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映画評論

映画評論 PART2

プライベートライアン Saving Private Ryan

制作;アメリカ

制作年度;1998年

監督;スティーブン・スピルバーグ

 

(1)あらすじ

 1944年6月、米英連合軍は、ドイツ占領下のフランスに上陸作戦を敢行した。世に名高いノルマンディー上陸作戦である。アメリカ軍レンジャー部隊のミラー大尉(トム・ハンクス)は、オマハ・ビーチの凄惨な死闘を乗り越えてフランスの大地に立った。

 そのとき、アイオワ州のライアン一家から出征した兄弟4人のうち、3人までが戦死してしまったとの知らせが入った。しかも、最後に残った4人目、ジェームズ・ライアン二等兵は、ここノルマンディー戦線で落下傘部隊として敵中深くに降下したというのだ。

 祖国で待つ母親のために、この二等兵を死なせるわけにはいかない。そう判断した軍の上層部は、ミラー大尉のレンジャー部隊8名にライアンの捜索を命じた。一人の命を救うために8人の命を危険にさらすという理不尽な任務に不満を抱きつつも、ミラーたちはフランスの奥地へと進む。

 多くの犠牲を払いつつ、ようやくライアン(マット・デイモン)との邂逅に成功したミラーたちだったが、そこへドイツの戦車部隊が猛攻撃を仕掛けて来た。ミラーたちは、ライアンを守るべく必死の奮闘を繰り広げるのだった。

 

(2)解説

 原題は「ライアン二等兵の救出」。

 これは、実話を基にした戦争映画である。アメリカは志願兵制度を採用しているから、一家の男子全員が同時に出征してしまうことが常に有り得る。そこでアメリカ軍では、一家の血筋が絶えないように、兄弟を別々の部隊に所属させることで、兄弟が一挙に全滅することだけは避ける方針を採っていた。たまたま、ライアン一家は兄弟4人のうち3人まで戦死したから、最後の一人を救出しようというのが、この映画の基本ストーリーである。

 私は、アメリカ社会の抱える本質的な矛盾をここに感じた。自由の国と言いながら、他国に対しては好戦的。そして、国民に戦争への参加を奨励しておきながら、中途半端な形で恩情を振りかざすのである。

 私はこの映画に、こういったアメリカ社会の根本的矛盾に対する批判を求めたのだが、それについては、まったく書き込まれていなかった。いちおうはミラーの部下が、押し付けられた任務に対して毒づいたり反抗する場面があるが、兵士たちの口を通して語られるのは、むしろ類型的で陳腐な反戦談話だ。その談話がストーリーとの整合性に少々欠ける内容だったため、かえって違和感を覚え、説得力にも欠けていたように感じた。反戦映画としては、駄作の部類であろうか。

 もっとも、スピルバーグ監督が反戦映画を撮ったつもりかどうかも汲み取れなかったのだが。

 ただ、カメラワークやフィルムの使い方は、意識的に昔の記録映像を真似ることで、高い臨場感とリアリティを創出することに成功していた。その点は非常に高く評価できる。

 ところで、この映画は「R指定」になったことで話題を呼んだ。冒頭30分の戦闘シーンが残酷だったからだ。兵士の腕はもげ内臓は飛び散り脳漿がぶちまけられる。オマハ・ビーチの戦闘は、確かにすごい迫力だった。水中を機関銃弾が走る場面などは、久しぶりに深いオリジナリティを感じた。

 ラストの戦闘シーンも、当時の部隊戦術や部隊行動を忠実に再現していたし、タイガーⅠ戦車も本物っぽく見えて、素直に「凄いな」と思った。

 ドイツ人はちゃんとドイツ語を、フランス人はちゃんとフランス語を話していたし(笑)。

 しかし、物語自体からは「反戦」の主張が来ないので、何のために戦闘シーンをリアルで残酷にしたのか、良く分からなかった。映像のリアリティが、物語と遊離して勝手に一人歩きしている感じであった。

 以前から思うのだが、スピルバーグ監督の能力は市場で過大評価されているように思う。彼は、平気で穴だらけのストーリーを作るし、人間描写は常に薄っぺらだ。どうして、彼の作品があんなに巷間で持てはやされるのか理解に苦しむ。

 冒頭のシーンが、そもそも駄目である。老いた退役軍人が登場し、彼の回想シーンという形で物語が始まる。しかし、この老人の回想がオマハ・ビーチの死闘から始まったのは間違いであろう。なぜなら、後に明らかにされる老人の正体は、ジェームズ・ライアンだからである。ライアンは空挺部隊の兵士で、空からフランスに降下しているのだから、オマハの戦いを経験していたはずはない。それなのに、ライアンの回想としてオマハを描くのは明らかに間違っている。おそらくスピルバーグは、最初のうちは、老人の正体がミラーなのだと観客に思い込ませていたかったのだろうが、この撮り方は邪道に他ならない。

 登場人物の個性の描き方も、全体的に中途半端だった。もしかすると、戦場のリアリティを重視した結果そうなったのかもしれないが、これは「物語」なのだから、それなりの書き方をしなければ駄目だと思う。

 一例を出せば、物語の重要なアイコンであるはずのライアン二等兵が、まったく無個性な「平凡な青年」に描かれていたのが詰まらなかった。あるいは、敢えてそう描くことでミラーの任務の虚しさを観客に訴えたかったのかもしれないが、もう少し「何か」を表現しなければ、物語そのものが起承転結に欠けることになる。実際、後半の物語部分がすごく退屈になったので、ドイツ戦車部隊を登場させて派手な戦闘シーンで誤魔化すしか、映画を生かす手段が無くなってしまっていた。

 どうせなら、ライアンを「どうしようもない駄目人間」に描くか、あるいは「物凄い優秀な人間だったのだが、ラストで戦死(または事故死)する」ことにした方が、戦争の虚しさが良く表現できて物語が締まったのではないかと思う。もっとも、そんな救いの無い物語が、アメリカの大衆社会で歓迎されるかどうかは微妙であるが。

 スピルバーグの映画の最大の弱点が、そこにある。彼は結局、「商業的な成功」を最優先する思考様式から抜け出せないのだ。彼はすでに億万長者なんだろうから、そろそろ純粋な芸術を志して冒険しても良い時期だと思う。せっかく豊かな才能を持っているのに、残念なことだと思う。

 そういうわけで、『プライベートライアン』は、映像のリアリティだけは凄かったけど、物語自体は空虚だと感じた。観終わった後で心にまったく何も残らなかったし、ストーリーそのものを忘れてしまった。

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