戦

 1944年中盤に入ると、アメリカはもはや「完全無敵モード」に突入していました。

 欧州でも、ドイツ軍をコテンパンに叩きのめしてフランス全土を解放しちゃいました。もはや笑いが止まらずウハウハです。ドイツと日本をぶっ潰して、世界を征服する意欲がマンマンでした。

  ここで誰かが立ち上がって、痛い目を見せてやらねばなりません。実は、日本軍にはそのチャンスがあったのです。

  アメリカ軍の次の目標がフィリッピンであることを察知した日本陸軍は、珍しく合理的な作戦を立てました。すなわち、ルソン島に全軍を集結し、ここの要塞陣地に立て篭もって、上陸してきたアメリカ軍に大量の出血を強いてやろうと心ぐんだのです。 そして、ルソンの総司令官に任命されたのは、マレー半島攻略で勇名を馳せた山下奉文でした。私見では、山下将軍は、日本史上でも一、二を争うほどの名将だったと思います。開戦当初のマレー電撃戦は、世界戦史上に燦然と輝く見事な戦ぶりでした。

  この人は、シンガポールの陥落後は、ずっと満州にいたのです。東条首相と折り合いが悪くて、干されていたといいます。そんな彼が、満州から引き抜いた大軍を引っさげて、ルソンで陣頭指揮を執るのです。このまま計画どおりに行けば、アメリカ軍をギャフン(死語?)と言わせることが出来たかもしれません。

  しかし、東京の大本営は、当初の計画を変更してしまったのです。海軍の「台湾沖」の戦果を信じ込んで、むしろ積極攻勢に出るべきだと考えたのです。

  1944年10月、アメリカ軍はレイテ島に上陸を開始しました。レイテは、ルソンの南に位置する島で、飛行場の適地でした。アメリカ軍は、ルソン攻略の前進基地とするべく、ここに攻めて来たのです。

  東京のキャリアたちは、これを何だと思ったか。

  「アメリカ軍は、台湾沖で艦隊が全滅して戦闘力を喪失したはずである。なのに攻めて来たのは、負け惜しみの最後っ屁に違いない!今なら、簡単に倒すことが出来るだろう。レイテに部隊を送り込んで、叩きのめしてくれる」

  ・・・アメリカ軍の慎重で物堅い戦い振りを知っている人々の発想とは、とても思えません。なんで、こんな身勝手な想像をしちゃうのかなあ。

  ともあれ、ルソン決戦は、こうしてレイテ決戦に変更されたのです。

  山下将軍をはじめ、ルソンに陣取る将兵たちは、この方針変更に猛反対しました。現場にいる彼らは、連日のようにアメリカ軍艦載機の大群に空襲されていましたから、「台湾沖」の戦果が嘘っぱちだということが分かったのです。しかし、東京のキャリアは、現場の意見に耳を貸そうとしませんでした。

 現場を信じないお偉方とは、本当に困りものです。

  海軍は、さすがに「台湾沖」の戦果が間違いだったことに気付きました。でも、間違いだと認めるとメンツが潰れるので、ダンマリを決めこんだのです。海軍が、勇気を持って誤りを認めておれば、レイテの戦いは起こらなかったのに。昔から、偉い役人というのは、自分の間違いを認めないものなのです。

  もっとマズいことは、小磯首相が、「レイテは日米決戦の地だ」と大題的に宣言しちゃったので、みんな引っ込みが付かなくなっちゃった事です。

  レイテ島は、当初から放棄される予定だったので、島の防備はスカスカです。どうして決戦が出来るの?しかし、決まってしまったことは仕方ありません。軍隊は、命令絶対の世界です。山下将軍は、涙を呑みながら虎の子のように大切な部隊を、次々にレイテに派遣したのです。

 この部隊はどうなったか?ほとんどが、レイテに辿り着く前に、輸送船ごと沈められちゃったのです。満州で鍛えた精鋭は、一発の銃弾も放たずに海の藻屑となったのです。辛うじてレイテに辿り着いた部隊は、飢えと病気に悩まされました。アメリカ軍が補給船を全部沈めちゃうからです。まさに、ガダルカナルの二の舞です。・・・トホホ。

  海軍は、残る全戦力を引っさげてレイテに出動しました。小磯首相の軽率な発言によって、レイテが「最後の決戦地」になっちゃたので、出撃しないとメンツが立たないからです。

  ここで海軍軍令部は、物凄く大掛かりな作戦計画を立てました。すなわち、全艦隊を4つに分けて、4つのルートでレイテに向かわせようと考えたのです。 呉から出撃するのは、小沢中将の空母艦隊です。 志摩中将の巡洋艦隊は、台湾から南下します。 ブルネイ(カリマンタン島)から出撃するのは、栗田中将の戦艦艦隊と西村将軍の旧式戦艦部隊でした。 小沢空母艦隊は、実は戦力ゼロでした。パイロットが、枯渇していたからです。この艦隊は、囮の役割を担わされていました。小沢艦隊が敵機動部隊を吸引している隙に、残りの3個艦隊が、同時に別ルートからレイテ湾に突入し、敵の輸送船団を襲撃するという作戦計画だったのです。

