歴史ぱびりよん

花開くロシア文化

プーシキン像

 

19世紀のロシア帝国は、政治的には困難と混乱の連続でした。しかし、面白いことに、そのような社会だったからこそ、豊かな文化や芸術が花開いたのです。

『概説・日本史』の中で、「政治的大混乱期だった南北朝・室町時代こそが日本文化の黄金期だった」と指摘しましたが、ロシアでも似たような現象が起こったわけですね。

農奴解放によって、これまで僻遠の土地に縛られていた人々が都市に現れるようになり、都市生活者との文化ギャップからドラマが生まれます。また、近代化による貴族の没落と、科学の進歩や敗戦による宗教的権威の失墜、皇帝権力そのものへの失望、こういった激しい精神的な攪拌作用が、ロシア文化の発展をもたらすのでした。

まずは、ロシア文学について紹介しましょう。

アレクサンドル・プーシキン(1799~1837年)はロシア最高の文学者と言われています。『スペードの女王』、『大尉の娘』、『青銅の騎士』など多種多様な作品を生み出した彼は、表現の自由を弾圧しようとする皇帝ニコライ1世と政治的に対立し、あるいは愛する女性を巡る決闘によって最期を遂げるといった、ドラマチックな生きざまでも知られています。彼の凛々しい銅像は、ロシア国内のいたるところで目にすることが出来ますね。

フョードル・ドストエフスキー(1821~1881年)は、19世紀ロシアが抱えた、あらゆる政治的かつ宗教的葛藤をテーマにした重厚な作風で有名です。貧富格差問題をテーマにした『貧しい人々』のような作品が多いのですが、若者たちの間にはびこる過激革命思想をテーマにした『悪霊』は、その後のロシアの凄惨な歩みを予言しているようです。彼はまた、いわゆるミステリー小説の実質的な創始者であり、『カラマーゾフの兄弟』は、筆者が知る限り、犯罪者の隠された殺害動機をメインテーマにした史上初の心理ミステリーです。また『罪と罰』は、後に『刑事コロンボ』の原型にもなった、たぶん史上初の倒叙形式(犯人が最初から分かっている)のミステリーです。

『鼻』、『検察官』、『外套』などで知られるゴーゴリは、ペテルブルクの官僚世界をテーマにしたユーモラスな不条理劇の名手で、後のカフカにも繋がる一連の作風の先駆者です。

チェーホフは、ロシア社会において没落していく古い価値観の悲しみをテーマにした『ワーニャおじさん』や『三人姉妹』などを詩情豊かに描きました。

変わり種なのが、レフ・トルストイ(1828~1910年)です。彼は、自らが貴族でありながら、ロシア社会における貴族制度と農奴制の問題に死ぬまで苦しんだ人でした。ついには、こういった社会悪を正当化するロシア正教会と激しく対立して破門されてしまいます。そのため、彼の墓は存在せず、その遺骸は自宅の庭に埋められているのです。代表作の『戦争と平和』は、ナポレオン戦争をテーマにしているのにもかかわらず、「ロシアの真の主人公は農民であり、貴族や皇帝らはそれに乗っかるくだらない存在に過ぎない」などといった、物凄いことを訴えています。『イワンのばか』からも、「無知蒙昧なる平凡な農民の生きざまこそが尊い」という主張が全面に出ていて、後の社会主義へと繋がるロシア全体の思想的系譜を感じます。もっとも、『イワンのばか』が本当に訴えたかったテーマは、反戦平和や非暴力なのではないかと思うのですが、それは後の歴代政権には顧みられなかったようですね(苦笑)。

次に、ロシア音楽の話。

実はロシアでは、かなり長い間、音楽はロシア正教会の専売特許で、楽器の演奏なども聖職者にしか認められていませんでした。非聖職者に許されたのは、アカペラで歌を歌うことだけ。しかし、教会が奏でる音楽など、抹香臭い詰まらないものに決まっています。案の定、ロシア正教会は、ビザンツ帝国由来の典礼音楽ばかりやっていて、発展性が無かったのです。

この状況を打破したのは、やはり破格の天才ピョートル大帝でした。彼はもともと西欧びいきで、自らが西欧視察してご当地の音楽を経験したこともあり、教会を激しく𠮟って非聖職者も音楽を楽しめるように社会改革したのです。やがて、ドイツ出身のエカテリーナ女帝がこの流れに拍車をかけたため、ロシアでは西欧音楽が大ブームとなりました。

