歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論PART10 > ヒトラー暗殺 13分の誤算 ELSER
制作:ドイツ
制作年度:2015年
監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル
(あらすじ)
1939年、南ドイツの平凡な機械工、ゲオルグ・エルザー(クリスティアン・フリーデル)は、ナチス化が進む祖国の有り様を憂えて、ヒトラーをその演説中に手製の時限爆弾で暗殺しようとする。
しかし、ヒトラーが予定よりも早く演説会場を後にしたことから暗殺は失敗。エルザーはスイス国境で捕まってしまった。ナチスの国家警察は、エルザーの過去と、彼の背後にいるはずの黒幕を暴こうとするのだが。
(解説)
日比谷シャンテに観に行った。
冒頭10分で暗殺は失敗し、あっという間に主人公が捕まり、後は尋問と拷問ざんまいの映画だった。ううむ、さすがはヒルシュビーゲル監督。「狭いところで主人公が苦しむシーン」を撮るのが大好きなのだね(苦笑)。なかなかユニークな構成で、それはそれで結構だったのだが、ユニーク過ぎて話の展開に無理が出ていたような気がする。
あっという間に主人公が捕まった結果、それ以降の約2時間は、牢獄ないし収容所内のシーンになってしまう。だけどそれでは、ビジュアル的に間が持たないので、尋問や拷問シーンの合間にエルザーの屋外での回想シーンを入れるしかない。だけど、エルザーは平凡な市民だったのだから、そんなに豊富なエピソードが有るわけでもない。結局、人妻と不倫したとか、共産党の友人と一緒に軽い悪さをしたとか、そんな牧歌的(?)な話を、長々と垂れ流すしかないわけだ。そうなると、人妻とエッチするシーンがあまりにも多かったりするので、だんだん話のテーマが見えなくなって来る。「なんで、こんなに愛や人生に満ち足りている男が、ナチス政権やヒトラーに対して命がけの敵意を燃やすのだろう?」と、主人公の精神性がよく分からなくなって来るのだ。
また、回想シーンを手厚くしたために、ナチス思想がドイツの市井を侵食していく空気感が、上手に描かれすぎてしまっている。こうした演出の何がマズいかと言えば、「ドイツ国民の大多数がナチスを賛美し支持している状況では、ヒトラー一人を殺しても無意味なんじゃないの?」という徒労感を観客に与えてしまうことだ。
つまり、回想シーンが続くごとに、主人公の生き様や行為に共感できなくなってしまうのだった。
そもそも、エルザーがやったことは「爆弾テロ」である。実際に、罪もない人々が巻き添えになって8名が死亡し、50数名が負傷するという惨事を招いた。ナチスの警察局長が、エルザーをその件で難詰するシーンは、残念ながら(?)非常に説得力があった。
もしかすると、ヒルシュビーゲル監督自身、この主人公の行為に共感できない部分があって、それで描き方が、奥歯に異物が挟まった感じになってしまったのかもしれない。
でも、これはこれで有りだろう。歴史を忠実に描いた良心的な映画は、このような矛盾を多く含んでいるからこそ面白いのである。