歴史ぱびりよん > 映画評論 > 映画評論PART10 > 海難1890
制作:日本
制作年度:2015年
監督:田中光敏
(あらすじ)
1890年(明治23年)9月16日、トルコから日土修好のために来日した軍艦エルトルールル号は、台風の直撃を受けた結果、和歌山県串本沖で難破座礁した。生き残った69名のトルコ人船員を必死の救命活動で守ったのは、串本町の漁民たちであった。
それから95年後の1985年(昭和60年)、イラン・イラク戦争に巻き込まれた200名を超えるテヘラン在留邦人たちを救出したのは、命がけでイスタンブールから飛来したトルコ航空機であった。
(解説)
珍しい日土合作映画。友人と、新宿バルト9に観に行った。
映画が始まる前に、スクリーンにエルドアン大統領が出て来てメッセージを述べたので、思わず笑ってしまった。いきなり、国策映画臭を振り撒いてどうする?どうせなら、安倍首相も出れば良かったのに、それは無かった。詰めが甘いな(笑)。
とはいえ、一般的な日本人は、トルコに興味もないし知りもしないので、こういった映画は文化的な価値が高いと思う。エルトルールル号事件やテヘラン救出事件は、トルコでは一般的な話なのに、日本ではやっと最近になって学校教科書に載るようになった程度だ。歴史上の実話としては、かなり良い話なので、もっと広まって欲しいものだ。
映画自体の出来も、まあ、悪くは無かった。心配していた小松江里子脚本も、許容レベルであった。
ただし、歴史的事実から勘案すると、オミットされたり修正された箇所が意外に多くて、そこが気になった。特に、前半のエルトルールル号事件について、樫野崎灯台の存在が完全に無視されたところに、ある種の作為を感じた。
串本町が置かれた紀伊大島は、紀伊半島の南端から突き出した形になっている古代から有名な海上交通の難所であった。開国を迎えた明治政府は、頻繁に日本を訪れるようになった外国船の安全を強化するために、巨費を投じて近代的な灯台をいくつか建設したのだが、串本町の樫野崎灯台がその代表格である。つまり、この地は早くから明治政府の管理下に置かれていたのであって、映画で描かれるような孤立した漁村というわけではなかった。
実際、難破漂着したトルコ人船員たちは、最初にこの灯台に行って急を知らせたのだし、それを受けて迅速かつ的確に対応したのは、ここに駐在していた灯台守であった。漁民たちは、灯台守とその上にいる日本政府の指示に従って行動したのである。
ところが映画では、灯台と灯台守の活躍を完全にオミットしたがゆえに、漁民があくまでも自主的に救護活動をしたようになっていた。この流れだと、日本人は僻村に住む貧しく無教育な漁民であっても、本質的に主体性が強くて善良無比であるという印象が強くなる。でも、それは史実ではないし事実でもない。あらゆる意味で、誤解を招く描写である。
それとは逆に、後半のテヘラン救出事件では、トルコ大統領オザルがやたらに出て来て、彼の指示で全てが動いたようになっているが、実際にはトルコ航空ら民間の自主性が強く働いたはずなので、描き方がチグハグであるように思えた。
そして映画のクライマックスで、ついに小松脚本の残念なところが出てしまった。テヘラン空港で一人の青年(架空)が下手くそな演説をすると、なぜかその場の空気が、気持ち悪いくらい横並びに一変するという。こういう演出は、せっかくのリアリティを台無しにするから止めて欲しいと思う。
エルトルールル号事件とテヘラン救出事件は、実際に起きたことを有りのままに描くだけで、大きな感動を得られるし社会勉強にもなるエピソードである。それを、おかしな解釈や変な演出で歪曲したことで、本来あるはずだった史実の感動が削られてしまった。
まあ、映画は創作物なのだから仕方のない面はあるけれど、いろいろな意味で残念である。