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革命戦士ゲバラ Che !

制作;アメリカ

制作年度;1969年

監督;リチャード・フライシャー

 

チェ・ゲバラを主人公にした最も古い伝記映画。

なにしろ、ゲバラが死んだのが1967年10月だから、その翌年に製作が開始されたことになる。他ならぬ、敵手アメリカによって。

その事実だけでも明らかだが、これは「反キューバ・プロパガンダ映画」なのである。ただし、その作り方は非常に見事である。客観的に見て、最近の「チェ2部作」より遙かに上だ。だからこそ、この場で紹介したい。

まず、映画の冒頭はゲバラ(オマー・シャリフ)の死体から始まる。死体となったゲバラが、過去の思い出について詩的な独白をする調子で、革命戦争の物語が始まる。また、劇中で死体のシーンとゲバラの生前の活躍のシーンが交互に語られるのだが、観客の興味を引き付ける上で、この構成の取り方は実に見事である。

最近の「チェ28歳の革命」では、この映画を意識したのかどうかは不明だが、革命戦争のエピソードとゲバラの国連総会での演説のエピソードが、交互に出て来る構成になっていた。でも、これは意図も意味もまったく分からなかった。しかも、なぜか国連総会のシーンはモノクロだった。これも、意味がまったく不明であった。作り手の頭が悪いのだとしか言いようがない。

さて、「革命戦士ゲバラ」の構成のもう一つの巧さは、劇中で語られるゲバラの全てのエピソードについて、故ゲバラの知人たちからインタビューを得て描くスタイルを取っていることである。インタビューのシーンが、劇中でいくつか出て来るのだが、一見すると公平で客観的な取材をしているように見える。ゲバラファンからの好意的な評価も取り入れているように見える。

このように「インタビューの集積」という形で伝記映画を作ると、物語に説得力が増すだけでなく、「平気で嘘が書ける」メリットが得られる。案の定、この映画の劇中には、かなり多くの「嘘」が出て来るのだが、映画製作者は「だって、そういうインタビュー結果があったんだもん」と、とぼけてしまえるのだ。実際、「歴史」とか「伝記」というのは、そういう風に作られるのかもしれない。

そう考えるなら、この作り方は本当に上手い。見事である。

これらインタビューの結果、劇中で描かれるチェ・ゲバラは、次のような人物である。

キューバ革命の黒幕はゲバラであった。カストロ(ジャック・パランス)は飾り物に過ぎなかった。したがって、戦争中の虐殺行為は全てゲバラの仕業である。戦後の戦犯大量虐殺も、全てゲバラの仕業である。そして、キューバをソ連に引き渡したのも、キューバ島にソ連製核ミサイルを導入したのも、アメリカを核攻撃しようとしたのも、全てゲバラの仕業である。そんなゲバラは、その邪悪さがカストロにバレて大喧嘩になったので、逆切れしてキューバを飛び出してボリビアで大暴れを始めたけれど、現地での傲慢ぶりと残虐ぶりが民衆に嫌われ部下にも見放され、その結果、野垂れ死にしたのである。

はあ・・・。

そういうわけで、ボリビアの戦いでは、ゲバラが村を襲って民衆から物資を強奪するシーンが出て来る。また、処刑される直前に、羊飼いの老人から「よそ者の掠奪者」として非難されるシーンが出て来る。ゲバラは、自分の人生が全て間違っていたことを思い知らされて、失意と悲しみの中でボリビア軍に射殺されるのである。

ぶわははははははは~!!

これらは、ほとんど全て作り話である。嘘だと思うなら、拙著「カリブ海のドン・キホーテ」を読んでください(営業かよ(笑))。もしも私の本が信用できないなら、関連図書をなるべく多く読んでみてください。

だけど、映画全体が「客観的なインタビューを集めて作った」体裁になっているので、すごく説得力がある。実際に、ゲバラが邪悪で傲慢な人間に見えて来るから見事である(実際に、彼の中に傲慢な部分があったことまでは否定できないが)。

だけど、ゲバラが本当にそんな邪悪な人間だったとしたら、今日に至るまで多くの人に尊敬され愛されていることの説明がつかないやね。

ともあれ「革命戦士ゲバラ」は、本当に素晴らしい作りの知的なプロパガンダ映画だと思った。すごく勉強になった。

昔のアメリカ人って、すごく頭が良かったんだねえ(苦笑)。  逆に言えば、アメリカ映画が知性の面で、近年になって激しく劣化している事実がよく分かりました。 日本映画がダメになったのも、この傾向に引きずられているからなんだろうね。