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映画評論

映画評論PART10

フューリー  Fury

 

制作:アメリカ

制作年度:2014年

監督:デヴィッド・エアー

 

(あらすじ)

 第二次大戦末期、アメリカ軍はドイツ本国への侵攻を開始した。

 その中に、シャーマン戦車「フューリー(怒り)」号の姿があった。

 

(解説)

 友人たちと「新宿ピカデリー」に観に行った。

 本物の動くティーガー戦車が撮影に使われていると聞いて、それだけで観る価値があると判断したのだったが、映画自体の出来はというと。

 びみょー。

 歴史を題材にした映画というものは、先の「イミテーション・ゲーム」の項で説明したように、リアリティと娯楽性のバランスの取り方の巧拙で、その価値が決定される。この「フューリー」は、娯楽性は高いものの、残念ながらリアリティの創出に大失敗しているのだ。

 とは言え、表面的な上っ面のリアリティは出ているから、おそらく、実際の歴史や当時の部隊戦術に関する予備知識を持たない人は、違和感を持たないことだろう。つまり、無知な人にとっては傑作だろうけど、知識がある人にとっては駄作。これは、そういう作品なのである。

 それでは、この映画のどこがおかしいのか?

 物語後半のあらすじは、次のようであった。

 「アメリカ軍の主力は、ドイツ奥地に突出しすぎたために、その後方ががら空きとなってしまった。そこにドイツ軍の精鋭が向かっているので、このままでは主力は背後を絶たれてしまうだろう。それを阻止するため、『フューリー』号を筆頭にした5台の戦車が後方要地を押さえて、ドイツ軍を迎え撃つ」。

 しかし、このような状況は有り得ないのである。

 第一に、映画後半の舞台となった戦争の最末期は、もはやドイツの敗北は時間の問題であり、アメリカ軍が後方をがら空きにするような無茶をしてまでして、焦って突進する必要はまったく無かった。

 第二に、アメリカ軍は非常に慎重な戦い方をするポリシーなので、そもそもそんな無茶な作戦を取るはずがない。

 第三に、その頃は、同盟国のソ連が東側からドイツ本国に攻め込んでいたのだが、連合国上層部の裏協定により、ソ連軍は米英軍よりも先に、ベルリンなどのドイツの重要地点を占領できる約束になっていた。そのため歴史上のアメリカ軍は、ドイツ国内に入った後は、ソ連に気を遣って、むしろ行軍速度を極端に落としていたはずなのだ。

 以上のことから、アメリカ軍主力が、敵地に急激に突出しすぎて危機に陥るような事態は有り得なかった。

 百歩譲って、仮にそういう事態があったとしても、わずか5台の戦車だけで要地を押さえに行くのは有り得ない。映画の前半でちゃんと描写されていたように、この頃は対戦車火器が大いに発達していたので、歩兵の援護が付かない戦車はあっという間に撃破されてしまうのが通例で、時間稼ぎにさえならない。そんなことは当時の常識だったのだから、わずか5台の戦車に単独行動させるような命令をアメリカ軍の上層部が下すはずはないし、兵士たちも素直に命令を聞くはずがない。

 ところが、映画ではこの愚策が強行されてしまい、案の定、出発した5台のうち4台のシャーマンがたちまち脱落してしまう。これでは、バカな上司が出したアホウな命令に従って、犬死にした兵士たちの悲劇の物語だ。

 実際の戦場では、特に慎重で人命尊重主義のアメリカ軍においては、ほとんど有り得ないことだけどね。

 そして物語のクライマックスでは、わずか1台になった「フューリー」が、地雷を踏んで擱座しながらも玉砕するまで奮戦する。観客はみんな、感動しただろうな。

 しかし、これも有り得ないのだ。

 だいたい、戦車長のウォーダディ(ブラット・ピット)が、「フューリー」を死に場所に定めた理由が謎である。エンコした戦車なんて、ただのオブジェであるから、戦略的にも戦術的にも何の価値も無い。だから、何のためにそこに籠城するのか訳が分からない。では、ウォーダディが戦車フェチの変態で、「フューリー」に対して歪んだ偏愛を抱いていたのかと言えば、劇中ではそのような説明や描写は無かった。そして、その無謀で無意味な玉砕命令に、素直に従う部下たちの心理も変である。

 もっとも、これが同時代の日本軍なら話は別だ。「天皇陛下から頂いたこの戦車のために死ぬのだ!」とか言い出す戦車長は実際にいたかもしれないし、部下たちも「横並び式」にそれに従うことは有ったかもしれない。なにしろ、旧日本軍は人間の命が兵器よりも安い軍隊だったし、日本人はみんな付和雷同の性質だし。

 だけどアメリカ軍、むしろアメリカ人とアメリカ文化には、そのような発想は無いだろう。よほど頭がおかしいのでない限り、エンコした戦車を捨てて、みんな逃げるはずだ。だいたい、戦争の勝利が確定的な状況下で、自分たちだけが無駄死にするほど損なことは無い。そんなことを望む兵隊の存在は有り得ないのだから、映画のリアリティが台無しである。

 これに対するドイツ軍の行動も変である。精鋭SS部隊という設定なのに、なぜか火砲をまったく持っていないし、平野を一列になって大声で歌を歌いながら歩いて来る。君たちは、ピクニックに来たボーイスカウトですかい?(笑)。そして、擱座した「フューリー」に小銃でワラワラと襲い掛かって返り討ちにされる。だって、小銃弾では戦車の装甲を破れないのだから、そうなって当たり前じゃん(笑)。

 こんなアホウなドイツ軍が相手なら、戦車5台を焦って繰り出すまでもなく、空からの戦闘機1機の機銃掃射で十分じゃないか?だいたい、こんな連中に後方の戦略要地を奪われたとしても、火砲を1門も持っていないみたいだし、何の脅威にもならないだろう。放っておけば良かったのだ。

 そもそも、こんなバカなSS部隊は、実際の歴史の中に存在しなかったと断言できる。実際のドイツ軍なら、平野の真ん中に擱座した1台の戦車なんか無視して、迂回して先に進んだことだろう。どうしても目障りだと思ったら、遠距離から火砲ないしパンツァーファウスト(対戦車ロケット弾)で、安全かつ確実に仕留めたことだろう。

 要するに映画製作者は、「フューリー」の行動がアホウ過ぎるので、そのバランスを取るために、ドイツ軍をそれ以上のアホウに描かざるを得なくなったわけだ。

 ・・・失敗演出の底なし沼ですな。

 以上、残念ながら「フューリー」の感動的(?)な奮戦と玉砕は、実際の歴史の中では、あるとあらゆる観点からして成り立たないのである。

 他にも、細かいことを言い出したらキリが無いくらいに穴だらけの作品なのだが(地雷原の中を両軍とも普通に走り回ったり、手榴弾で吹き飛ばされた死体が綺麗だったり)、おそらく歴史知識の無い人はまったく気づかないのだろうな。映画を観に来る人(特にアメリカの一般大衆)は無知なのが多いだろうから、商業的にはそれでも大丈夫なのだろう。

 私のような人にとっては、なんともストレスの溜まりまくる映画であった。

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