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映画評論

映画評論 PART6

マチュカ~僕らと革命~ Machuka

制作;チリ、スペイン、イギリス、フランス

制作年度;2004年

監督;アンドレアス・ウッド

 

(1)あらすじ

 1973年のチリ。

 首都サンチャゴに住む11歳のゴンサロ・インファンテ(マティアス・ケール)は、裕福な家庭で育った成績優秀な少年だけど、苛められっ子である。そんな彼の学校に、貧民窟に住む先住民の少年たちが入学して来た。社会主義政権の新方針で、貧しい子供たちに無料で教育を受けさせることになったのだ。ゴンサロは、そんな少年の一人ペドロ・マチュカ(アリエル・マテルーナ)と友人になる。

  ゴンサロとマチュカは、互いの生活格差を乗り越えて友情を深めていく。ゴンサロはやがて、貧民窟の少女シルバナ(マヌエラ・マルテリイ)に淡い恋心さえ抱くのだ。

  社会主義政権の同化政策は、貧富格差や人種差別を乗り越えてチリ国民みんなを幸福にすると期待されていた。しかし、長い歳月をかけて形成された差別意識や生活格差は一朝一夕には払拭できず、大人たちの軋轢は、次第に子供たちの心も蝕んでいく。

  そして運命の9月11日、クーデターを起こしたピノチェト将軍は社会主義政権を転覆させ、チリ全土を過酷な軍政下に置いた。学校は銃を持った兵士たちの管理下に置かれ、校長は追放された。そして貧民窟の人々は、「共産主義者」と呼ばれて強制収容所に入れられることになった。

 抵抗したシルバナは射殺され、貧民と間違えられて兵士に連行されそうになったゴンサロは、愛する人の死体の前で「僕はこの人たちとは関係ない!」と絶叫する。そんな友人の姿を、マチュカは絶望の涙を流して見送るのだった。

 

(2)解説

 DVDで見た。

 これって、おそらく日本の映画館では上映されていないと思う。仮にされたとしても、ミニシアターでの単館上映だったに違いない。なにしろ「チリ革命」がテーマなので、日本人には受け入れられないからだ。まあ、その通りだね。舞台背景を知らない人には、意味不明な箇所が多かったし。

  だけど、こういう映画は本当に勉強になる。私は見ている間中、目からウロコが落ちっぱなしだった。そういうわけで、語りたいことが非常に多いので、この解説は長くなります。覚悟して読んでください。

  「ぜんぶ、フィデルのせい」の項でいくらか説明したが、チリではサルバドール・アジェンデ大統領に率いられた社会主義政権が、1970年、合法的な普通選挙の結果発足した。

 アジェンデは、キューバのカストロやチェ・ゲバラの友人でもあったので、その政策はキューバ型社会主義に非常に近いものとなった。具体的には、チリ国内の人種差別や貧富格差を完全に消滅させようとしたのである。 貧民窟で差別を受けていた先住民出身のマチュカ少年たちは、こうして名門の聖パトリック校に入学することになった。しかし、これまで全く異なる生活を送り、異なる教育を受けて来た者たちが、急に名門校に同化できるはずもなく、むしろ多くの軋轢が生まれることになった。

  主人公ゴンサロは、白人で裕福な名門のお坊ちゃんだが、その生活には秘密があった。彼には父親はおらず、母の手一つで育てられている。その母は、複数の男性と肉体関係を持ち、その見返りにお金や食料を手に入れているのである。つまり、一種の売春婦だったのだ。しかもこの母親は、息子を愛人の家にいちいち連れて行くのである。どうやら本人は、これを子育ての一環で愛情表現だと考えているから救われない。さすがに、行為の最中は別室で待たせておくのだが、これは11歳の少年にとっては精神的拷問に他ならない。そんなバカ母の影響なのか、ゴンサロの姉は、まだ16歳なのに酒とタバコと男に狂っている。

  ゴンサロの家庭は、いわば「資本主義の悪い面の縮図」なのである。こんな環境に育ったゴンサロだからこそ、貧民窟に住みながら明るく屈託のないマチュカやシルバナに惹かれていったのだし、アジェンデ大統領の社会主義政策に子供ながら共感していたのだ。

  ヒロイン(?)のシルバナは、ゴンサロやマチュカよりも数歳年長の少女である。彼女は先住民(インディオ)と白人の混血の容貌をしているのだが、美少女と呼べるかどうかは微妙である。だけど、姉御肌で不良っぽいところが凄く魅力的だし、私がゴンサロの立場だったら間違いなく惚れると思う。

 3人の子供たちが、河原でコンデンスミルクを口移しで飲ませ合うシーンの妙なエロさは秀逸である。シルバナが、口元を滴る白いミルクを舌で舐め取るシーンは、ある意味「一般公開映画で子供に演じさせられる究極のエロ表現」なのではなかろうか?このシーンだけでも、「見て良かった!勉強になる!」と叫んでしまいたくなる。

  マチュカは、前2者に比べると平凡な少年である。ただ、足を引きずってヒョコヒョコと歩く姿がとても印象的だ。これを演技や演出でやっているのだとしたら、本当に凄い。「チリの下層民は、貧しくてあんまり栄養を摂れず、怪我も病気も治りにくいので体が歪んでしまう」という状況がセリフ抜きにリアルに表現されるからである。