  地図の上では、たいへんに美しく精緻な計画だったでしょうね。軍令部のキャリアたちは、「俺って頭いい!」とか「完璧な計画だぜ!」とかご満悦だったでしょうね。

  しかし、この計画は、実務的には最低最悪の計画でした。

 どうしてか?それは「あまりに精緻で細かいものを、一種類しか用意してない」からです。 実務の世界では、突発的な事故や予想外の事態が必ず起きます。特に、ビジネスや戦争やスポーツのように、ライバルが存在する場合は尚更です。神ならぬ人間は、敵の出方を完全には予測できないからです。ですから、優れた実務家は、必ず次のような計画を立てるのです。

  ①大雑把で柔軟な計画を一つ作る。

  又は、 ②起こり得るあらゆる事態を想定し、複数の代替可能な計画を用意する。

  ①と②のどちらが良いかは、ケース・バイ・ケースです。敢えて言うなら、状況判断が巧みで機転が利く人は①を、想像力豊かで企画力に優れる人は②を行うのがベストでしょう。 日本海軍の計画は、①精緻で細かい&②一つだけという点で、マズイのです。こういう計画だと、突発的事態に対応することが非常に難しいからです。

  例えば、アメリカ軍が、最初に囮に気付かなかったらどうするの?また、囮にひっかからなかったらどうするの?

  そもそも、3つの艦隊が、別ルートから同時にレイテ湾に突撃するなんてナンセンスです。戦場では、敵に発見されたことが確実になるまで、無線封止が行なわれます。通信を傍受されて味方の位置を悟られないようにするためです。つまり、4つの艦隊は、お互いの動きが良く分からないのです。敵の妨害が予想される中で、歩調を合わせて計画どおりに進撃するなどできるはずがありません。しかし、同時に突入しなければ敵を撹乱できないし、却って各個撃破されるでしょう(実際にそうなった)。

  一つの前提が崩れただけで全体が崩壊するような計画。実務の世界では、こういう計画を立てる人は「無能」と呼ばれます。 日本のエリートは、どうして実務的に最悪の計画を好んで立てるのでしょうか?

 実は、「精緻で細かい&一つだけ」が、極めて効果的な世界が一つだけ存在するのです。どんな世界かって?もうお分かりでしょう。 それは「受験勉強の世界」なのです!

  受験勉強のどこが悪いのか?

 いきなり私見ですが、人間の能力というのは基本的に、みんな一定なのだと思います。長所がある人は、必ず何らかの短所を持っています。そして、長所と短所の平均値の大きさは、世界中の万人において近似値となるのではないかと思うのです。 長所だらけに見える人もいますが、それは、その人が自分の短所を自覚して、人前でそれを隠しているからそう見えるだけです。短所まみれに見える人は、自分の短所について無自覚なので、人前で無防備にさらけ出すからそう見えるのです。 そして、多くの場合、長所と短所は表裏一体の関係にあります。長所を持つ人は、必ずそれに付随した短所を持っているはずです。

  例えば私の場合、長所は「状況判断が正確」という点です。そして短所は「物事に執着がなくて飽きっぽい」という点です。これは、実は表裏一体の関係にあります。物事に執着がないから、先入観に捕らわれずに状況を判断出来るというわけです。

  それでは、受験が得意な人の短所は何か?もちろん程度の差はありますが、それは「視野が狭くて想像力がない」という点です。受験勉強って、物凄く閉鎖的で、しかも自分自身の能力しか問われないでしょう?決まりきった事を、一人ぼっちで黙々とこなすなんて、こんな詰まらない世界は他にありません。こんな世界で勝ち残るためには、広い視野も想像力も邪魔者です。ですから優秀な受験エリート(これは堺屋太一の造語だと思うが)というのは、視野が狭くて想像力が無くなる傾向があるのです。

  日本社会の恐ろしいところは、こうした受験エリートの長所(勉強ができること)ばかりを持て囃し、短所については目をつぶる事です。エリートたちは、己の短所に無自覚なまま、一生を安楽に過ごすことができちゃうのです。

  例えば、公認会計士(いちおう受験エリートの端くれ)というのは、読書を好みません。私は、会計士になって10年くらいになりますが、同僚と読書経験を分かち合った経験はゼロに近いです。読書をしないと言うことは、視野が狭くて想像力がないわけです。しかし、彼らは自分の短所に対して完全に無自覚なのです。

  後輩と、こんな会話をしたことがあります。

  私 「会計士って、ほんとに本を読まないよねえ」

  後輩「そんなことはありません!みんな読書家です!」

  私 「え?君はどんなの読むの?」

 後輩「『企業会計原則』とか『商法』とか『財務諸表規則』とか・・・」

  ・・・嘘みたいな本当の話です。

  ともあれ、受験エリートは、受験勉強が得意技です。この得意技は実務で生かせるのか?

