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歴史論説集

諸葛孔明伝

第十六話 第五次北伐


1、第五次北伐

2、葫芦谷の戦い

 


 

 1、第五次北伐

  いよいよ、孔明の最後の戦いです。

  第四次北伐から帰還した彼は、蜀の国力が衰退していることに気づきました。何しろ、人口90万の貧乏国にもかかわらず、5万人規模の軍勢を4年も連続で出征させているために、経済力が惨めなまでに弱っていたのです。

 そこで孔明は、3年の間、戦争を止めにして内政の強化に勤めることにしました。また、同盟国の呉との連絡を密にしました。彼は、次回は呉と力を合わせて、「中国南部軍による大攻勢」を企画したのです。

 孔明は、寝食を惜しんで働きました。その頑張りぶりは、皇帝劉禅や側近たちに「丞相は、いつ眠るのだろうか。仕事以外に楽しみがあるのだろうか」と言わせしめるほどでした。

 トップが頑張れば、部下はそれ以上に奮起するものです。蜀の軍隊が強かったのは、そのためだろうと思います。

 さて、運命の西暦234年春、孔明は10万の軍勢を率いて征旅に出ます。この軍勢の数を見るに、ほとんど「根こそぎ動員」だったはずです。孔明は、この一戦に全てを賭けていたのです。

 呉の孫権も、これに呼応して大攻勢を仕掛けます。彼は、日増しに開いていく魏との国力差に頭を悩ませていましたから、やはりこの一戦に相当な期待を抱いていました。その総勢は、やはり10万程度だったでしょう。

 しかし、対する魏軍は、東西の両戦線に30万前後の大軍を用意していました。もはや、魏と呉蜀の国力差は、決定的なまでに開いていたのです・・・。

 孔明の軍勢は、蜀の桟道を押し渡り、斜谷道から陝西省に出ます。ここまでは、前回と同じコースです。しかし、今回は祁山を見捨て、その全軍が東進を始めたのです。

 これを見た防衛軍の司馬懿は、大いに焦りました。孔明が全滅覚悟の特攻作戦で長安に攻めかかるとしたなら、魏の損害も計り知れないものになると思われたからです。

 しかし、孔明の軍勢は、途中で動きを止めます。武功郡に柄杓のような形をした広大な台地を見つけ、ここに全軍を収納してしまうのです。この台地こそ「五丈原」です。

 司馬懿は、大いに喜びました。「やはり、孔明は安全重視の保守主義者なのだ!」

 その通り。台地に入った孔明は、兵士たちに命じて農耕を行なわせたのです。彼は、こういう形で補給問題を解決しようとしたのです。孔明の軍隊は、規律正しく振舞ったので、近在の住民たちは大いに安心し、積極的に彼らを手助けしたのだそうです。

 でも、孔明は「決戦」を挑みに来たのでしょう?台地に立て篭もって農耕を始めるとは、いったいどういうことなのか?

 司馬懿の30万は、五丈原前面に布陣し、孔明軍10万を完全に拘束しました。孔明は、台地を陣地化し、これを迎え撃とうとします。彼は、第四次北伐の大勝利の再現を狙っていたのです。

 しかし司馬懿は、二度も同じ手に引っかかるような男ではありませんでした。彼は、自ら攻めかかろうとはせず、じっと持久戦の構えに入ったのです。これでは、孔明もどうしようもない・・。

 孔明の唯一の希望は、江南戦線で呉が大勝を得ることでした。そうなれば、司馬懿も首都の危機を救うために退却するだろう。そこを追撃してやろうと心組んだのです。

 しかし・・・、呉は敗北を喫したのです。

 呉軍は、合肥、江夏、江陵の三方から軍を北進させました。

 合肥の要塞は、呉軍の猛攻を頑として弾きました。

 そして江夏方面では、呉は魏の奇襲攻撃を受けて大惨敗でした。

 唯一、快進撃を続けたのは、江陵の陸遜です。さすが、劉備を夷陵で壊滅させた実力は伊達じゃないぜ!でも、他の方面軍が劣勢だったため、彼の軍は敵中で孤立する形勢になったのです。そこで彼は、慌てず騒がず、軍を北進させる振りをして魏軍を動揺させてから、フェイントで全軍を退却させたのです。

 呉軍の総攻撃が失敗した最大の原因は、魏の皇帝・曹叡が、自ら親衛隊を率いて救援に駆けつけたからです。皇帝自らが出陣となれば、魏の全軍の士気は高揚します。ああ、曹叡が名君じゃなかったらなあ・・・。

