歴史ぱびりよん

第十八話 諸葛孔明伝説


 

 

こうして、孔明の北伐は幕を閉じました。

天下三分の形勢は、小揺るぎもしませんでした。

残念ながら、孔明は、軍事英雄の器では無かったのです。

ただ、それはアレクサンダー大王やナポレオンといった歴史上の軍事英雄や、『演義』で描かれた虚構の姿と比較した場合の話であって、蜀の劣った国力を鑑みれば、かなりの健闘だったと思います。少なくとも、大きな敗北を喫しなかったわけですから。

孔明は、超一流の管理本部長だったし、たいへんな勉強家だったため、軍事の仕事についてもかなり熟達していたと思います。ただ、やはり勝負所の勘とか、奇策を用いるとか、そういったノウハウには大きく欠けるところがあったでしょう。

ところが、『演義』ではまったく逆の姿で登場しますね。どうしてかといえば、『演義』は大衆向けの娯楽小説で、しかも軍記物語ですから、「偉人=戦争名人」という書き方しか出来ないからです。みんなのヒーロー孔明は、戦争の天才でなければならなかったのです。

驚くべきことに、「孔明=戦争名人」というのは、現代の通説のようになっています。『演義』という小説の凄さを痛感させられますが、逆に怖さも感じます。例えるなら、多くの教養人が「ウルトラマン=実在の存在」と信じ込んでいるような状況だからです。これでは、本当に大切な歴史のノウハウが後世に伝わらないのではないかと危惧します。私は、ウルトラマンを否定するつもりはありませんが、ウルトラマンはあくまでも架空のヒーローとして尊ぶべきだと思うのです。

歴史上の孔明の本質は、『正史』諸葛亮伝の評の部分に、見事に描かれています。そこで、これを全文掲載しましょう。

 

 

「諸葛亮は丞相になると、民衆を慰撫し、踏むべき道を示し、官職を少なくし、時代にあった政策に従い、真心を開いて公正な政治を行なった。

忠義を尽くしたり国に利益を与えた者は、仇であっても必ず賞を与え、法律を犯し職務怠慢な者は、身内であっても必ず罰した。罪に服して反省の情を見せた者は、重罪人でも必ず赦してやったが、言い抜けをして誤魔化す者は、軽い罪でも必ず死刑にした。

あらゆる事柄に精通し、物事はその根源を糾し、建前と事実が一致するかどうかを調べ、嘘いつわりは歯牙にもかけなかった。

かくして、領内の人々は、みな彼を尊敬し愛したのである。

刑罰と政治は厳格だったのに恨むものが一人も出なかったのは、彼の心配りが公平で、賞罰が明確だったからである。

政治の本質を熟知している良才であり、管仲(春秋時代の名宰相)や蕭何(前漢の名宰相)といった名相の仲間というべきだろう。

しかし、毎年のように軍勢を動かしながら、よく成功をおさめることが出来なかったのは、思うに応変の機略が彼の得手ではなかったからであろうか」

 

 

諸葛孔明は、まさに人類の永遠の理想を体現した政治家だったと思います。今の日本に、いや世界に、孔明のような人が現れてくれないかなあ。

そう願うのは、きっと私だけではないはずだ・・・。