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映画評論

映画評論 PART3

鬼が来た 鬼子來了

制作;中国

制作年度;2000年

監督;姜文(チアン・ウェン)

 

(あらすじ)

 1945年の旧正月前夜、大河に面した華北の貧しい村・掛甲台は、日本軍の占領下にあった。村はずれには大きなトーチカが立ち、そこに駐屯する小規模の海軍陸戦隊が毎朝 、巡察を行っていた。

 そんなある夜、平凡な村人・馬大三(マー・ターサン)(姜文。監督兼主演だ)の家を、「我」と名乗る謎の男が訪れる。彼は、マーに銃を突きつけると、5日後の夜まで2つの大きな麻袋を預るよう強要した。その麻袋に入っていたのは、人間であった。一つ目の麻袋には日本兵捕虜・花屋小三郎(香川照之)が、二つ目の麻袋には中国人通訳のトン ・ハンチェン(袁丁)が 、それぞれ縛られて入っていたのだ。「我」は、マーに二人を尋問しておくよう命じ、「逆らったら村人全員を皆殺しにするぞ」と言い捨てて、夜の闇の中に消えて行った。

 困ったマーは、ウー長老をはじめとする主だった村人に善後策を相談する。その結果、村の安全のために、「我」の言いつけどおりに捕虜と通訳をしばらく預り、尋問を行うことになった。

 『戦陣訓』の教えによって、捕虜となったことを恥じる花屋は、わざと村人を怒らせて自分を処刑させようとする。しかし、通訳のトンは巻き添えになることを恐れて、花屋の言葉を正反対の意味に変えて村人に伝えるのだった。

 約束の5日間が過ぎたのに、「我」は現れなかった。困ったマーたちは、最寄の八路軍(毛沢東指揮下の共産軍)に連絡を取るが、そこの指揮官は知らぬ存ぜぬであった。仕方ないので二人を処刑しようと考えたものの、善良なマーと村人たちは、どうしても殺人を犯すことが出来ない。そこで、隣町の殺し屋に殺しを代行してもらおうと考えるのだが、これも失敗に終わる。

 そうこうするうちに、半年の歳月が流れた。命が惜しくなった花屋は、飯を食わせて養ってくれる村人への感謝の情が芽生えたこともあって、自らの身柄を日本軍に返せば莫大な謝礼がもらえると提案した。 占領下の窮乏生活を送っていた村人は、激論の末、花屋の提案を受諾。こうして花屋とトンは、マーたちに連れられて日本軍の基地に帰った。

 しかし、花屋を待っていたのは、同胞たちによる集団リンチだった。日本軍は、捕虜となった者を徹底的に侮辱する軍隊なのだった。しかし隊長の酒塚(澤田謙也)は、村人たちが謝礼を求めていると聞いて、ある興味を抱いた。村人を引見した酒塚は、莫大な穀物を6台の荷車に載せ、花屋と部隊を率いて村へと向かったのである。

 大喜びで日本軍を迎えた村人は、総出で歓迎会を開く。互いに、親しく楽しく杯と音楽を交わす幸せな時間。しかし酒塚は、村人が八路軍の一味なのではないかと疑っていた。そして宴半ばで惨劇が起きる。酒塚は村人に「我」の正体を吐かせようとし、その意図に失敗したと見るや、日本兵は狂乱状態となって村人を皆殺しにしたのであった。

 マーは、身重の恋人を連れに隣村に出かけていて無事だったのだが、大河上の船の上から赤々と燃え上がる村を見て愕然とする。

 やがて終戦の日が来た。酒塚や花屋ら日本軍はみな捕虜となり、通訳トンは「漢奸」として同胞に処刑された。マーは手斧を持って復讐のために捕虜収容所に押し入り、酒塚と花屋を追い回すものの、後一歩のところでMPに逮捕されてしまう。

 そしてマーは、治安を乱した罪で、トンと同様に同胞の手によって処刑される。その執行人となってマーの首を切り落としたのは、皮肉なことに花屋なのであった。

 

(解説)

