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映画評論

映画評論 PART3

戦争と平和 第一部 アンドレイ・ボルコンスキー ВОЙНА И МИР Ⅰ 

制作;ソ連

制作年度;1965年

監督;セルゲイ・ボンダルチュク

 

  (1)全編の解説

 ロシアが生んだ文豪レフ・トルストイの傑作の完全映画化である。

 「戦争と平和」は、ハリウッドでもキング・ビダー監督、オードリー・ヘプバーン主演でで映画化されたことがある。当時のハリウッドは、歴史系の大作映画を濫造する傾向があり「戦争と平和」も、その一環として制作された娯楽映画であった。長大な原作をコンパクトに纏め、スター俳優を上手に使ってはいたが、肝心の「トルストイのメッセージ」が抜け落ちていたため、結果的に紙芝居のような映画になってしまっている。

  これを見て激怒したのが、政治的にアメリカと対立していたソ連であった。ソ連は、トルストイのメッセージ、すなわち「ロシアの魂」をフィルムに注入すべく、膨大な国費と歳月をかけて大作映画を作り上げたのである。

  当時のソ連は、まさに人類史上最強の全体主義国家であった。あのアメリカが50年にわたって指一本指せなかったことからもそれが分かる。しかも社会主義体制であったため、採算性とか商業性を完全に無視し、文化 、思想、芸術といった諸要素に完全に特化できる環境にあった。これらの前提があって、初めてトルストイの完全映画化が可能となったのである。

  「戦争と平和」に限らず、1950~60年代のソ連には傑作映画が多い。映画制作を商業主義から切り離し、芸術性に特化しようという壮大な実験が、そこにあったからである。このような創作環境は、アメリカ型のグローバリズム(すなわち商業主義)を金科玉条とする現代社会では決して有り得ない。そういう意味で60年代のソ連映画、中でも「戦争と平和」は 、人類史上屈指の偉大な作品であると言えるだろう。

 

  (2)あらすじ

 舞台は、1805年のペテルスブルク(現サンクトペテルスブルク)。

  権勢家ベズーホフ伯爵の私生児ピエール(セルゲイ・ボンダルチュク。監督兼主役だ)が、遊学先の外国から帰って来た。彼は、旧友のアンドレイ公爵(ヴェチェスラフ・チーホノフ)やモスクワのロストフ伯爵一家に暖かく迎えられる。ピエールは、鈍重で多感な性質ゆえに様々な失敗もやらかして周囲から誤解も受けるけれど、まっすぐな心を持った高潔な人物だった。

  真面目なピエールは、己の人生の目的を見つけることが出来ずに悩んでいた。そんな親友と身重の妻を置いて、アンドレイはオーストリアへと出征する。

 この当時、ナポレオン皇帝を抱くフランスは、ヨーロッパ全土に戦火を広げていた。ロシア帝国は、オーストリア帝国とともにナポレオンを迎え撃とうとしていたのである。

 その間、ベズーホフ伯爵の病死によって莫大な遺産の相続人となったピエールは、権謀に巻き込まれていた。野心家の貴族によって愛していない女と結婚させられた彼は、妻の不貞を疑ってノイローゼになり、妻の不倫相手と思い込んだ遊び仲間のドーロホフに決闘を申し込み、そして彼に重症を負わせてしまうのだった。

  一方、ロストフ家の闊達な長男ニコライは、軽騎兵としてオーストリアに進駐。デニーソフら戦友たちとの友情を深めて一人前の男になっていく。 ニコライと同じ戦場で、総司令部付きの副官として働くアンドレイは、自分もナポレオンのような戦場の英雄になろうと考えて作戦に口を出したり戦略を立案するものの、官僚的な周囲によってかえって煙たがられてしまうのだった。

 ついにアウステルリッツの会戦が始まった。しかし、ナポレオンの圧倒的な戦術の前に、ロシア・オーストリア連合軍は壊滅的な大敗を喫する。重症を負って捕虜となったアンドレイは、ナポレオンの器の小ささを悟って失望し、さらには戦争という行為そのものに絶望した。

  やがて釈放された彼は、故郷に戻って不仲となっていた妻との愛情を取り戻そうとするが、そんな彼の前で、妻は難産で死んでしまった。人生そのものに絶望するアンドレイ。

  アンドレイの元を訪れたピエールは、自分以上の絶望に沈む親友の姿に心を痛め必死に慰める。一緒に、人生の明るい面を見ながら頑張って生きて行こうじゃないか、と。「幸福になるためには、幸福の可能性を信じなければなりません!」

 ピエールに励まされて元気を取り戻したアンドレイは、やがてロストフ家の闊達な少女ナターシャ(リュドミラ・サベーリエワ)との交流によって、再び人生への希望を取り戻すのであった。

 

 (3)第一部の解説

 トルストイの長大な原作も4部構成である。

 映画版の第一部は、原作のうちの第一部の全部と第二部の冒頭部分を、140分に纏めている。

  「ロード・オブ・ザ・リング旅の仲間たち」や「スターウォーズ・エピソード1」もそうだったが、長大なサガの最初の一作目は、背景説明や登場人物紹介に膨大な時間を取られるため、冗長で退屈になる傾向が強い。

 案の定、「戦争と平和」の第一作も長くて退屈である。

  画面は、妙に暗くて重い(これは、もしかして技術的な問題か?)。しかも、人物紹介の演出が驚くほど手薄なので、途中で誰が誰だか分からなくなる。俳優の演技も重苦しくて活気がない。原作の名セリフ(その多くは、人物の独白)は忠実に再現されているが、モノトーンの背景の中で語られるので、見ていて眠くなる。

 戦闘シーンは派手だが、全体の戦況が語られないので、何がどうなっているのか分からなくなる。 また、物語の終盤で、これまで絶望に沈んでいたはずのピエールが、急に前向きで元気になっているのがやや不自然に感じられる。

 トルストイの原作では、ピエールはドーロホフとの決闘の直後にフリーメーソンの長老に教えられ 、信仰に目覚めて元気になったのだ。ところが、映画ではその説明が完全にオミットされていた。これは、尺の都合で仕方ないのだろうが、トルストイの原作があまりにも緻密に計算されて書かれているので、こういう箇所がいくつもあると物語が不自然になってしまうのである。

 つまり第一部は、トルストイの原作を読んでいないと理解出来ない部分が多い上に、芸術的な演出技法が裏目に出てしまい、しばしば眠くなる作品なのである。しかも、舌足らずである。

 しかし、第一部は、いわば後続の作品の「引き立て役」なのである。そういう意味では、すっぱりと割り切った勇敢な作品だと言うことも可能だろう。

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