 生かせないこともありません。外部からシャットアウトされた閉鎖空間で、ルーチンワークだけを繰り返すなら、無類のパワーを発揮します。だから、徳川幕府の官僚(鎖国で守られていた)や高度成長期の官僚(冷戦構造と護送船団方式で守られていた)は優秀だったのです。

 しかし、状況が激しく変化する勝負の世界では、一転して無能になるのです。

 なぜかというと、受験勉強そのものの本質に欠陥があるからです。

  すなわち、受験の問題は、問題に対して解答が必ず一つあります。もちろん、別解の出るケースもあるでしょうが、それほど多くの別解は出ません。なぜなら、別解が多い問題は採点が面倒くさくなるからです。だから受験の問題は、基本的に1+1=2にしかならないのです。しかし、実務の世界では、そうではありません。解答が10個も20個も出ちゃう場合もあれば、解答がゼロのケースもあって当たり前なのです。このような状況をどのように解決するのかが、実務の世界では問われるのです。しかし、受験エリートは、こうした事が苦手です。1+1=2にならないと、思考停止に陥ってしまうのです。

  また、受験勉強にはコツがあります。どの試験問題も、必ず簡単な問題と難しい問題によって構成されています。そして、受験が得意な人というのは、簡単な問題を鋭く見抜いて、それを重点的に解くセンスに優れているのです。逆にいえば、難しい問題を放棄するセンスが大切なのです。しかし、実務の世界ではそうではありません。必ず解かなければならない難解な問題が、必ず存在するのです。そして、受験エリートは、このような問題に対処する方法を知りません。だから「問題先送り」にするのです。

  こういった理由によって、受験エリートは、カオスの輪が拡散し、エントロピーが増大する環境下では、どうしようもない無能者と化します。しかし、受験の成績で権威付けする日本型システムでは、こういった無能者でも許容せざるを得ないのです。無能者がミスを犯しても、その権威ゆえに責任が問われることはありません。責任は、全てノンキャリアや国民が引っかぶるのです。

 現在では、資源や国費の無駄遣い。そして戦時中は、死ななくても良い人たちの人命が大量に失われるという悲劇に見舞われたのです。それでも、現行のシステムの下では、我々は唇を噛んで我慢するしかないのです。

 連合軍の将兵たちの間では、「日本軍は、下士官以下は物凄く有能で勇敢なのに、上級将校以上は信じられないほど無能になる」というのが語り草になっていました。また、「日本軍は、当初の計画が予定通りに進んでいる時は強いけど、少しでも計画どおりに行かないと、一転して弱くなる」というのも有名でした。

  無能なトップのアホウな指示で、最も苦労するのは現場の将兵です。そして、レイテ沖海戦の時は、こういったストレスが頂点に達したのです。 特に、主力部隊(大和や武蔵を含む大軍)を率いる栗田中将の苦衷は、見ていて辛くなるほどのものだったはずです。これが、「謎の転進」事件の背景にあることを、忘れてはならないと思います。

 さてさて、気が重いですが、連合艦隊の壊滅について書かねばなりますまい。

  さて、日本海軍の作戦計画は、既述のとおり、北方からフィリッピンに接近する小沢艦隊が囮となって敵を引き付けている隙に、残りの3個艦隊がレイテ湾に突入するというものでした。特に期待がもたれたのは、西方からレイテに接近する栗田艦隊です。ここには、世界最大の戦艦「大和」と「武蔵」がその威容を並べていました。 ところが、アメリカ軍は、小沢艦隊よりも先に栗田艦隊、次に、北西から進んでくる西村艦隊と志摩艦隊を、立て続けに発見しちゃったのです。

 大本営の計画は、しょっぱなからズッコケタというわけです。

  アメリカ軍は、圧倒的な戦力を持ちながら、「戦力集中の原則」を曲げることがありません。まずは、その全力で、3個艦隊のうちで最強と思われる栗田艦隊を攻撃したのです。 栗田艦隊は、潜水艦の待ち伏せ攻撃、それに続く大空襲によって、戦力の半分を失ってしまいました。特に大きかったのは、戦艦「武蔵」の喪失です。「武蔵」は、数十発の爆弾と20本の魚雷を受けて、シブヤン海の藻屑と化したのです。20本くらうまで沈まなかった武蔵を誉めるべきか、それとも20本も当てたアメリカを誉めるべきか?いずれにせよ、世界最強の不沈戦艦ですら、アメリカ軍の敵ではないことが明らかになりました。