 さて、大人の中で最も印象的な人物は、聖パトリック校の校長マッケンロー神父である。この人はカトリックの神父だというのに、社会主義政権を熱狂的に支持して、その政策や思想を学校に浸透させようと努力する。そのため、右翼的な父兄から「コミュニスト」と罵られたりする。

 そもそも、教会の聖職者が「社会主義の手先」になる状況は、ソ連東欧では有り得ないのである。同時代のソ連東欧モンゴルでは、聖職者はむしろ「思想の敵」と看做されて、殺されたり強制収容所に送られるのが普通だった。

 どうしてチリは、いや中南米世界ではそうじゃないかと言えば、中南米の社会主義思想の根底にあるのは、「マルクス=レーニン主義」ではなくて、キリスト教の一派「イエズス会」の教義だからである。

 「イエズス会」は、日本でもフランシスコ・ザビエルで有名だが、「イエスの思想の原点に立ち返り、愛と清貧と平等を広めるべきだ」と主張するカトリックの一派だ。実は、キューバ革命もチリ革命も、最近のヴェネズエラやボリビアやブラジルの社会主義政権も、みんなこの思想に立脚している。だからこれらの国々の社会主義は、ソ連東欧圏のそれとは雰囲気が随分と違うし、同じカトリック国であるフランス文化とも親和性が高いのだ(「ぜんぶ、フィデルのせい」参照)。だからこそ、教会の神父が社会主義政権の先兵になることが有り得るのだ。

  一般的な日本人は、宗教とイデオロギーを切り離して考える傾向が強いけど、そのようなアプローチは間違っている。日本以外の全ての国では、宗教とイデオロギーは密接な関係を持っている。民主主義や資本主義や軍国主義だって、土着の宗教と繋がっているからこそ、その地域の民衆を広く深く惹きつけることが出来るのだ。そして中南米世界では、信仰熱心な人ほど社会主義に引きつけられる傾向があるようだ。

 「マチュカ」のマッケンロー神父の活躍は、そのことを明確に表している。そして、子供たちは皆、この献身的な神父を心から敬愛しているのだった。

 ピノチュト将軍のクーデターの後、マッケンロー神父は失脚する。彼は、学校の教会で捧げもののパンを全て食べて燈明を消し、沈痛な表情で「もはや、ここに神はいない」と呟く。彼にとっては、「社会主義こそが神の正義」だったのだ。ソ連東欧系の左翼知識人は、きっとこのシーンを見たら仰天することだろう。

 この後、会堂に集まっていた子供たちが「さようならマッケンロー先生」と口々に言う場面は、涙なしには見られない。神父はこれから恐らく刑務所に入れられて、もしかすると殺されてしまうからだ。この立派な神父には、実在のモデルがいるらしい。

 それに続いて、ピノチェトの軍隊が貧民窟を襲う場面は、激怒無しに見ることは出来ない。

 シルバナの父親は、社会主義勢力に手旗を売っていたために兵士たちから寄ってたかって軍靴で蹴られ銃架で殴られるのだが、彼は「共産主義者」だったわけじゃなくて、生活のために仕方なくそうしていたのである。そんな父を助けようと兵士にむしゃぶりついたシルバナを、兵士は容赦なく射殺してしまう。この場面で激怒しない奴は、もはや人間じゃないね。俺は、テレビ画面(DVDで見ているから)に向かって物を投げつけそうになることしきりである。自分のテレビが壊れるだけだから、実際にはやらないけどね(笑)。

  ところで1970年代の日本では、「自称知識人」は皆、温厚な徳人アジェンデをバカにして、残忍非道な暴君ピノチェトを褒めていた。これは間違いなく、アメリカ発の偏向報道に騙された結果であろう。なぜなら、ピノチェトにアジェンデを殺させたのは、他ならぬアメリカだからである。

 アメリカ合衆国は、「社会主義を奉ずる民主政権よりは、資本主義を奉ずる軍国政権の方がマシだ」という価値判断をする国なので、しばしば世界中でこういうことが起きる。だいたい、今まさに混乱しているエジプトやシリアだって、アメリカの差し金によって長期独裁政権が維持されていた部分が大きいのである。今回の革命騒ぎを見て「民主主義の勝利だ」などと喜んでいるアメリカ人は、自分の態度が政府のそれと矛盾していることに気付いてもいない。

  アメリカ合衆国は、自分の利益のためならば、外国人を平気で殺し独裁者を甘やかすような国である。その結果、当該国の民衆が貧困化しても不幸になっても、まったく同情しないのである。アメリカが仕立てた軍国主義のピノチェト政権によって、どれだけ多くの罪のないチリ人が殺されたことか。

  だからこそチリでは、「カストロから寄贈された銃を撃ちながら戦死した」アジェンデ大統領こそが「祖国の英雄」なのである。この映画を見れば、そのことが良く分かる。(もっとも、アジェンデ政権の悪い面や無茶だった面もちゃんと公平に描いているところは立派である)。

 日本の「自称知識人」は、映画「マチュカ」を見て、過去にピノチェトを賛美したことを深く反省し、チリ人に謝罪するべきである。そして日本人は皆、アメリカ発の邪悪なプロパガンダに盲従することを慎むべきである。

  近年、中南米では、社会主義的な色彩の強い反米国家が続々と誕生している。我々は、そうなった理由や事情について、もっと深く正確に知るべきだと思う。

 映画「マチュカ」は、そのためのテキストになることだろう。

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