歴史ぱびりよん

恐怖の独裁者スターリン

 

 

レーニンが1924年に病没した後、権力闘争の末、ソヴィエト連邦を引き継いだのはヨシフ・スターリン(1878~1953年)でした。スターリン(=鉄の人)は偽名であって、本名はジュガシビリ。ジョージア(グルジア)出身者です。

彼は、もともとはレーニン一派の資金調達係で、銀行強盗を得意としていました。銀行強盗と言うと驚く人が多いでしょうけど、レーニンは、党の資金調達の手段として強盗を奨励していました。この時点で、この人たちの道徳観念に疑問が出まくりですね(笑)。さて、銀行強盗の専門家スターリンは、何度もロシア帝国政府によって逮捕投獄されますが、その都度脱走に成功する古強者でした。鑑みれば、ロシア帝国は犯罪者に甘かったんですかねえ?

レーニンとスターリンは、特にレーニンの晩年は不仲だったという説が有力ですが、結局のところ、最もレーニンの思想を理解し、その思想通りに行動したのはスターリンでした。そういう意味では、ソヴィエト連邦は最高の人材に引き継がれたと言えます。

とは言え、世間一般の通説ではそうではないようです。「狂暴なスターリンは、温厚な人格者であったレーニンの思想を曲解し、その政治機構を盗み取り、豊かだったロシアの大地を地獄に変えた」という解釈が一般的であるようです。どうやら、レーニンを「優しい人格者」にしておきたい人たちが多いらしい。そういう人たちは、左翼思想にシンパシーを感じているのでしょう。つまり、「社会主義思想(レーニン修正主義)自体は素晴らしいのに、悪逆非道な後継者が捻じ曲げたため、本来の善性を発揮できなかった」と解釈したいのです。ジョージ・オーウェルの『動物農場』でも、レーニンは良い人だったように描かれていますね。しかし、レーニンが本当にそんな人格者だったかどうかは、極めて微妙です。先述の銀行強盗や、裁判抜きの暗殺や虐殺、秘密警察(チェーカー)や強制収容所は、スターリンではなくレーニンの発案です。スターリンは、それを忠実に履行し、あるいは継承しただけなのですから。

ともあれ、スターリンの時代に、ソヴィエト連邦は急激な構造改革を成功させて発展します。具体的には、一気に世界トップレベルの重工業国になったのです。どうして、そんなことが可能だったのか?

スターリンは、工業化のための資金を捻出するため、主にウクライナの農民から輸出用の穀物を強制徴収し、少なくとも数百万人を餓死させました(ホロドモール)。また、反体制のレッテルを適当に貼りまくり、気に食わない国民を片端から政治犯の徒刑囚にして、無償で死ぬまで重労働させました。強制収容所には、少なく見積もって100万人の囚人(つまり奴隷労働者)がいたようです。

どうしてこんな無茶苦茶が出来たかと言うと、「レーニン修正主義」のお陰です。すなわち、「人類の究極の理想である共産主義への踏み台である社会主義の建設は、人類全体の絶対的な至上命題であり究極の正義である。それゆえに、この理想を実現するためには、どんな過酷な手段も正当化される。また、理想の実現を妨げる存在は、全て絶対的な悪なのだから、どんな残酷な手段を用いてでも排除されるべきである」。

つまり、ソヴィエト連邦では、農民を大量に餓死させたり、無実の人々を殺したり囚人に貶めたとしても、このポリシーの元に全て正当化されたのです。その大前提として、社会主義の建設は独裁政権の仕事であり、その独裁政権を主宰する共産党は無謬の存在であり、共産党のトップは何をしても正しいのでした。スターリンは、もはやこの国の神なのです。

やがて、スターリンの牙は、仲間であるはずの共産党幹部や、かつての戦友たちにも向けられました。「大粛清」です。これは社会主義建設の大義のためではなく、単純にスターリンの個人的な猜疑心によるものですが、彼は「神」なのだから、何をやっても許されるのでした。こうして、少なく見積もって10万人が虐殺されました。

これら一連の暴政による犠牲者の累計数は、数千万人とも言われています。ちゃんとした統計が残っていないので、はっきりした人数は分かりません。たぶん、永遠に分からないことでしょう。

ロシア国家はこうして、ロマノフ王朝から遥かに逆行して、イヴァン雷帝どころか「タタールのくびき」の時代にまで退行したのです。

恐ろしいことに、ロシアでは今でも、このスターリン時代が、栄光の時代として認識されています。そして、スターリンは破格の英雄ということになっています。つまり、多くのロシア人は今でも、潜在意識の奥底で、「正しい(と彼らが主観的に認識する)目的を達成するためなら、どんな非道な手段や犠牲も許される」と思っているのです。

そうなってしまった理由は、スターリンがヒトラーと戦い、これを負かしたからです。

スターリンとヒトラーは、どちらの方が性質の悪い悪党なのか?個人的には五十歩百歩だと思うのですが、戦争の勝者となった前者は徹底的に美化され、敗者となった後者は徹底的に貶められました。

ロシアが、今のような国になってしまったのは、こういった歴史解釈の歪みこそが原因の一つだと思います。歴史解釈というものは、単なる暇人の遊びではなく、後世の無数の人々の生活に甚大な影響を与えるのです。だから筆者は、みんなに正しい知見を抱いて欲しいから、『歴史ぱびりよん』を、こうやって頑張って書いているのです。