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歴史論説集

諸葛孔明伝

第十話 信賞必罰


 1、泣いて馬謖を斬る

2、信賞必罰

 


 

 

1、泣いて馬謖を斬る

  今回は、戦後処理の話です。

 ここで有名な故事成語が登場しますよね。「泣いて馬謖を斬る」って奴。意味するところは「信賞必罰をちゃんとしろ」ってところかな。現在の日本では、ほとんど死語みたいになっていますけどねえ(笑)。

  馬謖は、敗戦の責任を取らされて死刑になります。孔明は、この愛弟子に自ら死の宣告をしたことから、「親しい者でも、罪は罪としてケジメを守る」という故事成語が生まれたわけ。

 しかし、この状況について、『演義』と『正史』では、状況説明が大きく異なります。

 『演義』では、馬謖は「足止め部隊の指揮官として職責を果たさなかった」というそれだけの理由で、死刑になります。文官たちは、「彼はたまたま魔が差して失敗しただけで、本当は優秀な人物だというのに、極刑にするのは残酷だし国にとっても損失です」と言って反対したのですが、孔明は「それでは示しがつかない」とか言って殺してしまうのです。

 私は、『演義』でこの箇所を読んだとき、やはり釈然としないものを感じました。どう考えても、文官たちの主張の方が正しく思えるからです。孔明は、自分が責任逃れしたいものだから、トカゲの尻尾切りみたいに馬謖を切り捨てたんじゃないかと思えてならなかったのです。だって、「勝負は時の運」でしょう?たまたま負けたからって極刑にしたら、誰も戦争に行く人がいなくなってしまいますよ?組織のケジメの取り方としておかしくありませんか?なんか、納得できないなあ。

  では『正史』ではどうか。

 実は、馬謖が極刑になったのは、別の理由からなのです。

 蜀書「向朗伝」によれば、戦場から逃げ帰ってきた馬謖は、孔明の本営で軟禁状態となりました。しかし、彼を見張る役目だった文官・向朗は、たまたま馬謖と同郷出身(やっぱり荊州士大夫かい!)で親しい仲だったので、この罪人に泣きつかれて逃亡を手引きしちゃうのです。

 馬謖がどこへ逃げようとしたか史書には記載がありませんが、言うまでもなく魏に亡命しようとしたんでしょう。彼は、責任を取るのが怖くなったのです。なんだよ、「叛骨の相」はこいつにあったんじゃん(笑)。ともあれ、多くの部下を犬死にさせたくせに自分だけ罪を逃れようなんて、つくづく見下げ果てた野郎ですな。こういうのを「人間のクズ」というのです。

 しかし、馬謖は逃亡に失敗し、蜀の警備兵に逮捕されちゃいました。蜀の法律には、「裏切り者は死刑」という条文が明記されていますから、馬謖は「裏切り」の罪で極刑になったというのが歴史の真実なのでした!これなら、ヒネクレ野郎の私も納得です。

 孔明が、馬謖を斬るときに涙を流したというのは、彼を悼んだからではなくて、劉備の遺言に逆らってこのクズ野郎を信頼した自分の不明が悲しくなったからではないでしょうか?

 

2、信賞必罰

  今回も、「信賞必罰」の話です。

 ところで、これまでの私の解説を読んで、がっかりした人が多いかもしれませんね。「孔明って、ちっとも偉くないんじゃーん」と思う人が多くなったかも。

 でも、それは間違いです。

 確かに、第一次北伐のときの孔明は無能でした。しかし、彼はこの失敗を虚心坦懐に分析検討し、自分の無能さを反省し、そして成長したのです。これが、並の人間と違うところです。

 そのための最重要キーワードは、「信賞必罰」です。

 孔明は、第一次北伐の戦後処理を、実に厳密に行いました。「無かったこと」や「問題先送り」にするのではなく、極力客観的な立場に立って、徹底的に追求したのです。

 戦術的な意味での戦犯は、言うまでもなく馬謖です。しかも彼は逃亡を図ったのだから、死罪になるのは当然です。また、彼の取り巻きみたいな無能将軍が何人かいたのですが(張休と李盛)、こいつらも、ついでに死刑にしました。さらに、馬謖の脱走を手引きした向朗をクビにして成都に蟄居させたのです(数年後に復帰したけど)。

 また、趙雲にも敗戦の責任を負わせて、その階級を鎮東将軍から鎮軍将軍にワンランク下げました。ただ、趙雲は、弱小の囮部隊を率いて、勢いに乗る敵の猛追撃を一手に引き受けたのだから、敗北するのは当然でした。それでも彼は、自ら殿軍を率いて敵を翻弄し、味方の被害を最小限に止めることに成功したのだから、罪ばかりを問うのは可哀想すぎます。そこで孔明は、恩賞として、軍需物資の絹(蜀の名産品)を彼の将兵たちに贈呈しようと考えました。しかし、趙雲はこれを拒んだのです。