 友人に勧められて、新宿武蔵野館に見に行った。

 これほどまでに完璧な「不条理劇」を映画館で見たのは初めてだった。

 心から感銘を受けた。

 最初の不条理は、「我」の正体と意図が不明である点である。おそらくは八路軍のゲリラ戦士なのだろうが、彼が平凡な村人のマーに捕虜(花屋)と通訳を預けて尋問させようとした意図が分からない。また、約束の刻限が過ぎて回収に現れなかった理由も分からない。そもそも、劇中では「我」の顔すら見えないのである。

 劇中で、村人が接触を図った八路軍は、「我」のことも花屋のことも知らなかった。しかし、これはそれほど不思議なことではない。良く訓練されたゲリラ組織というものは、情報漏えいを恐れて、必要以上の情報共有化を避けるからである。

 いずれにせよ、マーと村人はこの不条理を素直に受け入れざるを得ない。日本軍は恐ろしいけれど、八路軍に逆らったら後でどのような報復を受けるか分からないからである。この当時の中国人民が、四方八方を悪意に取り囲まれ、いかに過酷な境遇にあったのかが良く分かるのだ。

 劇中の村人たちは、建前では中華民国の国民でありながら、日本軍と八路軍の両方に媚を売り笑顔を作りつつ、それでも「良き中国人」であろうと努力している。「自分たちは売国奴ではない」と言い続ける。これも、なかなか不条理である。

 捕虜となりながら死を望み続ける花屋も、その言葉を正反対の意味に翻訳し続けるトンの立場も不条理である。花屋は、百姓の三男坊の出身のくせに、自分を「武士」だと言い続けるのだが、 実際の武士がどういうものか良く分かっていない。トンは、高等教育を受けて語学に堪能なために、このような理不尽な境遇に陥ったことをひたすら嘆く。これも不条理である。

 日本軍は、生還した花屋を殴打で迎える。これも不条理である。そして酒塚は、同胞を六ヶ月も養ってくれた村人たちを皆殺しにする。しかも彼は、このとき既に終戦の事実を知っていて、その上で敢えて「日本人の誇りのため」にこの暴挙を行ったのだ。不条理である。

 そして通訳トンは、同胞である中国人に裁かれて「裏切り者」として処刑される。マーは、同胞の復讐を果たすために収容所の日本人を殺し、そのために同胞に裁かれて殺されることになる。二人とも笑顔を浮かべて死ぬのだが、この笑顔は「不条理からの解放」を喜ぶ笑顔に違いない。

 以上、不条理劇としての優れた特徴を書いたが、歴史マニアの立場からも、非常に優れた日中戦争映画だと言うことが出来る。大戦中の雰囲気を、本当に上手に掴んでいると感じた。

 また、中国人と日本人との気質や文化の違いも良く描けていた。特に、大虐殺の場面で、村人に恩を感じているはずの花屋が村人を次々に斬り殺す場面。温厚で子供好きな海軍の野々村大尉が、酒塚に強いられて、彼を慕う幼い子供を殺す場面には鬼気迫るものを感じた。日本人は横並び式で、自分たちの「和」のためなら 、どんな悪行も平気で行える民族である。実際の日中戦争での虐殺行為も、みんなこんな調子(その根底にあるのは、異民族や異文化に対する排他的な恐怖)だったのだと思うと興味深い。

 BGMも、良く考えられていた。中国北部の物語でありながら、冒頭から日本軍の海軍マーチが鳴り響くのだが、大虐殺の場面でもこの曲が効果的に使われていて印象深かった。

 演出上で「上手だな」と感じたのは、言語摩擦の問題である。最初のうちは、花屋と村人の噛み合わない会話やトンの嘘の翻訳で大いに笑わせてくれるのだが、これが次第に不気味な軋みとなって行く。最後の大虐殺の根底にあるのは、言語摩擦に基づく意思疎通の失敗や誤解である。

 異文化交流や異文化摩擦の問題について、本当に深く考えさせられる良い映画だと思った。

 これは、万人に推薦できる必見の映画である。

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