歴史ぱびりよん

第十一話 人命尊重

さて、これまでの記述では、アメリカの強さと枢軸国の弱さを強調する傾向がありました。まあ、これは本当の事だからしょうがないのですが。

それでは、アメリカには弱点が無いのか?あるにはあるのです。それは、彼らが人命の損失を極端に嫌がるという点です。

アメリカ人の大多数は、アメリカという国の存在意義を「生活の保障」にあると考えています。つまり、国家というものを、自分たちの安全を守るための道具として、機能的に考えているのです。 だったら戦争なんかしなければ良いのですが、それはそれで、「正義の戦争」なら、必要悪として歓迎するのだから始末が悪い。

アメリカの為政者は、最小限の犠牲で、激しい戦争を戦わなければならないという課題に、常にさらされているのです。

逆にいえば、枢軸国は、アメリカ軍に大きな損害を与えて、兵士を大勢殺すことに成功すれば、彼らを屈服させられる可能性があったのです。ベトナム戦争の時のように、反戦運動が起こる可能性もあったでしょう。もっとも、アメリカ国民は、真珠湾での騙まし討ちで怒り狂っていましたから、ベトナム戦争の時ほど簡単には行かなかったでしょうけどね。

しかし、ここで重要なのは、アメリカは、自分の弱点を知悉して、それをカバーする事に全力を注いだという点です。私は、アメリカという国をそれほど好きではないのですが、この点は尊敬すべきだと考えています。

己の弱点を冷静に客観的に見て、その克服に注力する姿勢は、日本に一番欠けている点だと思います。これは、もっと見習うべきでしょう。

あの戦争では、官民合わせて、全世界で6000万人が亡くなりました。 しかし、アメリカ人の犠牲者は、あれほど全世界で戦ったにもかかわらず、わずかに数十万人なのです。

なぜか?

それは、人命の損失を最小限に食い止めるため、たいへんな努力をしたからです。

まず、補給組織や医療体制の整備に全力を尽くしました。どうして、アメリカの圧倒的な戦力を持ってしても、終戦まで4年もかかったのか?それは彼らが、補給や医療が万全になるまで、大規模な作戦を起こそうとはしなかったからです。

まず、アメリカ陸軍について見ましょう。前線で陸軍の兵士が死亡する最大の要因は、病死か失血死です。即死というのは、実はそんなに多くないのです。医薬品や輸血が間に合えば、命が助かるという人が殆どなのです。そこで、アメリカ軍は、医療システムを重視していました。まず、優秀な医師を大勢集めて、最先端の医薬品を常備させました。また、輸血用の血液を粉末状にして前線に運び、迅速に輸血を行なえるように工夫しました。こうした措置によって、陸軍兵士の死亡率は、劇的に減少したのです。

海軍はどうか?アメリカの軍艦は、たいへんに打たれづよく出来ていました。致命傷を受けても、すぐには沈まないので、脱出の余裕が十分に確保できるのです。第二次大戦の主力艦の中で轟沈されたのは、真珠湾での戦艦アリゾナくらいのものでした。それ以外の船では、沈没する場合であっても、死傷者の数は呆れるほどに少なかったのです。

軍用機はどうか?アメリカの軍用機は、やはりたいへんに頑丈でした。特に、操縦席の防弾装置は優れていました。ゼロ戦の20ミリ機銃であっても、かなりの弾数を命中させないと撃墜できなかったのです。撃墜された場合でも、パラシュートが標準装備されているから、即死でない限りは脱出可能です。また、海面に不時着した場合は潜水艦が急行して救助してくれました。ジャングルに不時着した場合は、事前に手なずけられていた現地人が駆けつけて、パイロットを保護するシステムが完備されていたのです。JFKやブッシュも、こうしたシステムのお陰で、生還して大統領になれたのでした。

アメリカは、このような入念な措置を採る事で、人命の損失を最小限に抑えていましたから、アメリカの厭戦気運を煽って講和に持ち込む策略はやっぱり不可能だったのかもしれませんね。

日本軍はどうだったか?語るに落ちたりとはこの事です。兵士の命を守るための措置は、事実上皆無でした。医療体制も補給もボロボロだし、飛行機も軍艦も、打たれ弱かったのです。

脱出したパイロットを保護するための方策は、何もありませんでした。開戦後1年で、熟練パイロットの殆どが死に絶えたのはこのためです。最後は、こうした人材不足を補うために、「神風特攻隊」なる愚劣な作戦が考案されたのでした。

もしかすると、第二次大戦で最も人命を軽視したのは日本軍だったかもしれません。

ドイツ軍は、随分とマシでした。

軍用機は異常に打たれづよく出来ていて、英本土航空戦のときなど、2000発の銃弾を受けて生還した爆撃機もあったそうです。また、このときはヒトラーの命令で、パイロット救出用の潜水艦が新造されて、ドーバー海峡で不時着したパイロットを拾い上げていました。

「特攻隊」も、ヒトラーによって否定されました。彼は、「そのような非人道的な命令は出来ない」と言って、体当たり攻撃を提案する軍部や若手パイロットたちを押さえ込んだのです。凶悪な殺戮者であったヒトラーは、自国民を愛する心は強く持っていたのです。

考えようによっては、日本の軍人官僚の方が、残忍非道な人間だったのかもしれません。

日本社会には、昔から人命軽視の伝統(?)があるような気がします。 水俣病事件のときも、薬害エイズ事件のときも、C型肝炎事件のときも、お上は自分達の利益のために、か弱い人々を犠牲にしようとしました。阪神大震災のときも、詰まらぬセクト主義を振りかざして、犠牲を拡大しました。民間企業で起きている過労死の問題だって、根っこは同じです。単身赴任も、たいへんに残酷な制度だと思います。会社の利益の為に、従業員の家庭を破壊するなんて間違っています。

公共の利益の為に、個々の人間に不幸を強要する体制を「全体主義」といいます。日本は、未だに「全体主義」だというのが、私の考えです。 国家や企業は、一人一人の幸せを守るための道具でなければなりません。しかし、当時そして現在の日本は、そうなってはいないのです。 日本の貯蓄性向は、先進国の中でもずば抜けて高いそうですが、多くの国民は日本政府の残忍さを察知して、自分達の生活は自分達でしか守れないと考えて、諦めているのではないでしょうか?

日本が、本当の民主主義国家になる日は、かなり遠いでしょう。