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君の涙ドナウに流れ Children of glory

制作;ハンガリー

制作年度;2006年

監督;クリスティナ・ゴダ

 

(1)あらすじ

1956年10月、ハンガリーの水球選手カルチ(イヴァン・フェニェー)は、共産主義政権に対する革命騒動の中、若き女性政治活動家ヴィキ(カタ・ドボー)と恋に落ちた。

宗主国ソ連が「ハンガリー革命」に妥協する様子を見たカルチは、安心してメルボルン五輪への旅に出る。しかし、妥協と見せたのはソ連が仕組んだ罠だった。突如として攻め込んだソ連戦車部隊の猛攻を受けて炎上する首都ブダペスト。そして、虚しく殺されて行く若者たち。

そんな中、オーストラリア滞在中のカルチに出来る戦いは、オリンピック会場でソ連水球選手団と対決し、これを打ち負かすことだけだった。熾烈な血まみれの決勝戦の後、金メダルの栄冠を掴んだのはハンガリーの水球チーム。しかしその間、祖国は廃墟と化し、愛するヴィキも死刑囚となって処刑台に送られていた。

カルチは、表彰台の上で激しく嗚咽するのだった。

 

(2)解説

ハンガリー映画史上の最高傑作である。いや、政治をテーマにした映画の世界最高傑作と評するべき作品だ。

有楽町駅前での単館上映だったので、見に行く時間を確保するのに本当に苦労した。それにしても、良い映画であればあるほど、ミニシアターでの単館上映になるのはどうしてだろうか? 大手シネコンって、いったい何を考えているんだろう?もちろん、お子様や腐女子向けの映画ばかり上映しておいた方が、効率的なおカネ儲けにはなるという経営判断なんだろうけど、その判断は明らかに間違っているね。 日本の映画産業が長期的に衰退しているのは、不景気のせいでも料金が高すぎるせいでもなくて、「詰まらない作品しか上映しない」からではないだろうか?

出版産業についても同じことが言える。最近の出版社って、発行点数はやたらに多いけど、詰まらない本しか出さないんだよね。映画界も出版界も、いずれ仲良く共倒れだろうね。

さて、1956年の「ハンガリー革命」は、現代ハンガリー史上の一大事件である。ソ連から押しつけられた共産党政権の改革を求める若者たちが、軍事介入したソ連軍によって5000人以上も殺された悲劇である。

ゴダ監督は、このテーマの映画化に当たって相当なプレッシャーを感じたはずだが、この重責に見事に耐えた。

ちなみに、ハンガリーの水球選手団が、同年のメルボルン五輪でソ連を破って優勝したのは史実である。ゴダ監督は、このエピソードと革命の悲劇を巧みにリンクさせたのだ。

主人公の水球選手カルチが、直情径行の熱血スポーツマンで、政治のことに全く興味が無いという基本設定が、政治をテーマとする映画にしては珍しい。また映画の前半で、カルチが周囲の革命流血騒ぎには目もくれず、美少女ヴィキにストーカーまがいのアプローチをしまくるのに違和感を感じた。私は基本的に、政治の物語に無理やり恋愛要素をブチ込む手法が好きではないので。 しかし、こういった伏線は、物語の後半で次第に意味を持って来る。恋愛要素は「無理やり」どころか、この映画の必然なのだった。

革命の崩壊後、秘密警察に逮捕されて尋問に耐え続けるヴィキの姿と、オーストラリアのオリンピック会場でソ連選手団と死闘を繰り広げるカルチの姿が同時並行で語られる。そして、ヴィキは秘密警察長官の要求を全て撥ねつけて彼に恥辱を与える。そのころカルチは、水中で満身創痍となりながらソ連選手団を打ち負かす。すなわち、2人はそれぞれの戦場で同時に勝利したのだ。

しかし、その結末はまったく違う。

ヴィキは勝利したことによって絞首台に送られる。牢の中から様子を見守る囚人たちと一緒にハンガリー国歌を口ずさみ落涙しながら。同じころ、カルチは勝利したことで表彰台に立つ。そして、顔じゅうを血と涙でいっぱいにしながらハンガリー国歌を歌う。

この場面で泣かない観客は、人間じゃないやね! 日本人のオイラでさえ涙を堪え切れなかったんだから、ハンガリー人観客の想いは、いかほど強いものだったことか!

近年の中欧映画のレベルの高さを激しく痛感できる本当に良い映画だと思った。

ハンガリー人の個性「熱血性」が、プラス方向に遺憾なく発揮された名作であると言い切れる。