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歴史論説集

概説 チェコ史

第四話 オタカル2世の野望

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プシェミスル時代の最大領土

 12世紀のヨーロッパは、空前の好況に見舞われていました。数世紀に渡った大戦乱が収まり、疫病も止み、人口も増加に転じ、ひいては経済活動が活発になったからです。

 チェコも、このバブル景気に浮かれていました。もともと商業立国ですから、周辺諸国が平和になって経済が活発になると得をする国柄だったのです。また、このころ、プラハ東方のクトナー・ホラで、当時のヨーロッパで最大規模の銀鉱山が発見されたので、ヨーロッパの貨幣経済は、たちまちチェコに依存するようになったのです。

 プシェミスル王家とチェコ人たちは、笑いが止まらなかったことでしょう。

 しかし、13世紀に入ると暗雲が立ち込めます。まずペストが大流行し、これに続いて東方からモンゴルの騎馬軍団が襲い掛かってきたからです。しかし、チェコはペストの被害が少なく、またモンゴルもここまでは攻めて来ませんでした。

 良いときには良いことが重なるもの。国際政治も、チェコにとって有利な状況が訪れました。それは「東フランク王国」の血統が絶え、いわゆる「神聖ローマ帝国」の帝位が大空位時代に入ったからです。

 このころ「東フランク王国」は、ローマ教皇に接近することで、古代ローマ帝国の後継者としての権威を認められ、国王は「神聖皇帝」を名乗るようになっていました。すなわち、「神聖ローマ帝国」です。しかし、この国は、もともと多くの有力な地主貴族の連合体であり、皇帝は彼らの突き上げに悩まされていました。累代の皇帝が、しきりにイタリアに遠征したり、あるいは教皇と仲違いして雪の中を謝罪に出かけたり(カノッサの屈辱)したのも、自らの権威を高める必要があったからです。

 チェコ(ボヘミア王国)は、この神聖ローマ帝国の一諸侯という位置付けでした。しかし、その実力ゆえに、実質的な独立国としての立場を認められていました。

 その皇帝の血筋が絶えてしまったのです。諸侯は、皇帝位をめぐって暗闘を始めました。

 そしてボヘミア国王オタカル2世(1253-78)は、自らが皇帝になろうと考えたのです。そして彼には、その実力がありました。

 オタカル2世は、文武両道の名君でした。ヨーロッパの人口爆発に目を付けた彼は、優遇税制を設けるなどして、ユダヤやドイツの大資本を誘致し、チェコ国内のインフラ整備を行い、また移民の流入を奨励しました。今日のチェコには、オタカル2世が築いた都市が数多くあるのですが、それはこの偉大な王のバイタリティの賜物なのです。

 この王は、政治も得意でした。外交を駆使してポーランドやドイツ東部の領土を蚕食、ついには武力でオーストリア全土を占領平定したのです。オタカル率いるチェコ軍団は、「プラハ!プラハ!」と叫びながら敵陣に突入し、向かうところ敵なしでした。もはや、中欧の覇権はチェコのものだったのです。

 「神聖ローマ帝国」の他の諸侯は、しかし団結してオタカルの前に立ち塞がりました。自分たちの利権を守るためには、強大すぎる皇帝の出現を阻止しなければならなかったからです。彼らは、新皇帝にハプスブルク家のルドルフ1世を選出しました。

 意外に思う人も多いでしょうが、当時のハプスブルク家は、スイス東部に小さな領土を持つ弱小勢力でした。ルドルフ1世は、その弱さゆえに諸侯から推戴されたというわけなのです。

 こうして、チェコとオーストリアの最初の対決が始まりました。

 弱小のルドルフは苦戦の連続でしたが、オーストリア・チェコ国境での決戦で果敢な奇襲攻撃を敢行。チェコ軍の本陣を突き崩し、オタカルを戦死させたのです(マルヒフェルトの戦い、1278年)。

 偉大なリーダーを失ったチェコ軍は意気消沈。野望を捨てて逼塞します。

 さて、西方では、ハプスブルク家の天下が到来・・・ということにはなりませんでした。ルドルフはオーストリアをチェコから奪い、ここに新たな根拠地を定めたのですが、それが神聖ローマ諸侯の癇に障ったのです。諸侯は、ルドルフの死後、新たな皇帝をルクセンブルク家から選びました。ルクセンブルクというのは、フランスの東にあるあのルクセンブルクです。やはり、弱いから選ばれたのです。弱い奴ほど出世が早いという、不思議な時代でしたねえ、このころは。

 やがて、神聖ローマ帝国を構成する諸侯は、自分たちの中から選挙権を持つ有力者(選帝候)を選抜し、その有力者の選挙によって皇帝を選出するシステムを創設し、「大空位時代」に終止符を打ったのですが、「ボヘミア国王」は、その実力ゆえに最有力の選帝侯の一人になりました。

 ところが、そのチェコでは、1306年、プシェミスル王家の男の血筋が絶えるという異常事態が起きました。困った貴族たちは、神聖ローマ皇帝の息子ヨハンを、プシェミスル家の王女エリシュカと結婚させて、彼を新たな王として迎え入れたのです。ルクセンブルク王朝の誕生です。

 ここにルクセンブルク家は、ドイツ、チェコ、ポーランド、ハンガリーを支配する一大勢力にのし上がったのでした。

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