歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論 PART4 > 薔薇の名前 The Name Of Rose
制作; フランス、イタリア、西ドイツ
制作年度; 1986年
監督; ジャン・ジャック・アノー
(1)あらすじ
1327年末の北イタリア。とあるベネディクト派修道院を、フランシスコ派の修道士バスカヴィルのウイリアム(ショーン・コネリー)とその従者アドソ(クリスチャン・スレーター)が訪れた。
彼らは、修道院長からある仕事を依頼される。それは、この修道院で起きている修道士の謎の連続死の解決であった。
次々に発見される修道士たちの死体は、共通の特徴を持っていた。利き手の指と舌が、黒いインキで汚れていたのだ。また、被害者はみな、図書関係の仕事をしていた。これらのことから、ウイリアムは、事件の中心に修道院の図書室があると看破する。
やがて訪れた異端審問官ベルナール・ギー(マーリー・エイブラハム)との確執を孕みながら、ウイリアムたちは一歩一歩真相に近づいていく。
修道院の塔の上階に隠された秘密の図書館の中で、ウイリアムたちはついに最後の敵と対決し、真相を解き明かすのだった。
(2)解説
イタリアの記号論学者ウンベルコ・エーコの同名小説の映画化である。
私は、この映画を「新宿ミラノ座」で弟と見た。当時は、だいたい休日は弟を連れて映画を見に行ったものである。
私は、もともとミステリーに眼が無いほうだし、しかも当時から歴史マニアだったのだから、中世ヨーロッパの修道院を舞台にした推理物に気を惹かれないわけがない。そして、「007俳優」のレッテルから脱却したばかりのショーン・コネリーの渋い演技にも大満足だった。
石造りの冬の修道院が放つ薄暗い雰囲気の中、気味の悪い風貌の修道士たちが徘徊する中(よく、あんな異相の俳優ばかり集めたもんだ)で、次々と謎の事件が起きて行く。これはまさに、ゴシックホラーの世界である。ある意味、日本の「金田一耕助シリーズ」に似たテイストもある。
その中で展開される推理は、なかなかロジカルでオーソドックスである。主人公ウイリアムの推理の立て方は、シャーロック・ホームズのそれに似ているようだ。彼の出身地がバスカヴィルという設定なのは、一種のオマージュなのだろう(シャーロック・ホームズ物語の名作に『バスカヴィルの犬』というのがある)。従者の名前アドソも、ワトソン(ホームズの相棒)に語感が似ているような気がする。
映画を観た後で、原作小説も読んだのだが、その面白さに圧倒された。特にラストの迷宮の謎解きは、知的興奮に全身を浸されて夜も眠れなくなる有り様だった。さすがは原作者が記号論の高名な学者だけに、普通のミステリーとは一味も二味も違うのだった。
さて、原作を読んだ後で映画を考察すると、映画はやはり原作には及ばないことが分かる。活字を映像化する過程で、いろんな知的要素をカットしているからだ。特に、原作で私が圧倒された迷宮を、ディズニーランドのアトラクションみたいな形で見せたのはイマイチだ。
また、アドソが村娘と恋(っていうかエッチ)する話は、映画オリジナルである。もちろん映画なのだから恋愛の要素も入れて結構なのだが、あの描き方は下品だろう。『スターリングラード』の評論でも似たようなことを書いたが、アノー監督はフランス人だからなのか、性愛の描き方が露骨過ぎて下品である。これは、原作の持つ知的な香気を台無しにしているので、どうにかして欲しかった。
また、悪名高き異端審問官ベルナールが、村人に襲われて惨死する場面も映画オリジナルである。これは、観客向けに「勧善懲悪」的なものを狙ったのだろうが、史実に反している上に(ベルナールは実在の人物である)、ちょっとご都合主義だったように思う。
そういうわけなので、映画『薔薇の名前』のファンの方には、ぜひ原作小説を一読されることをお勧めします。