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歴史論説集

概説 チェコ史

第八話 無敵の将軍ヤン・ジシュカ

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ヤン・ジシュカ像~ターボル

 

 チェコという国は、基本的にあまり戦争が強くなかったので、軍事的な英雄はあまりいません。唯一の例外が、フス派戦争の時代です。このときのチェコは、文字通り、全ヨーロッパを敵に回して、一歩も譲らず戦ったのです。そして、このときのチェコ軍は、ヨーロッパ最強の戦闘力を誇っていました。

 チェコのような小国が、ヨーロッパ最強の軍隊を確保できた理由は何か?

 一人の天才的な軍人が登場します。その名はヤン・ジシュカ。

 南ボヘミアのトロツノフの小貴族であったジシュカは、14世紀末の王位継承を巡る内戦で所領を追われたため、傭兵隊長となって東欧諸国を転々としました。外国で凄腕の戦士としての勇名を欲しいままにした彼は、老齢になって傭兵稼業を引退し、プラハでヴァーツラフ4世の護衛隊長になりました。彼は、ここでフスの教えに触れ、その心酔者になるのです。

 フスが火刑台の露と散った後、チェコ国内では、フス派とカトリック派が激しい政治抗争を繰り広げました。プラハのフス派が弱体化したとき、ジシュカは仲間たちを引き連れて南ボヘミアに移り住みました。フス派の勢力が盛んなこの地では、やがてターボルという城市が築かれる運びとなります。ジシュカは、この街の軍司令官に就任するのです。

 ターボルでは、聖書の教えにのっとった厳格な生活が営まれました。人々の社会的地位は、原則として「平等」でした。貴族も聖職者も無く、みんなが「平民」だったのです。また、この街では、酒もダンスも原則として禁止だったそうです。人々は、聖書を精読し、少しでも神に近い生活を送ろうとしました。この地を訪れたローマの聖職者は、「ターボルでは、農家の老婆ですら、経典の解釈を自在に行える!」と驚いたそうです。

 さて、ジシュカは、これら信仰篤き農民を徴募して、強力無比な軍勢を育成しました。彼は、農具を改良することで、農民でも扱い易い歩兵用武器を大量に開発しました。また、当時の最新兵器であった鉄砲や大砲を大量に購入し、これを軍の主力兵器として位置付けたのです。いつしかターボル軍は、信仰のために命を捨てる覚悟を固めた健児たちが、最新兵器で重武装した軍隊に成長していたのです。

 ターボル軍の実力が試されたのは、1420年のジシコフの戦いです。プラハ攻略を目指す神聖ローマ皇帝ジギスムント率いる十字軍数万は、プラハ北郊でこの農民軍に遭遇したのです。農民兵と思って敵を侮った十字軍は、伝統的な「騎兵突撃」を試みました。重い鎧を身に着けた騎士たちは、列をなして、長槍を振りかざしながら突貫したのです。しかし、彼らの前に、馬車を横に繋いだ馬防壁が立ち塞がりました。進路を塞がれてうろたえる彼らに、馬防壁の後ろから砲弾と銃弾が雨のように降り注いだのです。一方的な銃撃を浴びて大混乱に陥った騎士たちは、左右から襲い掛かる数千の農民兵によって殲滅されました。

 ヤン・ジシュカは、画期的な戦術で、数の上で10倍にも及ぶ敵を撃破したのです。

 ジシュカは、この(馬車防壁+鉄砲斉射)戦術を応用し、さまざまなユニークな戦術を案出しました。例えば、馬車に乗せた鉄砲隊を、敵陣に突撃させたりしたそうです。

 神聖ローマ皇帝は、5次にわたって十字軍をチェコに送り込んだのですが、その全てがターボル軍の前に粉砕されました。十字軍は、なまじ貴族階層によって構成されていたため、最後まで「馬に乗って槍で突撃」といった旧態依然の戦術を捨てられず、いつまで経っても同じ負け方をしていたのです。

 十字軍は、最後のほうになると、無敵のターボル軍を「真実の神の軍」と思って萎縮していたようです。第5次十字軍は、ドマジュリジェでターボル軍と遭遇したさい、戦わずに全軍が壊走したそうです。ターボル軍の姿を見ただけで、恐怖にかられてしまったのです。この勝利は、今でもチェコ人の誇りになっています。

 ヨーロッパ最強の将軍ジシュカは、その卓越した能力で、フス派の覇権を確立しました。彼自身は1424年にペストで病没したのですが、残された軍団は、自らを「孤児」と呼んで、ますます団結を高めました。「孤児」軍は、チェコの国境を越えてドイツやオーストリアに進出し、立ち塞がるカトリック派軍を連戦連破したのです。

 この情勢を憂慮したローマ法王と神聖ローマ皇帝は、ついにチェコのフス派を認める決定をせざるを得ませんでした。

 ジシュカ将軍は、中年のころに病気で片目を失い、その後、残った目も失明したため、「片目のジシュカ」、あるいは「盲目のジシュカ」と呼ばれていたそうです。盲目でも無敵だったとはすごい。両目が開いていたら、どうなっていたでしょうか?ヨーロッパは、チェコの庭だったかも!

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