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映画評論

映画評論 PART2

グラディエーター GLADIATOR

制作;アメリカ

制作年度;2001年

監督;リドリー・スコット

 

(1)あらすじ

 舞台は紀元2世紀のローマ帝国。ドナウ防衛線では、マルコマンニ族とローマ軍団の死闘が続けられていた。

 戦場に立つ老いた皇帝マルクス・アウレリウス(リチャード・ハリス)は、自らの後継者として高潔な戦場の名将マキシムス(ラッセル・クロウ)を指名しようとする。しかし、それを知ったマルクスの子コモドゥス(ホアキン・フェニックス)は、父を暗殺すると同時にマキシムスに謀反の罪を着せて処刑しようとした。命からがら脱出したマキシムスは、故郷で妻子が皆殺しにされているのを知って復讐を誓う。スペインに移った彼は、そこで剣闘士に身をやつし、時節の到来を待った。

 やがて、ローマに国中の剣闘士が集められ、大競技会が開催されることとなった。ローマ皇帝となったコモドゥスは、その暗愚さが元老院に嫌われたため、帝位を保つために民衆の歓心を必要としていた。その手段として、莫大な国費を費やす大競技会を開催したのである。

 競技場に立った剣闘士マキシムスは、卓越した技量で名声を獲得していった。その正体に気づいた皇帝は、彼を亡き者にしようと画策するが、マキシムスの強さの前にどうしてもうまく行かない。

 やがて、皇帝を憎む元老院がマキシムスと手を握ろうとする。皇帝の姉も、密かに旧知の彼を支援する。

 ついに追い詰められた皇帝は、自らが剣闘士となってマキシムスに挑む。マキシムスは、私怨のためではなく、みんなのために最後の決闘に臨むのであった。

 

(2)解説

 2001年のアカデミー賞受賞作。

 私は、リドリー・スコット監督のファンである。『エイリアン』と『ブレードランナー』でその独特の様式美に魅了され、それ以来注目し続けている。

 この監督は、美術家出身のためか映像の様式美に非常にこだわる人なのだが、それ以上にストーリーを重視するから偉い。原作付きの場合は原作を、歴史物の場合は歴史を最大限にリスペクトするのである。だから、私のような歴史マニアでも、安心して彼の映画を観ることが出来るのだ。

 最後の五賢帝マルクス・アウレリウスが前線で病死した後、その暗愚な子コモドゥスが後を承継したことについては、歴史家の間で物議がある。場所が戦場に近く情報統制が利きやすいだけに、なんらかの陰謀が疑われると言うのだ。塩野七生氏は、名著『ローマ人の物語』の中で「陰謀説」に対して丁寧に反証しているが、スコット監督はこの「陰謀説」を巧みに利用して、剣闘士が活躍する冒険ロマンに深みと厚みを与えたのだ。

 しかも、この映画では、ローマ帝国における皇帝と市民と元老院の微妙な力関係や駆け引きの様子が、史実通りに組み上げられていて、歴史ファンの立場からは本当に素晴らしいと思った。

 俳優について言えば、マキシムスを演じたラッセル・クロウは見事だが、それ以上にコモドゥスを演じたホアキン・フェニックスが良かった。父に愛されない息子の悲哀、日増しに深まり行く権力者の孤独を、実に繊細に、しかし力強く演じていたと思う。

 難点を言えば、猛獣との剣闘シーンでのCG合成の使い方は今一つだった。CGの欠点は、本質的にアニメと同じ原理であるため、質感や立体感が保てないことだ。CG技術の発展は、確かに派手なアクションを可能にしたかもしれないが、使いどころが難しいと思う。そういう意味で、デジタル技術の進歩によって往年の名作史劇(『ベン・ハー』など)を真似ることは出来ても、越えることは難しいだろう。

 また、主人公マキシムスを「善人」に描きすぎているのが、物足りないといえば言える。彼は、勇猛無比な名将であるにもかかわらず、無欲恬淡で、いつも妻子や田園のことばかり考える優しい男という設定になっていた。なんか、嘘っぽい。もうちょっとピカレスクな感じで、欠点もある人物として描いたほうが、せっかく歴史背景が緻密に描けているのだから、むしろ主人公の魅力が引き立ったのではないかと思われる。

 ハリウッド映画を観ていていつも思うことは、「人間の描き方が甘い」という点である。「この程度の演出でアカデミー賞をもらえるのか!」と、いつも疑問を感じてしまう。

 それでも、最近の日本映画よりは随分とマシなのだが。

 

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