 五丈原の孔明は、大いに落胆しました。彼は、呉の攻撃が成功することを当て込んで、この台地に立て篭もったのですから。しかし、今や彼の眼前には、3倍の兵力を持つ司馬懿がいて、頑として動こうとしません。

 孔明の戦略は、いきなり大失敗に終わったのです。

 

 孔明の戦略は、酷な言い方ですが、「無能で稚拙」でした。自らはリスクを冒そうとせず、ひたすら他人を当てにしているからです。彼は、司馬懿の方から仕掛けてくると思い込み、自軍をひたすら有利(と彼は思った)な守勢に立たせました。また、呉軍の攻撃が成功することを信じ込んでいました。これらの前提が崩れた結果、彼の遠征軍は無力化してしまったのです。

 孔明という戦略家は、ひたすら自軍のリスクを最小化しようとします。いつも、自軍を有利な地形で防御側に置きたがるのです。でも、それで優勢な敵を撃破して天下を取れるのでしょうか?

 将軍の魏延は、こうした孔明の戦略にいつも不満で、「私に1万の別働隊をください。二手に分かれて進撃し、敵を分断撃破してから長安で落ち合いましょう」と提言したそうです。もちろん、孔明は「危険すぎる」と言って却下するのでしたが。

 私は、孔明は魏延の策を取るべきだったと思います。確かにリスクは高くなるでしょう。でも、リスクを恐れていたら大きな成果は得られません。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」です。

 やはり、孔明の本質は「管理本部長」だったのでしょう。管理の仕事は、営業と本質的に異なり、「リスク最小化」が至上命題です。孔明は、やはり軍師にはなれなかった・・・。

 その点、やはり彼は石田三成に似ています。三成は、島津義弘らの「家康に先制攻撃を仕掛けるべきだ」との提言を退けて、関が原西端に陣地を築いて閉じこもってしまいました。そのため、戦いのイニシアチブを家康に握られ続け、その結果、吉川や小早川の裏切りを誘発することになったのです。三成にすれば、「陣地に篭った方が、リスクが低くなって安全だ」との判断があったのでしょう。やはり、彼は「管理本部長」でしかなかった。

 残念ながら、孔明も三成と同じだったのです。

 

   しかし、『演義』の立場とすれば、それでは困るわけです。そこで羅貫中は、一世一代のフィクションで盛り上げました。

  それが「葫芦谷の戦い」です。

 

2、葫芦谷の戦い

  葫芦は、瓢箪(ひょうたん)のことです。つまり、葫芦谷は、瓢箪のような形をした谷なのです。

 羅貫中は、このモチーフが大好きだったみたいで、劉備が曹操を撃破した漢中戦のときも、孔明が瓢箪型の谷を利用して曹操を打ち破る話を創作していますね。

 で、『演義』の世界では、五丈原の近くにやはり葫芦谷がありました。孔明は、この谷に司馬懿軍を誘き寄せ、得意の火計で皆殺しにするという一世一代の大謀略を考案したのです。

 孔明の計略を恐れる司馬懿は、最初のうちは陣地に固く篭って出てこようとしませんでした。しかし、小競り合いのたびに魏軍が勝つ様子を見て、次第に慢心したのです。

 「孔明め、どうやら昔ほどのキレを無くしたようだぞ!」

 そこであるとき、全軍で孔明本陣に総攻撃を仕掛けたのです。そして、スパイ情報によれば、孔明の本陣は葫芦谷に置かれているらしい。ほら、その証拠に、蜀軍最強の将軍・魏延が、葫芦谷の中に布陣しているではないか、それ突っ込め!

 しかし、これは罠でした。葫芦谷の、一つしかない狭い入口から突入した魏軍30万は、その直後に入口を蜀の主力に塞がれてしまいます。この谷の中には、魏延率いる数百人しかいなかったのです!

 「しまった!」と引き返そうとする司馬懿ですが、なまじ大軍が狭い谷にひしめくものだから、思うように動きが取れません。そのとき、谷底一円に仕掛けられていた地雷が火を噴きました!この時代は、まだ地雷を否定する平和団体は活動していなかったのです!っていうか、紀元3世紀に地雷ってあったのかい!

