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映画評論

映画評論 PART6

戦火のナージャ The Exodus burnt by the sun 2

制作;ロシア

制作年度;2010年

監督;ニキタ・ミハルコフ

 

(1)あらすじ

 英語版タイトルから分かる通り、「太陽に灼かれて」の16年ぶり(!)の続編である。スタッフもキャストも昔のままであるから、前作のファンはそれだけで映画館に見に行かざるを得ないだろう。

 1943年の独ソ戦争の最中、アーセンティエフ大佐(オレグ・メンシコフ)は突然、スターリンに呼び出される。彼に与えられた極秘任務は、死刑執行直前に収容所から逃げ出したコトフ大佐(ニキタ・ミハルコフ)を見つけ出すことだった。

 一方、コトフの妻子は、アーセンティエフ大佐ことディミトリに匿われて、名前を変えて密かに生きていた。幼いころに引き離された父を忘れられないナージャ(ナージャ・ミハルコフ)は、ディミトリの言葉の端から父の生存に気付き、従軍看護婦として働きながら父を捜索する。

 そのコトフは、懲罰部隊の一兵卒として独ソ戦争の最前線で戦っていた。妻子が処刑されたと思い込み人生に絶望した彼は、死地を求めて各地の戦場を転々とする。

 ディミトリ、ナージャ、そしてコトフの3者が、それぞれの思惑で彷徨する過酷な戦場では、地獄のような悲惨な情景が待ち受けているのだった。

 

(2)解説

 東京では、「シネスイッチ銀座」と「新宿武蔵野館」でしか上映しなかった。大手映画館は何を考えているんだ(以下同文)と言いたいところだけど、この映画に限っては仕方ないのかな。

 何しろ、「東日本大震災」直後の上映である。こんな暗くて重い話を、いったい誰が見たがるっていうんだ?実際、私は公開初日に銀座に見に行ったのだが、映画館はガラガラだった。

 予告編の後、ニキタ・ミハルコフ監督が画面に登場し、日本人に対して同情と励ましの言葉を投げてくれた。だけど「日本人は他人の不幸を自分のことのように思いやる優しさがあるのだから、この映画も気に入ってくれるはず」って、本当かなあ?  ストーリーの組み立て方もかなり無茶で、前作「太陽に灼かれて」を知らない観客を完全に排除する内容になっていた。つまり、前作を見ていないと話が良く分からないのである。その前作って、なにしろ16年前でしょ?苦しいよね。

 それどころか、「戦火のナージャ」は完結編ではないのである。この続編があるのである。そういうわけで、この映画のラストシーンは非常に唐突だった。伏線の回収とか、いっさい無いし。

 ミハルコフ監督は、明らかに商業的成功を度外視しているのだが、それには理由があると思う。この監督は、実はプーチン首相(前大統領っていうか、ロシアの影の帝王)の友人で、ロシア映画界の ドンなのだ。だから、今さら商業的成功を求めて映画を作る必要が無いのである。

 そういうわけで、映画は無茶苦茶に贅沢で、異常なまでにカネをかけている。まるで、1950年代の栄光の時代のソ連映画を見ているようだ。また、芸術的な映像技巧は、まさに最盛期の黒澤映画を見ているようだ。それどころか、最新機材の力を借りて、過去の映画の中では見たことが無いような新鮮なエピソードや映像表現がどんどん出て来る。

 妙に人間的で下品なドイツ軍兵士たち。機雷に掴まって漂流しながら僧侶から洗礼を受けるナージャ。ドイツ戦車のキャタピラに肉片とともに絡まる家の鍵。雪の中に横たわり眠るように死んでいく若い兵士。「殺さないで」と哀願しつつ静かに踊るジプシーの少女。「死ぬ前に女性の乳を見たい」と哀願しつつ息絶える戦車兵。などなど。挙げて行ったらキリが無いほどの贅沢な映画表現の凄みがある。

 思えば、最近のハリウッド映画や日本映画は、過去の成功経験だけを基にして、どれも似たような内容の軽い映画しか作れなくなってしまった。ほんの少しでもいいから「戦火のナージャ」を見習ってほしい。いや、映画関係者はみんな、この映画を見て原点に返ってもらいたい。もっとも、カネが無いから無理なのか?そう考えるなら、「戦火のナージャ」の凄さからは、近年の「ロシア経済の成功」こそを読み取るべきなのかもしれない。

 それにしても、ナージャちゃんは22歳になってしまった (映画では10代の役だが)。6歳のころのあの可愛らしさは、いったいどこに行ってしまったんだろう。その反面、巨乳になったのは喜ばしいことである。ロリコンとしての私は、深く悲しみ傷ついている。その反面、巨乳マニアとしての私は大いに喜んでいる。非常に複雑な引き裂かれた思いを胸に、私は映画館を後にしたのであった(苦笑)。

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