歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

世界史・日本史の隠れた巨人たちを鮮やかに蘇らせる!歴史小説家 三浦伸昭公式ホームページ

映画評論

映画評論PART10

日本のいちばん長い日

 

制作:日本

制作年度:1967年、2015年

監督:岡本喜八、原田眞人

 

(あらすじ)

 1945年8月の第二次大戦最末期。追い詰められた日本は、昭和天皇の聖断を仰いでポツダム宣言を受諾する。

 しかし、それに納得できない若手将校たちが、皇居を襲撃するのだった。

 

(解説)

 今回は、岡本喜八監督の1967年版と、そのリメイクである原田眞人監督の2015年版を対比する形で論考する。

 一長一短を論じたいところだが、実際のところ2015年版の完敗であった。どうしてそうなったのか?

 2015年版の最大の問題点は、「日本のいちばん長い日とは、すなわち日本国と日本人が滅亡寸前だった日である」という深刻な緊迫感が、画面から全く伝わらないことである。そこをちゃんと描かないものだから、大勢のオジサンたちが議論して若い兵隊が走り回っているだけの、軽くて薄っぺらな印象の映画になってしまった。

 なんでそんなことになったのか、理由を解説しよう。

 第一に、今の映画製作者は、戦争をまったく知らない世代である。その上、想像力が欠けた人たちであるため、あの戦争末期の危機的状況についてピンと来ていない。おそらく、太平洋戦争と東日本大震災の区別も付いていないのではないだろうか?それが証拠に、空襲も原爆も、まるで自然災害みたいな描き方だった。「今回の台風は凄かったですねえ」みたいな。だから、映画全体に緊張感が無いのである。

 第二に、2015年版は、エピソードの取捨選択の仕方を完全に間違えている。

 たとえば、タカ派の代表として東条英機がやたらに出て来るのだが、彼ばかりを前に出すものだから、「東条さえ黙らせれば、全ての問題が解決だ」みたいに思えちゃう。しかし、実際の当時の世相はそんなに甘く単純なものでは無かった。日本全体が、「狂った空気感」に覆われていたのであって、東条だってその空気に動かされる枝葉の存在に過ぎなかった。つまりこの映画では、東条ではなく、この「空気感」こそを描くべきだったのだ。

 この「空気感」と関連する論点だが、2015年版は、昭和天皇を前に出し過ぎである。あの当時の狂った空気の中心にいたのは、本人の意思いかんにかかわらず、昭和天皇その人であった。その核心部分を、軽々しく人間的に描きすぎたものだから、あの頃の異常な「空気感」を表現できなくなってしまったのだ。映画全体が軽くなってしまったのだ。

 また、阿南陸軍大臣の幸せな家庭のエピソードがやたらに出て来るのだが、これだと「日本中の家庭が、みんなこんな感じ」に見えてしまう。すなわち、市井の一般家庭の、あの夏における悲惨な状況がまったく観客に伝わらないのだ。だいたい、この話の流れだと、なんで家族思いの阿南大臣が最後に切腹しなければならないのか、まったく訳が分からない。物凄く、唐突で不自然な印象を受けた。

 岡本喜八監督の1967年版は、ちゃんと上記のことを分かっていた。

 だからこそ、東条を出す代わりに、狂気に浮かされたような特攻隊基地の様子を映したのだ。

 だからこそ、昭和天皇の顔を出す代わりに、その後姿と声だけを映したのだ。

 だからこそ、阿南大臣の家庭を出す代わりに、記録フィルムの中の市井の幼児の黒焦げ死体を映したのだ。

 こうして1967年版は、終戦間際の空気感の異常さと市井の悲惨さをリアルに描くことに成功し、だからこそ登場人物の行動を理解し共感できる作品になった。阿南大臣の最後の切腹も、納得のいく描き方になっていた。

 2015年版は、こういったオリジナルの演出上の核心について、まったく分析しておらず研究もしていない。だから、登場人物にもお話にも、まったく共感できないし理解もできない映画になったのだ。

 もしかすると、ここで反論する人がいるかもしれない。「だって、昭和天皇は実際にあんな感じの人柄だったんだよ」。「だって、阿南大臣は実際に家族思いだったんだよ」。でも、そういう問題ではないのだ。映画に限らず、物語の創作というものは、限られた時間の中で限られたメッセージを取捨選択して入れ込む高度な知的作業なのである。真実だからといって、何の計算もしないで好きなエピソードを適当に放り込んだら、全体がグチャグチャになってしまって、結局、何を語りたかったのか分からなくなってしまう。2015年版は、まさにそうなっていた。

 つまり、今の日本の映画製作者は、昔に比べると明らかに頭が悪くなってしまったのだ。

 俳優の技量も、残念ながら劣化している。役所広司は三船敏郎に及ばず、山崎務は笠智衆に及ばず、モッくんは松本幸四郎に及ばず、松坂桃李くんは黒沢年男に及ばず。

 もはや全滅状態である。

 それでも、無味無臭の「素うどん」をひたすら食べさせられるよりは、マシな映画だったとは思うけどね。少なくとも、映画館で「カネ返せ」とは思わなかった。

 なお、1967年版、2015年版とも、予備知識の無い観客には理解が難しい内容である。それゆえ、あらかじめ「歴史ぱびりよん」の論説コーナーにある「概説・太平洋戦争」で、終戦工作について予習して行くことを強くお勧めします。私の書いた終戦工作は、インターネットで読める文章の中では、最も分かりやすく纏まっているので。

ページ上部へ