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歴史論説集

概説 チェコ史

第三話 リブシェ王妃の大予言

   プラハは、本当に美しい街です。著者は、日本を国外追放処分になったら、この街に移住しようと真剣に考えています。

 さて、当初は交易拠点として成立したプラハですが、その名前の由来については2つの説があります。一つは、「敷居」を意味するチェコ語(プラーフ)から来たというもの。東西南北を結ぶ交易拠点に付けられたとすれば、なかなかロマンチックなネーミングですね。もう一つは、「浅瀬」を意味するチェコ語(プラーヒ)から来たというもの。

 著者は、後者のほうが正しいのではないかと考えています。なぜなら、地名というのは、その地の機能を考えて付けるのではなく、土地そのものの特徴から付けられることが多いからです。プラハはヴルタヴァ川の浅瀬を基点に作られた街ですから、「浅瀬」がそのまま名前に転じたと考えた方が、説得力があると思うのですがどうでしょう?

 プシェミスル王家は、この地を大切にし、大勢の商人を住まわせて市域の拡大に努めました。そして、都市部の四方に連なる丘に城砦を建てて、街全体を要塞化したのです。その過程で、ヴルタヴァ川東岸の南郊に建てられたのが『高い城(ヴィシェフラト)』です。

 この『高い城』は、スメタナの「我が祖国」でも謡われているように、チェコ人の心の故郷として愛されています。また、ここにはスメタナやドヴォルザークをはじめ、チェコが産んだ偉大な文化人の墓が勢ぞろいしています。つまり、チェコ国民の聖地になっているのです。

 どうして、プラハを守る城砦の一つが、聖地になっているのでしょうか?ここに、一つの神話が登場します。それが、「王妃リブシェ」の物語です。

 

 昔、チェコ人は、みな平等に平和に暮らしていた。身分差別も経済格差も争いもなかった。しかし、ある者が言った。「他の国では、王や貴族というものがあるらしい。俺たちも欲しいよ」。多くの人々が彼に賛同し、予言者として名高い少女リブシェに相談に行った。リブシェは彼らに言った。「王や貴族なんて、持っても仕方ありません。今のままが一番幸せなのよ」。

 しかし、人々は聞かなかったので、リブシェは予言の力を使って、純朴な農夫プシェミスルを王に推薦した。プシェミスルは、当初は渋ったのだが、人々に請願されて、王位に就くことを承諾した。そして、リブシェを妻にした。

 新しい王家は、後に『高い城』が築かれることとなる丘に移り住んだ。ある日、王妃は不思議な夢を見た。目覚めた彼女は、人々に伝えた。「この地の北方に、いくつもの丘に囲まれた街が見えます。ここは世界で一番美しい街となり、そしてその栄光は星々にまで届くことでしょう!」

 王妃の予言は、現実となった。彼女の夢から生まれた街が、プラハなのだった。

 

 つまり、『高い城』が置かれた地は、チェコとプラハの栄光の根拠になっているのです。だから、聖地のような扱いになっているわけです。

 著者が興味深く感じるのは、このチェコの神話が、「人間はもともと平等だった」というところから始まる点です。チェコ人は、社会主義や民主主義に関する政治センスが非常に優れているのですが、それは、この建国神話が根源なのかもしれません。

 さて、チェコ人は当初、多神教的な自然崇拝をしていたようです。「大モラビア王国」のときにギリシャ正教に帰依したのですが、その後、西方カトリック教会の洗礼を受けてキリスト教化したのは、10世紀の国王ヴァーツラフ1世の代です。この王は「聖ヴァーツラフ」と呼ばれ、チェコ国民によって神格化されていますから、近代チェコの重大政治事件が、常にヴァーツラフ広場(プラハ新市街)の聖ヴァーツラフ像の前で起きているのは、偶然ではないのです。

 中欧や東欧の国々にとって、カトリック化は極めて重大なメリットがありました。信仰以前に、「西ヨーロッパ世界の一員として認められた」という政治的メリットが大きかったのです。現在で言うなら、EUに加入を認められたようなものです。ヴァーツラフが国民的英雄になったのも、その功績ゆえでしょう。

 ただ、プラハの司教座は、当初はドイツ本部の出張所という扱いでした。それゆえ、チェコは、政治のみならず宗教的にもドイツの影響下に置かれることになったのです。そのせいもあって、チェコにはドイツ系住民が続々と移住を始めました。

 これが、後に大きな社会問題となります。

 

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