歴史ぱびりよん

第四話 兵器のネーミング

さて、またもや新シリーズです。

ちょっと本筋からズレますが、兵器の名前の由来などを書いてみます。

私は、名前をとても大切に考えています。名前を分析すれば、当時の人々の思考様式や文化が分かるように思うからです。

①まずは、軍艦の名前。

 日本海軍は、艦種ごとに次のようなルールを決めていました。

 戦艦・・・・・・・・・・旧い国の名前

 巡洋戦艦、重巡洋艦・・・山の名前

 軽巡洋艦・・・・・・・・川の名前

 空母・・・・・・・・・・伝説上の鳥の名前

 駆逐艦・・・・・・・・・海上気象の名前

もちろん、例外もあります。途中から別の艦種に造り直したものは、最初に決めた艦種の名前が引き継がれます。例えば、空母加賀や信濃はもともと戦艦として就役するはずの船でした。

ここで気付くのは、空母の扱いです。戦艦に比べると、グレードが低いネーミングですよね。こういうところに、大艦巨砲主義の影響を感じます。

 

②飛行機、戦車の名前

基本的には、実戦配備されたときの紀元節の年数で決まります。紀元節というのは、神武天皇が即位してから何年目かを表します。昭和15年(1940年)が、紀元2600年だったと思います。

ゆえに、

 九六式艦戦、九六式陸攻・・・・・・紀元2596年実戦配備

 九七艦攻、九七式中戦車・・・・・・紀元2597年

 零式艦戦(ゼロ戦)・・・・・・・・紀元2600年

 一式戦闘機(隼)、一式中戦車・・・紀元2601年

という具合でネーミングされました。後に新型機がどんどん増えてくると数字の名前では面倒になって、それとは別の愛称も付けるようになりました。海軍の飛行機では、紫電とか雷電とか彗星とか天山とかです。

現在の自動車のネーミング(プリウスとか)より、よっぽどセンスが良かったように思うのは私だけでしょうか?

ともあれ、当時の日本には紀元節というものがあり、これが国民の間で重要視されていたことは、知っておいて損はないと思います。

③不沈戦艦の名前

当時の世界で不沈戦艦と言われていたものは、みんな崇高な名前がついていました。日本の大和は、奈良県という意味のみならず、日本の旧国名も背負っていたわけです。イギリスのプリンス・オブ・ウェールズは、実は「イギリス王太子」を意味する一般名詞でした。ドイツのビスマルクは、いわずと知れた鉄血宰相です。

これらの戦艦が不沈戦艦と呼ばれたのは、沈まない戦艦ではなくて、「沈んで欲しくない戦艦」という意味だと思うのです。

さだまさし風に言うと、

♪アイツは沈みはしない、多分沈まないと思う、沈まないんじゃないかな、ま、ちょっと、覚悟はしておけ♪

てな感じかな?

日本海軍が、最後まで戦艦大和を大事にしたのは、こういう心理が作用していたのでしょう。

チャーチルとヒトラーは、それぞれプリンス・・・とビスマルクが沈んだとき、たいへんに大きなショックを受けたといいます。

大仰な名前を付けるのも、考え物かもしれませんねえ。