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映画評論

映画評論 PART1

コーリャ愛のプラハ Kolya

制作;チェコ、イギリス

制作年度;1996年

監督;ヤン・スビエラーク

 

(1)あらすじ

 物語の舞台は、1989年のチェコスロバキア。

 かつて優秀なチェロ奏者だったフランチシェク・ロウカ(ズデニェク・スビエラーク)は、秘密警察に憎まれたため交響楽団を追われ、今では葬式で演奏したり墓石の修復をしたりして生計を立てている。彼は、50歳になるのに独身で、プラハ小地区の借家で気ままな一人暮らしだ。しかし、多額の借金が悩みの種でもある。

 そんな彼は、あるときロシア人亡命女性のナジェジュダとの偽装結婚を強行する。彼女にチェコ国籍を与える対価として、巨額の謝礼を頂いたのだった。しかし ナジェジュダは、5歳になる一粒種のコーリャ少年(アンドレイ・ハリモン)をプラハに残して、愛人の待つ西ドイツへ2度目の亡命をしてしまった。最初から、そのつもりだったのだ。

 ロウカは、ロシア人も子供も大嫌いだったのだが、身寄りのないコーリャ少年を引き取って共同生活をする羽目になる。最初は敵意を抱き喧嘩ばかりしていた二人だが、やがて互いの言葉を覚え、心を通わせ、本当の親子のようになって行く。

 やがて革命が起きて、チェコの社会主義政権は崩壊した。東西を隔てる壁が消滅したことにより、ドイツの母親がコーリャを迎えにプラハにやって来た。ロウカは、コーリャとの悲しい別れを乗り越えて、再び交響楽団の演台に立つのであった。

 

(2)解説

 1997年度のアカデミー外国語賞に輝く傑作である。

 初老の老人と幼い少年の友情というテーマは、映画の世界では比較的使い古されたもの。しかしこの映画は、チェコ人監督の演出によって、かなりユニークな印象を観客の心に与えるはずである。

 チェコ文化の特徴は「性悪説」である。チェコの物語は、人間の悪徳や愚かさを前提にする。そんな「悪」でも、優しさや愛を抱く瞬間がある。その瞬間の美しさを描写するのがチェコ流なのである。

 「コーリャ」でも、冒頭の30分で、延々と主人公ロウカの悪徳が紹介される。同僚の女性のスカートをめくろうとしたり、家賃を平気で滞納していたり、人妻をとっかえひっかえ家に招き寄せて享楽にふけり、そして母親に嘘をつきまくる。そして、借金に首が回らなくなったために、友人の紹介でカネ目当ての偽装結婚をする。

 しかし、こんな男が、ロシア人少年との交流によって少しずつ優しさを回復していく有り様が、観客の感動を呼ぶのである。これが、チェコの物語の特徴である。

 だが、せっかく親密になった二人なのに、冷戦構造の崩壊と「自由化」によって引き裂かれてしまうラストが切ない。自由化は、必ずしも絶対的な善を意味するものではないというメッセージであろうか。

 この映画は、歴史ファンの視点からも、冷戦末期のチェコスロバキアの様子が克明に描写されているので興味深い。政府や秘密警察は、必死に国威を高揚させたり人民を統御したがるものの、どことなく白けている。人民も、平気な顔でラジオで外国放送を聞いているし、「もうすぐ政府は倒れるらしいぞ」とか、「反政府活動に参加したいなあ」などと言い合っている有り様だ。

 なるほど、無血の「ビロード革命(1989年)」は、こういう土壌があるから可能だったのだな。革命下のヴァーツラフ広場で、ロウカと、かつて彼を尋問した秘密警察の役人が笑顔で会釈を交わす場面は、特に印象的である。

 こういった視点を抜きにしても、コーリャ少年の可愛らしさは出色である。私はこの映画をいろいろな友人に紹介したのだが、特に女性の友人から好意的な感想を頂くことが多いのは、女性はこの少年の可愛らしさに心を直撃されるからだろう。

 私は、本当に優れた映画とは「交響曲」のようなものだと考えている。すなわち、主旋律と従旋律がいくつも折り重なって一つの実体を形成するために、一本の映画の中で何通りもの楽しみ方が出来るのである。映画に限らず、小説もアニメであっても、創作というものは本来は常にこうあるべきだと私は思う 。

 「コーリャ」は、主人公の心の成長、少年の可愛らしさ、そして歴史の雄大なうねりを同時に堪能できることから、抜群の交響曲であり、出色の名画であると断言できるのである。

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