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歴史論説集

概説 チェコ史

第七話 戦う修道士ヤン・ジェリフスキー

 チェコの代表的な政治ジョークに、こんなのがあります。

 「共産党幹部どもがプラハ城に入ったと。やつらが最初にやったことは何だか分かる?」

 「決まってら。建物の周りに深い池を掘ったんだろう」

 ここで知識人たちは大爆笑となるのですが、我々外国人には、何が面白いのかさっぱり分かりませんね。このジョークには、実は歴史的な裏づけがあるのです。

 

 1419年、プラハ新市街では、フス派の民衆がデモ行進をしていました。彼らは、逮捕投獄された同志を救うべく、新市街庁舎を包囲します。

 デモ隊の先頭に立つのは、過激な演説で知られるフス派の説教士ヤン・ジェリフスキーでした。彼の号令一下、暴徒と化した群衆は市庁舎に乱入。市会議員たちを二階の窓から突き落としました。地表に落ちた議員たちは、逃げ切れずに暴徒に囲まれて虐殺されてしまいます。これが、ジェリフスキーの企てた革命の狼煙でした。

 いわゆる「窓外放擲事件」です。これが、上で紹介した政治ジョークのネタ元なのです。窓外放擲は、三十年戦争のときにも起こっているので、「国民に嫌われた政治家は、窓から突き落とされることを警戒し、落ちても大丈夫なように建物の周りに池を掘る」というジョークが意味を持つというわけです。

 さて、新市街を制圧した暴徒たちは、その勢いに任せて旧市街に乱入しました。王の衛兵たちも、その多くがフス派のシンパだったため、たちまちプラハ全域がフス派市民の掌中に収まってしまったのでした。

 当時、プラハ郊外に居住していた国王ヴァーツラフ4世は、この革命に衝撃を受け、ショックのあまり急死してしまいました。そのため、革命騒ぎに王位継承問題が絡み、事態はとんでもなく紛糾したのです。

 先王ヴァーツラフには子供がいなかったので、順当に行けば弟の神聖ローマ皇帝ジギスムントが次の王です。しかし、ジギスムントは、コンスタンツでフスを見殺した男ですから、フス派は彼の即位を拒んだのです。

 怒ったジギスムントは、ローマ教皇に働きかけて「異端撲滅十字軍」を発起します。軍事力でチェコを征服しようというのです。欧州20カ国から集められた精鋭が、牙をむいてプラハに進軍しました。

 プラハ市民は、農具や工具を武器に持ち替えて、巨大な敵に立ち向かおうとします。ジェリフスキーは、僧侶のくせに、鎧かぶとを身にまとい、剣を振るって市民たちを激励しました。しかし、情勢は極めて悲観的です。

 そのとき、援軍が到着しました。南ボヘミアの新興都市ターボルから、ヤン・ジシュカ将軍率いる市民兵が現れたのです。ターボル軍は、あっと驚く新戦術で十字軍を粉砕。ジギスムントは、命からがらドイツに落ち延びたのです(ジシコフの戦い、1420年)。

 「正しい信仰の勝利だ!」プラハ市民は、大喜びで、熱狂的なフス派支持に傾きます。カトリックの弾圧に嫌気が差していたユダヤ人たちも、進んでフス派に資金を提供するようになりました。

 しかし、フス派は一枚岩ではありませんでした。大きく分けて、穏健派と急進派がありました。穏健派は、「チェコ国内でのフス派信仰を、ローマ法王に認めさせること」を政策目標にしました。これに対して急進派は、「ローマ教会を打倒して、全ヨーロッパを正しい信仰に導く」という壮大な野望を抱いたのです。

 プラハ市では、旧市街が穏健派、新市街が急進派でした。ジェリフスキーは、急進派です。

 ただ、この両派は、外敵に対しては一致団結し、攻め寄せてくる十字軍やカトリック派貴族の軍勢を連戦連破したのです。

 慢心したジェリフスキーは、穏健派で固められたプラハ旧市街の施政に対し武力蜂起を行い、プラハ全市の独裁支配を目論見ます。いったんは成功したのですが、1422年、騙されて呼び出されたプラハ旧市街庁舎で、穏健派に暗殺されてしまうのでした。

 歴史を動かした驕児の、壮絶な最期でした。

 

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