歴史小説家 三浦伸昭の歴史ぱびりよん

世界史・日本史の隠れた巨人たちを鮮やかに蘇らせる!歴史小説家 三浦伸昭公式ホームページ

映画評論

映画評論 PART4

ククーシュカ  ラップランドの妖精 Kukushka

制作; ロシア

 制作年度; 2002年

監督; アレクサンドル・ロゴシュキン

 

(1)あらすじ

  第二次大戦下のラップランド(フィンランド北部)は、フィンランド軍(=ナチスドイツの同盟軍)とソ連軍との戦場と化していた。

  フィンランド軍の若き狙撃兵(=ククーシュカ)ヴェイッコ(ヴィル・ハーパサロ)は、平和主義者であったため、敵前逃亡を試みて味方から処罰されることになった。彼は、ドイツ軍の軍服を着せられ、鉄鎖で最前線の大岩に拘束される。フィンランド軍は、敵であるソ連軍の手で逃亡兵を処刑させようとしたのだ。しかし、忍耐強いヴェイッコは、伊達めがねと狙撃銃の弾薬と日光を利用して岩を砕き、鉄鎖を引きずりながらも脱出に成功するのだった。

  同じころソ連軍の前線では、仲間から裏切りを告発されたイワン兵卒(ヴィクトル・ヴィチコフ)が、軍法会議のためにジープで後送されていた。しかし、友軍機の誤爆によってジープは大破。かろうじて生き延びたイワンは、付近に住むサーミ族の女性アンニ(クリスチーナ・ユーソ)に救われる。

  アンニは、戦場に送られた夫の帰りを待ちながら、大河のほとりでたった一人、サーミ族の原始的な暮らしを送っている女性だった。やがて彼女の家にヴェイッコも迷い込み、互いの言葉がまったく分からない3人の奇妙な生活が始まった。

  3人は、互いのカルチャーギャップに戸惑い、しばしば憎しみをぶつけ合う。イワンは、ヴェイッコをファシストのドイツ人だと思い込み、しかも、彼がアンニと良い仲になったことから嫉妬がらみの殺意も抱く。しかしヴェイッコは、若者ゆえの楽天主義ゆえ、イワンの悪意に気づくこともなく、マイペースに生活を築いていく。

  そんな二人を精神的に抱擁するのは、アンニの深い母性であった。

  戦争が終わり、やがて心からの和解をしたヴェイッコとイワンは、互いの友情を称えながらアンニの家を去る。

  歳月が流れ、アンニは二人の金髪の息子たちに、彼らの「2人の」父親の思い出話をするのだった。

 

(2)解説

  DVDを買って見た。

  噂にたがわず、ものすごく奇妙な後味を残す寓話作品である。

  「反戦映画」と紹介されることが多いようだが、私はもっと深いメッセージを感じた。この映画は、戦争どころか、我々の「文明そのもの」を批判し否定している作品なのである。

  まず、「言語」が否定される。

  通常の異文化交流ものの映画では、言語や文化のコミュニケーションギャップが克服される過程が感動を呼ぶ。 『コーリャ愛のプラハ』も『少女ヘジャル』も『ダンス・ウイズ・ウルヴス』もそうであった。

  ところが、『ククーシュカ』の3人の登場人物は、最後までお互いの言葉が分からないのである。驚いたことに、彼らは互いの言葉を学ぼうとすらしない。だから、最後まで3人の会話は噛みあわないままである。噛みあわない会話と噛みあわない行動がが延々と1時間半続く映画は、おそらく史上空前絶後であろう。

  いちおう、各人の文化ギャップも語られる。ヴェイッコはフィンランド人だけに即席のサウナを造って入浴し、イワンはロシア人だけにキノコを採って料理を作る。しかし、サーミ族のアンニは「体を清潔にするのは、かえって黴菌が入りやすくなる」としてサウナを否定し、「キノコは毒だ」と考えてイワンの料理を否定し、挙句の果てにはイワンに下剤を飲ませたりするのである。しかし、互いの言葉が通じないものだから、お互いの行動の意味がまったく理解できず誤解の連続となる。

  それでも、なんとか生活出来てしまうのである。

  次に、「名前」が否定される。

  登場人物の中で、ちゃんと本名で出て来るのはヴェイッコだけである。しかし彼は、イワンからは「ファシスト」と呼ばれ続ける。彼自身はファシストどころかドイツ人ですら無いというのに。

  イワンは、名前を聞かれたときに「糞食らえ(パショールティ)」と応えたため、ヴェイッコもアンニも彼の名前をショルティだと思い込んで、作中でずっとその名で呼ぶ。

  また、アンニというのも本名ではない。サーミ族は、名前を他人に知られると悪霊に憑かれやすくなると考えて、仮の名を他者に告げる習慣がある。これは、日本や中国にも似たような習慣(忌み名とか)があるので興味深い。やはり、フィンランド人の先祖は、東洋から来たのであろうか。

  ともあれ、言葉の通じない3人は、互いの名前も出鱈目に呼び合っていたというわけである。それでも、生活が出来てしまうのだ。

  次に、「恋愛」や「結婚」が否定される。

  アンニは夫の帰りを長い間待っていたために欲求不満である。イワンを救出したのも、単なる人助けではなく、そういう目的があったのだ。彼に加えて、若くて活きの良いヴェイッコもやって来た。彼女は結局、ヴェイッコと同衾してイワンを嫉妬で悩ませるのだが、最終的にはイワンとも同衾する。ラストに出てくる2人の子供は、結局、どちらの子なのか分からないのである。

  最後に、「科学」が否定される。

  ラスト近く、ヴェイッコはイワンとの争いで瀕死の重傷を負う。後悔して絶望するイワンを尻目に、アンニは「太鼓の音と山犬の鳴き真似の力」で、すなわち「まじない」の力で若者の命を救おうとする。そして、見事にそれに成功してしまうのである!

  以上、我々が「当然」とか「常識」とか思っている出来事が次々に否定されていく快感は、なかなか他では味わえない。

  アレクサンドル・ロゴシュキン監督、恐るべし!!

  そういえば、タルコフスキーもソクーロフも、ファーストネームはアレクサンドルだ。ロシア人のアレクサンドルさんには、天才映画監督のDNAが流れているのであろうか?

ページ上部へ