 彼は言いました。「丞相、これから冬になりますよね。そういうものは、恩賞としてではなく、冬のボーナスという名目で支給したほうが兵士たちも喜ぶと思いますよ」

 この趙雲の言葉は意味深です。彼の軍は、どんな理由であれ敗北したのだから、罰を与えられるのが当然です。それなのに、情状酌量して恩賞をもらったら、「信賞必罰」にならないというわけです。孔明は、この老将の言葉の意味に、はっと気づき、彼の助言に従ったのでした。

 趙雲という人物は、日本でも中国でもたいへん評価の高い将軍ですが、こういうエピソードを見ると、その理由が実に良く分かりますよね。本当に、ケジメがあるものね。彼ほどの猛将にしてこの人間性は、実にたいしたものだと思います。そんな彼は、この翌年に病没してしまいます。ああ、残念。

 ところで、第一次北伐の敗因を真面目に分析した場合、戦略面での最大の戦犯は、何といっても孔明自身でしょう。そこで孔明は、そんな自分にも罰を与えています。彼は、丞相の地位から退いて、右将軍になりました。つまり、三階級も降格処分になったのです。皇帝劉禅は反対したのですが、孔明自身が「どうしても」と言い張ってこの運びとなったのです。ただ、孔明に代わって丞相の仕事をこなせる者がいないので、暫定的に丞相の職務をやりました。サラリーは下がったのに、仕事は以前と一緒ってか?うわー、厳しい。でも最近は、日本のサラリーマンも、みんなそうですけどね。業績悪化の元凶である役員どもは、責任取らずに高給もらっているくせしてね。情けない風潮だなあ。

 まあ、話を元に戻しましょう。

 みんなに罰を与えるだけでは意味がない。成功をも誉めなければ信賞必罰とは言えませんよね。孔明は、街亭の戦いで見事な指揮を見せた王平に莫大な恩賞を取らせて昇進させました。

 自分を罰して他人を昇進させるなんて、なかなか出来ることじゃありませんよね。こういうところが、孔明の立派なところです。

 陳寿は、孔明のことを「罪は小さな罪でも必ず罰し、成功はどんなに小さくても必ず賞した」と述べて絶賛しています。なるほどですよね。こうでなければ、国は纏まりません。

 一方、重税にあえぐ蜀の国民は、敗戦の内容を知らされて意気消沈し、孔明と政府を深く恨みました。また、政府内部でも厭戦気分が高まり、「もう遠征は止めにして、ひたすら内政に勤めようよ」という言論が多数を占めたのです。

 しかし、孔明が自らを罪に落として深く反省し、そして「信賞必罰」を明確にしていく過程で、少しずつ彼らの心も溶けていきました。国中に、「孔明は、敗北の原因をとことん究明し、対処法を確立することに成功したみたいだ。ならば、次こそは勝てるかもしれない」という気運が盛り上がったのです。

 これが、第二次北伐を実現させた原動力でした。

 

 「信賞必罰」というのは、本当に大切なことです。

 我が国の為政者たちは、どうもこういうことが分かっていないようですね。

 例えば太平洋戦争のときは、ミッドウェー以降負け戦の連続だったのに、国民の手前、メンツが立たないことを恐れて、また責任者が罰を受けることを恐れて、「問題先送り」や「無かったこと」にし続けました。その結果、成功や失敗のノウハウが蓄積されずに何度も同じ過ちを繰り返す結果となりました。また、政府発表では勝ち戦のはずなのに頭上に焼夷弾を落とされる国民の不信感は頂点に達し、惨めな敗戦を迎えてしまったのです。

 これは、昔の話ではありません。現在の日本経済を破局の淵に追い込んでいる不良債権問題だって、もう10年以上も前から分かっていることなのに、大銀行の頭取や大蔵(財務)省の要人たちが「無かったこと」や「問題先送り」にしたものだから、ここまで酷いことになってしまったのです。国民は、もはや政府の言うことを信用できなくなってしまっています。これでは、どのような政策も無意味になるでしょう。

 「無かったこと」や「問題先送り」は、短期的なゴマカシにしかなりません。そのツケは、何十倍にもなって将来に降りかかってくるのです。

 結果責任をとろうとしない卑怯な我が国の要人たちは、はっきり言って馬謖と同レベルの連中です。多少の痛みはあるにしても、しっかりと現状を受け止めて責任をしっかりと負うことが明るい未来を築くのですけどねえ。

 ・・・少しは、孔明の真摯な生き様を見習えと言いたい。

 「信賞必罰」は、単なる道徳論ではありません。その重要な効用は、「ノウハウが蓄積される」という点です。つまり、人間や組織が二度と同じ失敗をしなくなるのです。そして孔明は、二度と同じ失敗をしませんでした。自分自身を痛めつけ、そしてこの恥辱と苦しみを乗り越えることで成長を遂げたのです。

 我が国が、どうして何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も同じような失敗をするのかといえば、誰も責任を取らないものだからノウハウが蓄積できず、誰一人として成長できないからです。いい加減、ちゃんとしてくれよ!

 我が国の要人たちの腐った性根は、紀元3世紀の中国人より遥かに劣るのです。この事実は、もっともっと深刻に受け止められるべきだと思いますけどね。

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