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映画評論

映画評論 PART3

あの子を探して 一個都不能少

制作;中国

制作年度;2000年

監督;張芸謀(チャン・イーモウ)

 

(あらすじ)

 河北省の山岳地帯。発展に取り残された小さな村は、過疎化に悩まされていた。

 この村のただ一人の小学校教師カオ先生が、病気の母親の看病のために1ヶ月の里帰りをすることになった。彼が代理教員として村長に推薦したのは、隣村に住む13歳の少女ミンジ(ウェイ・ミンジ)であった。

 村長は最初は渋るが、他に選択肢が無いことからミンジを雇うことにする。ただし俸給は後払いで、しかも学校の生徒数(全部で28名)が減らないことが条件であった。村長は、都市化の進展によって過疎化が進む村の現状に頭を痛めていたのだ。

 こうしてミンジの奮闘が始まった。13歳の彼女には教育への情熱などなく、俸給のことしか頭にない。しかも、生徒数の減少を恐れる彼女は、授業そっちのけで生徒の頭数ばかりを気にする始末だ。それでも、年の近い小学生たちとミンジの間には、いつしか奇妙な信頼と友情が芽生えていく。

 そんな中、クラスの悪戯坊主のチャン(チャン・ホエクー)が、病気の母親を養うために都市に出稼ぎに行ってしまった。生徒数の減少には我慢できないミンジは、生徒たちにカンパさせて旅費を稼ぐと、 チャンを迎えにバスに乗って都市へと向かった。

 薄汚く貧しい村に比べて、都市はいかに華やかなことか。着飾った人々と、溢れるほどの食料品に埋め尽くされている。ミンジはチャンの出稼ぎ先を訪れたのだが、迷子になって消息不明だと聞かされた。今や俸給のためではなく、チャンを心配する純粋な気持ちでミンジは街を訪ね歩く。最後は、テレビ局の前に座り込みをして局長に認められ、テレビ報道の力を借りてチャンとの再会に成功するのだった。

 こうして、テレビ局の車に乗せられて仲良く村へと帰るミンジとチャン。しかし、その横にはテレビレポーターが付いて回り、「感動の美談」を演出するのであった。

 

(解説)

 渋谷文化村ル・シネマで見て、涙が止まらないくらいに感動した。

 冒頭から、いかにも「貧乏」を絵に描いたような村が登場する。そこに住む人たちも、貧乏が染み付いたような田舎風の人ばかり。イーモウ監督は、この雰囲気を出すために、プロの俳優ではなく実際の寒村に住む人々をスカウトして来たのだという。

 主役のミンジをはじめ、子供たちもスカウトによって集められた素人だ。特にミンジは、どこの畑から採って来たんだ?と思わず笑ってしまうほどの田舎顔で鈍くさいのが良い。イーモウ監督は、「初恋の来た道」で章子怡(チャン・ツイイー)を発掘したほどの人なのだから、美少女を抜擢するセンスに優れているはずなのだが、この映画では敢えてリアル志向に徹したのは立派である。

 物語は、ドキュメンタリータッチで淡々と進むのだが、脚本が上手なお陰でテンポや歯切れがとても良く、心温まるユーモアも溢れている。ミンジは基本的には金のことしか考えていない少女だが、それが却って「人間的」に感じられて不愉快に映らないのは、彼女がいかにも貧しそうな不美人だからだろう。

 これが一転して、舞台が都会に移ると、映画の雰囲気がガラリと変わる。都会は物資に溢れ、着飾った人が溢れ、だけどみんな忙しそうにしていて不親切だ。物価水準がまったく違うので、村で集めてきた金は一日で底を尽いてしまう。この過酷な都会を、途方にくれながらさまようミンジとチャンの姿は、見ていて胸が苦しくなるほどだ。彼らは、最後にはテレビ局によって救われるのだが、テレビ局は純粋な親切心というより、番組のネタにするために彼らに接近して恩を売ったように見える。こういった姿は、最初から金のために正直に行動するミンジよりも、遥かに嫌らしく映るのだ。

 イーモウ監督の真意は明快である。彼は、都会と田舎との異常な経済格差を描くことにより、昨今の中国の下品な金満社会ぶりを婉曲に非難したのである。この映画が、共産党政権の要人たちから強く批判されたのは、むしろ当然であろう。

 しかし、今の日本も似たような問題にさらされつつある。金のために優しい心を無くしているのも、格差が激しくなっているのも、中国の専売特許ではない。それなのに、どうして日本ではこのような映画が作られないのだろうか?

 我が国の文化人の知的水準の低さを思うと、実に情けない気分になる。

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