  このままでは全滅です。栗田中将は、やむなく、生き残った全軍を引き連れて、西方海上に一時退避しました。

  しかし、西村艦隊は、定刻どおりにレイテ湾の入り口に到達しちゃいました。どうなったか?敵中に単独で突出した西村艦隊は、圧倒的な数の敵戦艦に取り囲まれて、文字通り袋叩きにあって全滅したのです。戦艦「扶桑」と「山城」は、アメリカ軍のレーダー射撃の前に、秒殺されてしまったのです。

  志摩艦隊は、少し遅れてレイテ湾に到着したのですが、西村艦隊の全滅を知って戦意を喪失。台湾へと逃げ去ったのです。志摩艦隊は、巡洋艦を中心とした小戦力でしたから、この判断は仕方なかったでしょう。

  レイテ突入作戦は、いきなり失敗したのでした。

  さて、アメリカ軍は、ようやく北方の小沢艦隊を発見しました。小沢艦隊は、航空機を搭載しない空母4隻を中心としていました。しかし、アメリカ軍は、こっちを日本の主力と誤認したのです。ブル(猛牛)と渾名されるハルゼー提督は、空母部隊を引っさげて猛然と北方に猪突しました。 小沢艦隊は、実に良く戦いました。空母4隻は全て失ったものの、航空戦艦「伊勢」と「日向」が、レーダーを用いた効果的な対空射撃を行い、アメリカ軍機を大いに苦しめたのです。小沢艦隊の生き残りは、ハルゼーを十分に北方に吊り 出してから、無事に呉に帰港しました。 囮作戦は、大成功だったのです。

  その間、再びレイテへと進撃を始めた栗田艦隊は、島の北方から回りこみ、いよいよレイテ湾を指呼の間に臨んでいました。そんな彼らは、いきなりアメリカの護衛空母艦隊に遭遇したのです。

 護衛空母というのは、輸送船を護衛するために建造された小型空母です。アメリカ軍は、こういうのをレイテ沖に30隻くらい持っていました。さすがは補給を重視する軍隊です。栗田艦隊は、いきなりこういうのに遭遇しちゃったのでした。 栗田艦隊の不幸は、アメリカ軍の護衛空母という概念を知らなかった点です。

 「わーい、空母を見つけたぞ!」と喜んで、全軍で護衛空母を追い掛け回したのです。しかし、護衛空母というのは、商船を改造したようなボロ船です。「大和」の砲弾では威力がありすぎて、命中してもスカスカ貫通して効果が出ないのです。また、こんなボロ船を沈めても、戦局には全然影響ありません。大きく陣形を崩した栗田艦隊は、護衛空母から発進した攻撃機や駆逐艦の魚雷攻撃で大打撃を受け、「大和」も浸水して速力が大幅にダウンしました。もはや、栗田艦隊には、無傷の船は1隻もおらず、兵士達の疲労も頂点に達していました。しかも、肝心の(?)ボロ空母部隊には、結局、逃げられてしまったのです。

  諦めて全軍を纏めた栗田中将。このまま直進すればレイテ湾です。しかし、彼は意外な決断をしました。全軍を北方に向けて作戦を中止してしまったのです。これが、「謎の転進」です。 もしも直進していれば、アメリカ軍の防衛網は一時的に弱体化していましたから、湾内の輸送船団を攻撃できたはずです。

 アメリカ軍は、すんでのところで命拾いしたのでした。

 しかし、栗田提督の決断にも、やむをえないものがあったでしょう。彼は、おそらく当初からこの作戦計画に疑問を抱いていたはずですし、レイテの輸送船団を沈めても、戦局を逆転させることはできない事を知っていました。

 そして、栗田艦隊は、日本海軍の最後の戦力です。戦艦「大和」を、意味の無い戦いで輸送船と刺し違えさせたくなかったのでしょう。せめて、北方で再び敵空母に砲撃するチャンスがあれば、と思って転進してしまったのです。

  いずれにせよ、レイテ沖海戦は、日本海軍の壊滅という結果で幕を閉じたのでした。

  1945年1月、レイテを制圧したアメリカ軍は、いよいよルソン島に上陸を開始しました。兵力を大幅にレイテに引き抜かれた山下将軍は、とても太刀打ちできないと判断。残りの全軍を山岳地帯に退却させて、長期持久戦を戦う方針に切り替えました。山下軍団は、終戦の日まで粘り強く戦い、アメリカの大軍をルソンに引き付ける事に成功したのです。もしも山下に十分な兵力があったなら・・・。後知恵になるから止めましょう。

  アメリカ軍は、いよいよ日本本土に迫ります。

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