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映画評論

映画評論 PART1

スパイゾルゲ

制作;日本

制作年度;2003年

監督;篠田正浩

 

 ひどい映画でした。

 これほど詰まらない映画を観たのは、本当に久しぶり。

 もっとも、私が日本映画を観て満足を感じたのは、ここ10年くらいありませんね。標準レベルの満足を感じたのは、『踊る大捜査線』の1作目くらいだったかな。『たそがれ清兵衛』も『半落ち』も『リング』も、何が面白いんだか全く分からなかったです。客観的に見て、日本映画はレベル低すぎ!

 そんな中でも、篠田正浩監督の引退作品(?)と言われる『スパイゾルゲ』は、酷評するに足りるだけの超絶的駄作だったので、ここで採り上げます。この映画の評論をすることによって、最近の日本映画が詰まらない理由の一端に迫りたいと考えています。

 さて、この映画の主人公は、実在のスパイであったリヒャルト・ゾルゲ博士(イアン・グレン)です。彼はドイツの特派員という肩書きで東京に赴任するのですが、その正体はソ連の息がかかった「国際的共産主義者」でした。彼は、日本やドイツのファシズムを打倒することが全世界の平和に繋がると考えて、カネだけでなく自らのポリシーでソ連のためにスパイ活動をするのです。

 ゾルゲの活躍のうち、歴史を変える決め手となったのは、独ソ戦争(1941年6月~)において日本が中立を保ち、逆にアメリカやイギリスに攻撃をしかけるだろうことを探知した点です。この情報を得たスターリンは、極東の兵力を引き抜いてモスクワ前面に迫ったドイツ軍を食い止め、そして戦局を逆転させることに成功したのでした。

 しかし、やがてゾルゲは日本の特高警察に逮捕され、終戦間際に処刑されてしまいます。そして彼が信じたソ連も、その信頼に値するだけの正義の国ではなかったのでした。

 テーマ的には、非常に面白いですね。私が、過去に数知れないくらい何度も何度も日本映画に騙されたにもかかわらず、わざわざ映画館に足を運んだのは、まさにそのためでした。

 この映画の売りの一つは、CGで昔の上海や東京の町並みを再現していること。確かに綺麗ではあったけど、一瞬しか映らないし、しょせんはCGだから立体感が無くて薄っぺらでした。がっ かりだ。

 それ以上に問題を感じたのは、ストーリーの焦点がまったく定まらずにボケている点です。つまり、いったい何を語りたいのかが見えてこないのです。226事件の全貌や近衛文麿(榎木孝明)内閣の成立の過程や農村の疲弊ぶりが丁寧に語られるのですが、別に、そんなのゾルゲの活動には関係ないじゃん。篠田監督は、主人公であるはずのゾルゲを狂言回しに据えて、昭和の日本を書きたかっただけなのでしょうか。実際問題、ゾルゲが世界史に成し遂げた重要な仕事については、おざなりな説明と簡単な演出でスルーされていました。そのため、彼の活躍の重要さが、まったく観客に伝わらないのです。

 ゾルゲの本質は「国際的共産主義者」です。世界を共産主義の理想で包むことによって、完全平和を達成するのが彼の生涯の理想だったのです。だからこそ、彼は命がけでスパイ活動をしたのです。この考えが夢想に過ぎなかったことは、現在に住む我々は良く知っています。しかし、あの狂気の時代に「世界の完全平和」という壮大な夢を描いて活躍したゾルゲは、もっとそのヒーロー性を強調されて良いと思うのです。しかし、この映画では、ゾルゲのそういう側面についてほとんど語られません。通り一遍の説明があるだけなので、予備知識のない観客には何のことだか理解できないでしょう。

 また、キャスティングも悪い。ゾルゲの盟友であった尾崎秀実は「国際的共産主義者」の一人でした。彼は、思想を共有する同志として、ゾルゲに協力したのです。しかし、尾崎を演じた本木雅弘からは、そういった思想性がまったく感じられません。モッくんがバカっぽいとか、そういうことを言いたいわけじゃなく、彼からは「思想かぶれのインテリゲンチャー」の持つ独特の臭いがまったくしないのです。だからこそ、「国際的共産主義」の大義に説得力を持たせることが出来ず、ゾルゲ一派が単なる昭和の「狂言回し」としか見えなくなってしまう。

 言語の問題も気になりました。この映画では、日本人以外の人物は、みな「英語」だけを話します。ゾルゲも常に英語を使います。演じたイアン・グレンが、イギリス人だからでしょうか?しかし、実際のゾルゲはドイツ語とロシア語の使い手だったはずなのです。歴史上のゾルゲは、全世界を視野に入れた国際的な人物だったのだから、数ヶ国語を流暢に話す場面をぜひとも設定するべきでした。そうじゃないと、この人物の国際的な理想を上手に表現できないことになります。せめて、ドイツ人俳優にゾルゲを演じさせるべきでした。

 また、ドイツの大使館員同士、それにソ連のスターリンと側近も、劇中で英会話をしていましたが、これもとても奇妙に感じました。篠田監督は、どうしてドイツ語やロシア語を用いようとしなかったのでしょうか?

 以上のことから分かるのは、篠田監督が、ゾルゲという国際的な人物を主人公に据えたにもかかわらず、その理想にまったく共鳴しておらず理解もしていないという点です。篠田監督は、残念ながら「国際人」ではないのです。あくまでも、島国に精神世界を拘束された「日本人」に過ぎないのです。そのような人物が、国際的な映画を撮ろうとしたこと自体が間違いだったのです。日本語以外の言語を、すべて「英語」に統一してしまったことからも、彼の国際的な視野の狭さが窺えます。

 映画のテンポも非常に悪かった。焦点の定まらない退屈な話がダラダラと続くので、2時間もしないうちに欠伸が出てきます。周囲の観客の反応を窺うと、みんなそうでした。居眠りを始めたり生あくびを始めたり。

 ただでさえ退屈なのに、余計なシーンも多かったですね。近衛文麿が自殺する場面を延々と描く必要がどこにあるのか?ゾルゲが処刑される場面や、戦後にその遺骨が発掘される場面とか、本当に必要だったでしょうか?しかも、その場面の BGMがジョン・レノンの「イマジン」だったりする。ゾルゲの「完全平和」の理想について、それまでまったく語ろうとしなかったくせに、死んだ後になって世界平和の歌を流すとは、なんという出鱈目さでしょうか?ビートルズファンの立場からも、本当に腹が立ちました。

  映画というものは、良質の交響曲でなければなりません。主旋律と従旋律が交互に折り重なって深みを持っていなければなりません。しかし、最近の日本映画はそれがまったく出来ていません。たとえるなら、シンセサイザーを単音で鳴らしているようなものなのです。

 どうしてなんでしょうね?

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