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映画評論

映画評論 PART1

アラビアのロレンス Lawrence of Arabia

制作;アメリカ

制作年度;1962年

監督;デヴィッド・リーン

 

(1)あらすじ

 舞台は、第一次大戦下のアラビア半島。アラブ人たちは、オスマントルコ帝国の臣民として服従を余儀なくされていた。

 アラブ人の不満を知ったイギリス軍の変わり者の連絡将校トーマス・E・ロレンス(ピーター・オトゥール)は、敵国トルコを弱めるため、アラブの諸部族を団結させて反乱を起こさせようと画策する。

 やがて、ファイサル王子(アレック・ギネス)率いるアラブの反乱軍を先導したロレンスは、アカバ港の攻略など次々に殊勲を打ち立て、母国の英雄となった。彼は、ファイサルや盟友アリー(オマー・シャリフ)とともに、戦後のアラブ独立国の樹立を夢見るようになる。

 しかしロレンスは、母国イギリスが、アラブの領土をフランスとの間に分割する秘密協定(サイクス=ピコ協定)を結んだことを知ってしまう。母国の利益とアラブの夢の間に板ばさみになった彼は、大いに悩み苦しむ。しかし、シリアの首都ダマスカス占領時に明らかとなったアラブ人酋長たちの無知蒙昧さと野蛮さに絶望し、そのまま母国へ帰還してしまうのであった。

 やがて、無名の退役将校となった彼は、オートバイ事故で命を落としてしまう。

 

(2)解説

 アカデミー賞に輝く歴史超大作である。

 壮麗な音楽と見事なまでの砂漠の遠景は、観客を大いに圧倒する。黄色い海を背景に、ラクダや馬にまたがったアラブ軍団が行進する姿は、いつまでも忘れがたい印象を残す。「これぞ、大作映画」といった感じである。映画は、こうでなくちゃと思わせる。

 しかし、演出や脚本には、歴史ファンの立場からは大いに疑問がある。

 まず、全体的に感じたのは、アラブ人に対する「差別意識」である。

 劇中に登場するアラブ人は、科学的知識をまったく持たない未開の野蛮人として描かれる。唯一の例外が、アラブの指導者であるファイサル王子だが、その彼でさえ、上空を舞うトルコ軍の飛行機に向かって刀を振り上げて切りかかろうとするシーンがある。

 また、アラブの騎兵隊が突撃をかけるシーンは、必ず「あわわわわわ」と甲高い奇声を伴うのだが、これはまるでアメリカインディアンと混同しているとしか思えない。

 そしてアラブ人は、占領地域では略奪することしか考えない。

 映画の最後のほうで、ロレンスはトルコから奪い取ったダマスカスの街において、アラブ人の臨時政府を主宰しようとする。しかし、参集したアラブの酋長たちは、互いに罵りあうばかりで具体的な統治をまったく行おうとしないため、街の火災は一向に鎮火できないし、略奪や暴行も止む気配を見せない。そこでロレンスは、全てを諦めて母国へ帰ってしまうのである。この物語の流れだと、アラブが独立国を持てなかった理由は、彼ら自身の愚かさと後進性のためだと思えてくる。

 しかし、これは歴史的には間違いである。実際のアラブ人は、もっと賢かったはずである。また、史実のロレンスは一介の連絡将校だったのだから、彼自身が軍隊を率いたはずはない。アラブ騎馬軍団を勝利に導いた戦略戦術は、すべてファイサル王子の才能の賜物であったはずである。

 それなのに、第一次大戦後、アラブが独立国を持てなかった本当の理由は、イギリスやフランスといった帝国主義列強のエゴのためである。彼らは、石油などの利権目当てに、アラブ人の居住地域を情け容赦なく奪い取ったというのが歴史の真相なのである。アラブの後進性とは、まったく関係ない。

 つまり、『アラビアのロレンス』というのは、はっきり言わせて貰えば、白人優位主義に凝り固まった人種差別映画なのである。ファイサルを演じたのが、イギリス人俳優のアレック・ギネスであることが、その象徴である。

 しかし、こういった歴史の歪曲、そしてイスラム教徒や有色人種に対する人種差別は、現在のアメリカにも色濃く残る深刻な病根である。彼らの夜郎自大な傲慢さこそが、アフガニスタンやイラクに住む罪のない人々を苦境のどん底に叩き込んだのだ。

 そう考えながらこの映画を観ると、様々な感興を味わえるのである。

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