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歴史論説集

概説 日露戦争

2.両軍の戦争計画

(1)日本の戦争計画

(2)ロシアの戦争計画

(3)山本海相の大英断

 


 

 

(1)日本の戦争計画

 日本の指導者たちは、当初はロシアとの戦争に乗り気ではありませんでした。

 戦っても、勝ち目が無いと思われたからです。

 国力に劣るのみならず、日本はもともと資源の乏しい島国なのです。西欧列強を相手に戦争することなど、どう考えてもナンセンスでした。

 そこで、清王朝も交えて、交渉でロシアを押さえ込もうとしました。具体的には、満州と朝鮮を、どちらとも中立化させようとしたのです。しかし、ロシアは、いったんは条約に応じたものの、たちまち豹変。満州はおろか、朝鮮半島にまで軍隊を送り込む始末。

 日本は、もはや戦争を決意せざるを得ませんでした。

 そんな日本にとって有利な点は、世界最大の経済大国であるイギリスやアメリカのバックアップが十分に期待できる点です。貧しい日本であっても、資金と資源については、比較的楽観的な見積もりを立てることが出来たのです。しかし、問題は戦力です。これは、どうしようもありません。

 日本の作戦計画は周到でした。

 「緒戦において奇襲攻撃をしかけ、敵の戦力が整わないうちにこれを各個撃破する。そして戦況が有利に進展しているうちに、アメリカに和平を仲介してもらう。戦争期間は長くて1年か1年半である」

 重要なのは、戦争期間を「1年から1年半」と事前に決めている点です。日本の国力では、それ以上の戦争の拡大は不可能であるとの卓越した判断でした。長期戦になれば兵力が枯渇するのみならず、武器弾薬の生産も限界に達するでしょう。また、英米から資金を調達できるにしても、あまりに巨額の外債を発行してしまうと、後の世代に負担が掛かってしまうだろうことを慮ったのです。

 この見識は、後の昭和の軍閥や、現代の政治家たちには及びも付かない深さです。

 この差は、いったいどこから来るのでしょうか?

 明治政府の首脳たちは、若い頃から幕末の血煙の中を掻い潜り、戦争の悲惨さを、身をもって味わってきました。また、戦争が、社会にとっての必要悪であることも十分に認識していたのです。だからこそ、戦争の是非には大いにためらいながら、いざ戦端が開かれたとたん、野獣のように断固たる意思で戦いを推進していったのです。

 これは言うまでもなく、戦争に対するリアリティを喪失し、やらなくても良い戦争をダラダラ続けて国を滅亡に追いやった昭和の軍閥や、何の根拠も目的も無く口先だけで平和を叫ぶ現代の空想的な平和主義者たちには、及びもつかない境地でした。

 日露戦争を日本の勝利に導いた最も重要な要因は、こうした戦争指導者たちの見識の深さにあったのだと思います。

 

(2)ロシアの戦争計画

 対するロシア軍は、あまりこの事態を深刻に考えていませんでした。

 もちろん、有色人種の日本を侮っていたという側面もあるでしょう。

 それ以上に重要なのは、この当時のロシアには、国策を決定するまともな機関が存在していなかった事です。

 いちおう、皇帝が専制政治を行う国だったのですが、皇帝ニコライ2世は、優柔不断な坊ちゃんで、取り巻きたちの言いなりでした。自分自身では、国策を決めることが出来なかったのです。

 そんな皇帝の側近たちは、その多くが地主貴族です。彼らは、宮廷サロンの中で、日夜、派閥抗争や権力闘争に明け暮れていました。その関心は、自分たちの私利私欲にしかありません。その過程で、貧しい農民たちが苦境にあえごうとも、東洋で日本との決定的な摩擦が起ころうとも、彼らにはどうでも良いことだったのです。

 もちろん、良識派もいました。例えば、蔵相のウイッテは、対外戦争全般に反対の立場を貫いていました。なぜなら、ロシアの財政が窮乏化し、破産寸前になっていたからです。また、日本を視察した陸軍大臣クロパトキン大将は、この新興国の国力や国民の士気が侮りがたいことを見て取り、この強敵との戦争には反対だったのです。

 しかし、少数の良識派の意見は、常に大勢の愚者に押し流されてしまいます。その愚者たちは、別に戦争を望んだわけではありません。何も考えていなかったのです。

 日本との国交を破綻させたのは、既述のとおり、ロシア軍の一方的な朝鮮への駐留でした。この愚行を強行したのは、朝鮮に利権を確保して「カネ儲け」を企んだべゾブラゾフ卿の独断だったのです。国の意思とは無関係なところで、私利私欲を企む宮廷貴族が「暴走」したというわけです。

 まるで、40年後の日本の姿を見ているようですね。歴史は繰り返すとは、良く言ったものです。

 というわけで、東洋におけるロシアの戦力は極めて貧弱でした。日本が攻めてくるという事態を、ほとんど想定していなかったからです。日露戦争の全期間を通じて、ロシア軍の対応が常に後手に回ったのは、まさにそのためでした。

 

(3)山本海相の大英断

 日本という国には、常に致命的な大ハンデが付きまといます。それは、「四方を海に囲まれた、資源の乏しい島国」という点です。これは、外国の侵略から国土を守る上では有用なのですが、こちらから打って出る場合にはたいへんなハンデとなります。

 事実、16世紀の豊臣秀吉は、朝鮮水軍にシーレーンを破壊されたために、朝鮮出兵に失敗しているのです。

 明治の日本は、同じ轍を踏むわけにはいきません。もしもロシアに日本近海の制海権を奪われたらどうなるのか?兵力を大陸に送れなくなるだけではありません。鉱物資源はおろか、食料すら輸入できなくなった日本国は、国民の生活を守ることができずに壊滅してしまうのです。

 ここで物を言うのは、やはり「海軍力」です。日本は、イギリスと同様、何が何でも海軍を強くしなければならない国でした。

 この当時は、軍艦の建造技術が日進月歩の勢いでした。その有様は、90年代のパソコン市場の状況に良く似ています。技術の粋を集めて建造した最新鋭戦艦は、わずか3年後には陳腐化していたのです。

 さて、明治政府は、創設当初から国防に大いに神経を遣っていました。最初は、日本列島の海岸沿いに巨大な大砲を据えつけて、敵国の艦船の侵入に備えました。例えば、今日の若者スポット「お台場」は、もともとこうした大砲の「台場(=据付場)」だったのです。

 やがて、日本の国力が伸張して来ると、今度は軍艦を集めて海軍を建設しようとしました。しかし、当時の日本の技術力では、巨大な戦艦を建造することは出来ません。従って、主力艦については、欧米から巨額の資金をはたいて購入しなければならず、ここで喧喧諤諤の議論が起きました。貧しい島国であった日本は、乏しい国費の遣り繰りに苦労していたので、なるべく安価な三級艦を購入しようという意見が圧倒的多数だったのです。

 これに異議を唱えたのが、海軍大臣だった山本権兵衛です。彼は、日進月歩の建艦競争に注目し、「なるべく高価で高性能の艦船を購入するべきだ」と主張し続けたのです。彼の説得力ある弁舌は次第に周囲を動かし、そして日本海軍は、世界最高の性能を持つイギリス製軍艦を揃えた一大艦隊へと成長して行ったのです。このとき、日清戦争で獲得した賠償金の殆どが、軍艦の購入に使われたそうです。

 山本海相のこの見識の高さは、日露戦争を勝利に導く決定的な要因となったのでした。

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