 ともあれ、こうして魏軍は猛火に包まれました。絶体絶命の司馬懿は、二人の息子(司馬師と司馬昭)と抱き合って泣き出します。「ああーん、やっぱり俺みたいな凡才が、超絶的大天才スーパー軍師の孔明に楯突いたのがバカだったのだあ!もう、しませーん!許してー、許してー」。

 絶望のどん底に陥ったのは、魏延も同じでした。当初の手はずでは、魏延の軍は、谷の奥地に設けられた秘密の抜け道から脱出する予定だったのです。しかし、案内役の馬岱は現れず、抜け道はどうしても見つかりません。

 「しまった!孔明に騙された!あいつは、俺のことが嫌いだから、司馬懿もろとも焼き殺そうとしやがったんだあ!」

 図星でした。孔明は、遠いところから葫芦谷を焼き尽くす炎を眺めながらご満悦でした。「えへへー、これで司馬懿は死んだな!ついでに、生物学的絶対悪の魏延も死んだな!これで、オイラに勝てる奴は中国全土から姿を消すぜ!俺に逆らう性悪男も絶滅するぜ!天下統一は達成されたようなものだな!がははははー!」

 しかし、このとき一天にわかに掻き曇り、とんでもない大雨が降り注ぎました。葫芦谷は鎮火し、こうして司馬懿軍と魏延軍は、無傷で出てきたのです。なんてこったい!

 司馬懿は、元の陣地に帰って、今度こそ亀の子のように閉じこもってしまいました。魏延は、かんかんに怒って孔明の本陣に殴りこみます。

 「てめえ、孔明!ぶっ殺したるー!」

 「お、おやおや、ぎ、魏延くん、何をそんなに怒ってるのかな?」

 「とぼけんじゃねー!俺を司馬懿ごと焼き殺そうとしたくせにー!」

 「何のことだか、ボクには全然分からないなー。ええ?抜け道が無かったって?そんなアホなー。さては、案内役の馬岱がサボってやがったな!馬岱を呼べ!」

 こうして馬岱が本陣にやって来ました。彼は、一から十まで完璧に孔明の指図どおりにやったのに、いきなり怒られます!

 「てめえ、よくもサボったなあ!お陰で、可愛い可愛い魏延が死ぬとこだったじゃねえか!」

 「えっ?ええっ?でも、もともとそれが目的・・・あ、あわわ」

 「許せん!てめえは、クビだあ!下級兵士に落としてやるー」

 その会話を聞いていた魏延は、首をかしげます。「なんか怪しいなあ。不自然だなあ」

 孔明は慌てて、「そんなことないもん!その証拠を見せるもん!」と言って、兵士たちに命じて馬岱を「百叩きの刑」にするのです。その上、彼を魏延軍の下級兵士として編入し、魏延に「さあ、この馬岱は君の奴隷さ!好きなように虐めて良いよー!」と言ってご機嫌を取るのであった!

 馬岱は、半死半生のまま自分の宿舎に運び込まれて泣きました。そのとき、こっそりと孔明の使者がやって来て、「さっきのは、孔明様の本意じゃありません。悪党・魏延を騙すための計略なのです」などと言ってフォローします。馬岱は、「孔明様も辛いのだなあ」と素直に納得するのです。・・・・普通、納得しねえぞ!

 

 言うまでも無く、以上の話は全て『演義』の創作です。

 しかし、本当に酷い「話」ですよね。孔明の智謀をアピールすることに夢中のあまり、彼を「人格破綻者」にしちゃっていますもの。

 そもそも、どうして魏延をあのタイミングで暗殺する必要があったんだろう?『叛骨の相』があるからにしても、あんな酷いやり方で殺すことはないでしょう。百万歩譲って、魏延がナチスにとってのユダヤ人みたいな存在だと規定するにしても、彼の数百人の部下たちごと焼き殺そうとしたのは解せません。だって、部下たちには何の罪もないのですよ!孔明は、下級兵士の命など、ゴミクズとしか思ってなかったのでしょうか?

 また、魏延に詰め寄られたときの、卑怯な言い訳の使い方もムカつきますね。

 羅貫中は、自分が科挙に合格できなかったものだから、「知恵者=人格破綻者」という偏見を持っていたのかもしれません。

 私見では、「葫芦谷の戦い」は、孔明の魅力を貶める最悪のエピソードだと思います。ただでさえ魅力の無い『演義』版・孔明を、どん底に叩き落とすエピソードですね。

 史実の孔明は、フェアで誠実な人間だったことは、これまでのエピソードで紹介したとおりです。

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