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映画評論

映画評論 PART8

セデック・バレ 賽徳克・巴萊

制作;台湾

制作年度;2011年

監督;魏徳聖(ウェイ・ダーション)

 

(1)あらすじ

 物語の舞台は、「日清戦争」(1895年)の結果、日本の領土となった台湾。

  この島の先住民セデック族は、狩猟採集を生業とし、隣接部族同士でしきりに抗争を行う首狩り族であった。彼らはやがて、日本軍の討伐を受けて屈服し、農業や水道、電信、学校教育などの先進文化を受け入れるようになる。

 ところが、日本人による差別や搾取は日増しに募るばかり。セデック族の族長モーナ・ルダオ(林慶台)は、30年の隠忍の後、ついに挙兵を決意する。日本軍と戦って勝ち目は無いと知りつつも、祖法を守って華々しく散ることこそが大義だと固く信じて。 1930年(昭和5年 )、「霧社事件」の勃発である。

 セデック族と日本軍は、台湾の山々を血に染める。

 

(2)解説

 「渋谷ユーロスペース」での単館上映で、しかも前後篇で総計4時間半(!)の長尺映画なので、観に行く時間を確保するのがなかなかたいへんだったけれど、まったく素晴らしい、そして凄まじい映画でした。

  魏監督は、自腹を切って採算度外視でこれを作ったとか。そういうわけで、構想開始から完成まで10年もかかったとか。

 まあ、4時間半の戦争アクション付きの超大作で、しかも「霧社事件」などというマイナーで陰惨な事件の映画化なので、なかなかスポンサーは付きませんわな。でも、『七人の侍』を作ったころの黒澤明、『スターウォーズ』一作目を撮った時のジョージ・ルーカスを髣髴とさせる在り方なので、台湾には、まだまだ立派な映画作家が生き残っているんだなあ、と素直に感心しました。日本やアメリカでは、そういう作家は20世紀の時点でとっくに死滅していますからねー。

 さて、「霧社事件」とは、1930年(昭和5年)、日本統治下の台湾で実際に起きた先住民の大暴動です。先住民の人たちは、要するに「首狩り族」です。「日本人は邪魔っけだー。死ね死ね死ね。死ね死ね死ね!」みたいなことを言いまくりながら、日本人住民の首をスパスパとチョンパして行きます!

 首を切られる立場の日本人としては、「ふざけんな!我々のお陰で、お前ら野蛮人は電気水道電信電話の恩恵を受け、教育も農耕も覚えたじゃないか!首狩りなどという野蛮な風習からも、おさらば出来たんじゃないか!ちょっとくらい差別したり搾取したからって、何が悪いんだよー!」

  この言い分は、まったく正しい(笑)。だけど、首狩り族の側からすれば、首狩りこそが大切な祖法なのであって(苦笑)、どんな正当な理由があろうとも、それを邪魔する側は敵なのです。

 今まさに問題になっている「日韓問題」も、根っこにあるのは、つまりそういうことなので、これはなかなか根深い問題なのです。

 主人公を「首狩り族」に設定した時点で(逆転の発想!)、この映画の成功は約束されたようなもの。そして、「首狩り族にだって、大義や正義があるのだ!」という主張を説得力豊かに描いた時点で、大成功は確定です。

 さらに感心したのは、首狩り族側の俳優の多くを「原住民出身者」に限定したこと。つまり、スカウトした素人に演技指導をやることから始めたので、その一見すると無駄でハイコストな拘りには感心します。だけど、この手の映画は、下手に有名俳優を使ったら、かえって「首狩り族」にリアリティが無くなりますから賢い選択ですね。映画作りというのは、本来、そうあるべきなのです。

  我々が知っている台湾人俳優は、唯一、ビビアン・スー(徐若瑄)が出ていたのですが、この人って実は、母親が先住民なんですね。そういうわけで、本人はノーギャラでも出たがったとか。あの娘、「そーれが君のー、タイミング♪」とか、明るく元気に歌いながら、実は心の中で日本に対する鬱屈した思いを隠していたのでしょうか?

 ともあれ、最近の日本映画は、カネ儲けしか考えていないので、大手芸能事務所にコビを売りたいあまり、俳優をアイドル系の大根役者でそろえる傾向があって、キャスティングの段階でコケています。少しは、台湾映画を見習ったらどうでしょうか?

 さて、『セデック・バレ』は、間違いなく名作なのですが、ここで敢えて難癖をつけたいのが、戦闘シーン。無駄にカネがかかっていて、無駄に派手だった。

 これは、企画の最終段階でジョン・ウーが入り込んだせいじゃないかと疑っています。ウー監督って、『レッドクリフ』が好例だけど、無駄で大味でリアリティ皆無の戦闘シーンをダラダラ流すのが大好きでしょう?

 だいたい、日本軍が「ひー」「きゃー」とか悲鳴を上げながら、数百人単位で逃げまくって、背中から撃たれたり斬られたりするシーンがあまりにも多いのはどうかと思いますな。今の「ゆとり世代」ならともかく(失笑)、1930年代の日本男子がそんな軟弱だったはずがないでしょう。あの当時の日本軍の統率と士気は、誇張抜きで世界最高峰だったはずなので。

 もちろん、セデック族の強さを強調して映画全体を盛り上げたという制作サイドの意図は、痛いほどよく分かります。だけど、史実では、わずか数日の戦闘でセデック族は壊滅し、日本軍の損害は事故や病気を含めてわずか数十人だったわけだから、あまり映画を史実と乖離させるのはどうかと思いますぞ。かえって嘘っぽくなって、 物語に説得力が無くなりますからね。むしろ、史実通りに、あっというまにセデック族が壊滅するストーリー展開にした方が、悲劇性とドラマ性が強調されて良かったのではないでしょうか?

 このような問題点を感じつつも、世界中が絶賛したこの名画が、ミニシアターでの単館かつ短期間上映なのは、本当にもったいない!

 もっとも、4時間半の上映時間のかなりの部分が、日本人の首が「すっぽんすっぽんすぽぽぽぽーん!」と吹っ飛ばされる場面なので、生首とか好きな人(like me)じゃないと、観ていてキツいかもねー(笑)。

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