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父親たちの星条旗  Flags Of Our Fathers

制作;  アメリカ

制作年度;2006年

監督;  クリント・イーストウッド

 

(1)あらすじ
 
 1945年2~3月の硫黄島の戦いは、太平洋戦争で最大の激戦となった。そして、6名の海兵隊員がこの島の戦略拠点・摺鉢山の山頂に星条旗を立てる1枚の写真は、第二次世界大戦で最も有名なものとなった。
 
 第7次戦時国債の不人気に頭を悩ますアメリカ財務省は、この1枚の写真を利用して国民の愛国心を喚起しようと考え、写真に写っていた6名の海兵隊員を母国に召還する。しかし、摺鉢山占領後の激闘で既に3名が戦死していたので、生き残った3名であるジェイムズ・ブラッドリー(ライアン・フィリップ)とアイラ・ヘイズ(アダム・ビーチ)、そしてレイニー・ギャグノン(ジェシー・ブラッドフォード)が、国債募集の全国行脚に狩り出されることになった。
 
 ところが、有名な写真に写る星条旗は、実は、激戦の最中に立てられたものではなかった。最初に立てられた旗が降ろされた後に、安全な状況の中で立てられた代用品に過ぎなかったのだ。また、政府が認定した3名の戦死者の中に人違いがあった。
 
 生き残った3人は、こういった事実を糾そうとするのだが、政府のポピュリズム的な国策によって情報は大きく歪められてしまう。そして、彼らは国民によって「英雄」と呼ばれるようになった。3人は、戦争後遺症と周囲の異常な環境によって人生を狂わされてしまう。
 
 歳月は流れ、老いたブラッドリーは臨終の床で息子に語る。「戦争には、本当の英雄など存在しない」のだと。

 
(2)解説
 
 クリント・イーストウッド監督の「硫黄島2部作」の巻頭を飾る巨編である。この2部作は、それぞれアメリカ側と日本側の双方の視点から一つの戦場を撮るという点で画期的なのだが、2作とも異なる文芸的テーマを持っている点でも特色がある。
 
 『父親たちの星条旗』は、同名の原作を映像化したものである。原作者はジェイムズ・ブラッドリーの息子。そしてこの著作は、著者である息子の視点から、父の世代の戦争の実相を究明していくドキュメンタリーであった。そこに見られるのは、息子から父の世代へと捧げられる感謝と尊敬の念である。そのため、この著作は世界中の誰もが共感できる普遍性を持っていた。
 
 イーストウッド監督による映像化は、著作の物語を忠実になぞっている。スピルバーグ(製作)らが長年の労苦の末に培った硬質な戦場風景や音響効果も、息を呑むほどに素晴らしい。しかしながら、「映画」が持つ固有の限界(時間枠など)に大きく左右されているため、原作を大幅に矮小化する内容になってしまったことは否めない。
 
 イーストウッド監督は、「親子二世代のドラマ」より、むしろ「アメリカ政府の冷厳な政治哲学と、個々の平凡な兵士の生々しい運命とを対比すること」を映画の主題にしている。これは、単純なアメリカ政府批判ではなくて、「政治」そのものへの批判である。そして、これはもちろん「戦争批判」にも繋がるのだ。その意味では、とても真面目で良質な映画だと感じた。
 
 しかし、原作本の最大のテーマである「世代間の相克」や「子の視点からの親の世代に対する尊敬」が、映像の中でほとんど出て来ない。私は、原作を読んでこういった点に非常に深く感動した人なので、映画を観て物足りなく感じた。中途半端に描くくらいだったら「老いたブラッドリーと息子の物語」を映画から排除して、1945年前後のストーリーに特化すれば良かったのに。
 
 また、この映画は過去と未来を次々に切り替える手法で物語を語るのだが、説明が足りないために、画面で今何が語られているのか分かりづらい時がある。映画は、基本的に3つの時間軸から構成されている。すなわち、硫黄島の戦場(1945年2~3月)、銃後の国債公募ツアー(1945年4月ごろ)、老いたブラッドリーとその息子(1990年代)の3つである。これらが順不同で次々に切り替わるので、物語を理解するのがたいへんである。私は事前に原作を読んでいたので大丈夫だったのだが、そうじゃない人は 、いきなり冒頭から何が何だか分からなくなったのではないだろうか?
 
 スター俳優を排除したリアリズムが、個々の登場人物の印象を薄くしたのも問題であった。主役の3人はともかく、残りの兵士については顔の区別がつかず、誰が誰やら最後まで把握出来なかった観客が多かったのではないだろうか? 実を言うと、そういう私も、2回目の観賞でようやく個々の人物が区別できるようになったのである(笑)。
 
 「残りの兵士」の中で、最も重要な原作上の人物は、チェコ移民のマイク・ストランク曹長である。彼は、兵士たちの精神的支柱となった尊敬に値する人物であり、本物の「英雄」だったのだが、硫黄島の戦いの最終段階で戦死してしまう。生き残った3名は、本当の英雄がマイクであることを知っていて、彼を失った悲しみを忘れ難いからこそ、アメリカ政府の冷酷さとご都合主義に苛立つのである。映画では、インディアン出身の激情家アイラを前面に出して、こういった状況をエモーショナルに語っているのではあるが、肝心のマイクに関する描写が少ないために、マイクそのものの魅力がまったく伝わって来ない。マイクを演じたバリー・ ペッパーもミス・キャストだったと思う。そういうわけで、原作を未読の人は、アイラたちの激情やストレスの理由がピンと来なかったのではないだろうか?
 
 このように、『父親たちの星条旗』は全体として舌足らずで中途半端なところが多い。わずか2時間台の映画の中で、あの雄大な原作の全てを描こうとしたことに問題があったのだろう。
 
 もっとも、原作自体が、イーストウッド監督の持ち味が十分に出せるようなストーリーでは無かったように思われる。自分の殻を壊して新しいことに挑戦し続けるイーストウッドの闘志は、尊敬に値する。しかしこういった冒険は、しばしば失敗も生むのである(私は、たとえば 『スペース・カウボウイ』は失敗作だったと感じている)。
 
 むしろ『硫黄島からの手紙』の方が、日本人キャストによる日本側の物語でありながら、はるかに「イーストウッドの持ち味」が出ていたのが興味深い。