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映画評論

映画評論 PART2

存在の耐えられない軽さ The Unbearable Lightness Of Being

制作;アメリカ

制作年度;1988年

監督;フィリップ・カウフマン

 

(1)あらすじ

  舞台は、1968年のチェコスロバキア。

 プラハの病院に勤務する優秀な脳外科医トマーシュ(ダニエル・デイ・ルイス)は、享楽主義のプレイボーイである。彼の最も親しい愛人は、画家のサビナ(レナ・オリン)だ 。

 しかし、地方の温泉町に出張に出かけたトマーシュは、そこでトルストイの著作を愛するウエイトレスのテレザ(ジュリエット・ビノシュ)と出会う。惹かれあった二人は、やがてプラハで同棲を始め、ついには結婚する。それでもトマーシュは、サビナら過去の愛人との関係を清算できず、ズルズルと浮気を続けるのであった。

 この当時のチェコスロバキアは、社会主義体制であるにもかかわらず「プラハの春」という民主化運動に覆われていた。トマーシュも、社会主義を非難する言説を雑誌に投稿した。しかし8月、ソ連軍を中核としたワルシャワ条約機構軍50万がチェコに侵攻を始め、民主化運動を容赦なく叩き潰すのだった。

 ソ連占領軍の横暴に失望したサビナは、スイスに亡命する。トマーシュとテレザ夫婦も、その後を追う。しかし、夫が亡命先でもサビナとの爛れた関係を続けるのを見たテレザは、悲しみのあまり単身プラハに引き返してしまった。「人生は、あたしにとっては重過ぎるのに、あなたにとっては存在が耐えられないほど軽いのね」との置手紙を残して。

 トマーシュは、結局、妻を追ってプラハに戻った。しかし、社会主義を非難する言説の撤回を拒否したことから、当局の圧力で病院を追われ清掃夫に転落してしまった。テレザも、家計を支えるために場末のバーで働くが、秘密警察に付きまとわれる。

 これが、ソ連介入後に凶悪な社会主義政権が推し進めた「正常化」の実態なのだった。

 ノイローゼになった妻を守るため、トマーシュはかつて彼が命を救った患者の縁で、地方の農村に転居して農夫となった。しかし、夫婦はパーティーの帰り道、自動車事故で最期を迎えるのであった。

 この悲しい知らせを、サビナは亡命先のアメリカで受ける。

 

(2)解説

 原作は、チェコスロバキアが生んだ偉大な文学者ミラン・クンデラの同名の小説である。チェコ文学の特徴として性愛描写は露骨で過激、映画でも女優たちのヌードが乱舞していた。しかし、逆説的ではあるが、私の知る限り、これは世界最高の「純愛文学」であり「純愛映画」なのである。

 私が、原作で不覚にも涙した場面は2つ。夫婦の愛犬カレーニンが老衰で死に至る場面と、夫婦が事故に遭う直前に踊る最後のスローダンスの場面だ。「僕が君を愛していることが、どうして分からないの?」というトマーシュの言葉を読んだ瞬間、涙が止まらなくなった。映画でも、これらのシーンがきちんと表現されていて見事だった。カウフマン監督は「良く分かっているなあ」と感じた。

 アメリカ資本による映画だから、物語の舞台がチェコであるにもかかわらず、登場人物がみんな英語を喋るのだが、まあこれくらいは許してあげよう。同じ国の中で、みんなが英語を喋るのであれば、異文化に対する侮辱に繋がらないと思うからである。

 俳優たちの演技も、実に見事だった。ダニエル・デイ・ルイスは、軽薄なドンファンでありながら優秀な脳外科医であり、そして愛妻家でもあるという複雑なトマーシュの内面を見事に演じきった。ジュリエット・ビノシュも、純真なテレザの魅力を余すところ無く表現した。サビナ役のレナ・オリンも、原作の知的で男勝りなイメージを上手に捉えていたと思う。

 ビノシュとオリンは、最近になって『ショコラ』という映画で共演を果たした。しかし、二人ともすっかりオバサンになってしまって、往年の色香が無くなっていたのが悲しい。ダニエル・デイも、『ギャング・オブ・ニューヨーク』で久しぶりに見たが、演じたのがつまらない悪役だったので、彼の優れた技量が発揮できていなかったように思う。

 歴史ファン兼チェコファンの立場からも、この映画は実際の記録フィルムを用いて「プラハの春」の崩壊と「チェコ事件」の悲惨さを克明に描いていたので価値がある。そして、その後の「正常化」の恐ろしさも肌身に感じることが出来る。

 ぜひ、原作と映画の両方に触れることをお勧めしたい。

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