ロシア音楽が独自の大発展を遂げたのは、やはり19世紀です。伝統的なロシア民謡(17世紀までアカペラだったわけだが)のメロディを西欧音階に乗せることが主流となり、ムソルグスキーやリムスキー・コルサコフなど、「五人組」と呼ばれる大作曲家たちが大活躍したのです。

そして、彼らとは一線を画した破格の天才がピョートル・チャイコフスキー(1840~93年)でした。誰もが忘れ得ぬ印象的なメロディを次々に案出した彼は、音楽のあらゆるジャンルで歴史的な名曲を残しています。『序曲1812年』、『ピアノ協奏曲第1番』、『交響曲第6番・悲愴』などは、世界中の映画やドラマやCMなどで必ず使われていて、おそらく人類滅亡の日まで多くの人々を感動させる名曲群でしょう。筆者は、若いころにチャイコフスキーの音楽に嵌まり狂っていたので、こうして紹介出来て幸せです(笑)。

チャイコフスキーの音楽と言えば『三大バレエ組曲(白鳥の湖、くるみ割り人形、眠れる森の美女)』が非常に有名ですが、彼は、実はこの3曲しかバレエ音楽を書いていません。それでも、この3曲こそが世界のバレエ音楽の最高峰になっているところに、チャイコフスキーの真骨頂を感じます。さて、ロシアの音楽文化としてはバレエ芸術が印象的ですね。ただしこれは、西欧発祥のやや異端だった娯楽を、ロシアが国家レベルで大々的に受け入れて独自に大発展させたのです。ロシアのバレエは世界的に有名で、世界中から多くの若者が学びに来るし、ロシア人の子供たちもみんな憧れています。子供たちは、アイドルになるよりもバレリーナになりたいのです。この国でフィギュアスケートが盛んなのも、寒い国で氷が多いからというばかりではなく、くるくると回るバレエの影響が強いのかもしれません。

次に、ロシア料理の話。

ボルシチ、ビーフストロガノフ、ピロシキなどが日本でも有名ですが、サワークリームを用いた煮込み料理が主流です。キノコ料理も多種多様です。

ただし、サワークリームやキノコは、チェコ人やブルガリア人らも大好きなので、これはロシア人の嗜好というよりも、原始スラブ人以来の伝統なのかもしれません。

ロシア料理の場合は、熱心に文化交流をしていたフランスの影響ももちろん強いのですが、敵であったはずの中央アジアやトルコ料理の影響も顕著です。ロールキャベツや羊肉料理などが、まさにそうですね。

ボルシチに代表される腹ごたえのあるスープは、ウクライナ発祥で、そのルーツは同地の遊牧民の文化でしょう。そういえば、元遊牧民のハンガリー人も、グラーシュやハラースレーと言った、具がたっぷり入った腹に溜まるスープ料理が大好きですね。

ビーフストロガノフは、ロシア貴族のストロガノフ伯爵が発明した料理と言われています。牛肉を細かく切って食べやすくしただけという気もしますが、サワークリームに良く合いますね。ちなみに、ストロガノフ家の宮殿はサンクトペテルブルクに現存していて、文化センターとして使われています。

ピロシキは、東欧からロシア一帯に古くから存在する総菜パンのことですが、なぜかロシアのものが一番有名ですね。少し西のポーランドに行くと、あまりピロシキは食べられず、むしろ焼き餃子(ピエロギ)が愛好される傾向があるせいかな。もちろん、ロシアにも餃子(ペリメニ)はありますが、こちらは主に水餃子で、サワークリームに漬けて食べる料理です。

ロシア独特の清涼飲料に「クワス」があります。黒パンを発酵させて作る飲み物ですが、アルコール分はほとんどありません。さっぱりしていて、癖になる味ですね。

酒類は、ウオッカが好んで飲まれます。原料となるライ麦や白樺が、豊富な土地柄だからでしょう。ワインも、ジョージアなどのカフカス地方周辺で産出されます。ビールは、ドイツ文化の影響を強く受けたバルト海沿岸地方で醸造されていますが、ドイツやチェコのビールに比べると、残念ながら落ちますね。

以上、とりとめもなく、ロシア文化を紹介してみました。